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Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

妙法蓮華經授記品第六

2021.07.19 23:37


底本、「國譯大藏經、經部第一卷」(但し改行施し難読以外の傍訓省略又、一部改変)

奥書云、

大正六年六月廿三日印刷、同廿六日發行。昭和十年二月二十四日四刷發行。

發行者、國民文庫刊行會



  授記品第六

爾の時に世尊、是の偈を說き已つて、諸の大衆に告げて是の如き言を唱へたまはく、

「我が此の弟子、摩訶迦葉は、未來世に於て當に三百萬億の諸仏世尊を奉覲して、供養し、恭敬し、尊重し、讚嘆し、廣く諸佛の無量の大法を宣ぶることを得べし。

 最後身に於て佛に成ることを得ん。

 名をば光明如來、應供、正徧知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と曰はん。

 國をば光德と名づけ、劫を大莊嚴と名づけん。

 佛の壽ひは十二小劫、正法世に住すること二十小劫、像法亦、住すること二十小劫ならん。

 國界嚴飾して、諸の穢惡、瓦礫、荊棘、便利の不淨無く、其の土、平正にして、高下、坑坎、堆阜有ること無けん。

 瑠璃を地と爲して、寶樹、行列し、黃金を繩と爲して以て道の側を界(境)ひ、諸の寶華を散じ、周徧して淸淨ならん。

 其の國の菩薩、無量千億にして、諸の聲聞衆、亦復、無數ならん。

 魔事有ること無く、魔、及び魔民有りと雖も、皆、佛法を護らん。」

〇爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言たまはく、

『諸の比丘に告ぐ、

 我、佛眼を以て、

 是の迦葉を見るに、

 未來世に於て、

 無數劫を過ぎて、

 當に作佛することを得べし。

 而も來世に於て、

 三百萬億の、

 諸佛世尊を、

 供養し奉覲して、

 佛の智慧の爲に、

 淨く梵行を修し、

 最上の、

 二足尊を供養し已つて、

 一切の、

 無上の慧を修習し、

 最後身に於て、

 佛と成ることを得ん。

 其の土、淸淨にして、

 瑠璃を地と爲し、

 諸の寶樹、多くして、

 道の側りに行列し、

 金繩道を界ひて、

 見る者、歡喜せん。

 常に好香を出だし、

 衆の名華を散じて、

 種種の奇妙なる、

 これをもつて莊嚴と爲し、

 其の地、平正にして、

 丘坑、有ること無けん。

 諸の菩薩衆、

 稱計す可からず。

 其の心、調柔にして、

 大神通に逮し、

 諸佛の、

 大乘經典を奉持せん。

 諸の聲聞衆の、

 無漏の後身にして、

 法王の子なる、

 亦、計る可からず。

 乃し天眼を以ても、

 數へ知ること能はじ。

 其の佛は當に、

 壽ひ十二小劫なるべし。

 正法、世に住すること、

 二十小劫、

 像法、亦、住すること、

 二十小劫ならん。

 光明世尊、

 其の事、是の如し。』

爾の時に大目犍連、須菩提、摩訶迦旃延等、皆、悉く悚慄し、一心に合掌し、世尊を瞻仰して目、暫くも捨てず、即ち共に聲を同じうして偈を說いて言さく、

『大雄猛世尊、

 諸釋の法王、

 我等を哀愍したまふが故に、

 而も佛の音聲を賜へ。

 若し我が深心を知ろしめして、

 授記せられなば、

 甘露を以て灑ぐに、

 熱を除ひて淸涼を得るが如くならん。

 饑ゑたる國より來つて、

 忽ちに大王の膳〔そなへ〕に遇へらんに、

 心、猶、疑懼を懷いて、

 未だ敢て即ち食せず、

 若し復、王の敎へを得ては、 

 然る後に乃し敢て食するが如し。

 我等も亦、是の如し、

 每(常)に小乘の過(咎)を惟(思)うて、

 當に云何にして、

 佛の無上慧を得べきと知らず。

 佛の音聲の、

 我等、作佛せんと言たまふことを聞くと雖も、

 心、尚、憂懼を懷くこと、

 未だ敢て便ち食せざるが如し。

 若し佛の授記を蒙りなば、

 爾〔しか〕も乃し快く安樂ならん。

 大雄猛世尊、

 常に世間を安せんと欲す。

 願はくは我等に記を賜へ。

 饑ゑて敎へを須〔ま〕つて食するが如くならん。』

爾の時に世尊、諸の大弟子の心の所念を知ろしめして、諸の比丘に告げたまはく、

「是の須菩提は當來世に於て、三百萬億那由佗の佛を奉覲して、供養、恭敬、尊重、讚嘆し、常に梵行を修し、菩薩の道を具して、最後身に於て佛と成〔な〕爲〔る〕ことを得ん。

 號をば名相如來、應供、正徧知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊と曰はん。

 劫をば有寶と名づけ、國をば寶生と名づけん。

 其の土、平正にして頗黎を地となし、寶樹莊嚴して、諸の丘坑、沙礫、荊棘、便利の穢れ無く、寶華、地に覆ひ、周徧して淸淨ならん。

 其の土の人民、皆、寶臺、珍妙の樓閣に處せん。

 聲聞の弟子、無量無邊にして、算數、譬喩の知ること能はざる所ならん。

 諸の菩薩衆、無數千萬億那由佗ならん。

 佛の壽ひは十二小劫、正法、世に住すること二十小劫、像法、亦、住すること二十小劫ならん。

 其の佛、常に虛空に諸して、衆の爲に法を說いて、無量の菩薩、及び聲聞衆を度脫せん。」

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言たまはく、

『諸の比丘衆、

 今、汝等に告ぐ。

 皆、當に一心に、

 我が所說を聽くべし。

 我が大弟子、

 須菩提は、

 當に作佛することを得べし、

 號をば名相と曰はん。

 當に無數、

 萬億の諸佛を供して、

 佛の所行に隨つて、

 漸く大道を具すべし。

 最後身に、

 三十二相を得て、

 端正姝妙なること、

 猶、寶山の如くならん。

 其の佛の國土、

 嚴淨第一にして、

 衆生の見る者、

 愛樂せずといふこと無し。

 佛、其の中に於て、

 無量の衆を度せん。

 其の佛の法の中には、

 諸の菩薩、多く、

 皆、悉く利根にして、

 不退の輪を轉ぜん。

 彼の國は常に、

 菩薩をもって莊嚴せん。

 諸の聲聞衆、

 稱數す可からず。

 皆、三明を得、

 六神通を具し、

 八解脫に住して、

 大威德有らん。

 其の佛の說法には、

 無量の、

 神通變化を現じて、

 不可思議ならん。

 諸天、人民、

 數、恒沙の如く、

 皆共に合掌して、

 佛語を聽受せん。

 其の佛は當に、

 壽ひ十二小劫なるべし。

 正法、世に住すること、

 二十小劫、

 像法、亦、住すること、

 二十小劫ならん。』

爾の時に世尊、復、諸の比丘衆に告げたまはく、

「我、今、汝に語る、是の大迦旃延は當來世に於て、諸の供具を以て八千億の佛に供養し奉事して、恭敬、尊重せん。

 諸佛の滅後に、各、塔廟を起てん。

 高さ千由旬、縱廣正等にして、五百由旬ならん。

 金、銀、瑠璃、硨磲、碼碯、眞珠、玫瑰の七寶を以て合成し、衆華、瓔珞、塗香、抹香、燒香、繪蓋、幢幡を塔廟に供養せん。

 是れを過ぎて已後、當に復、二萬億の佛を供養すること、亦復、是の如くすべし。

 是の諸佛を供養し已つて、菩薩の道を具して、當に作佛することを得べし、

 號を閻浮那提金光如來、應供、正徧知、明行足、善逝、世閒解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊と曰はん。

 其の土、平正にして頗黎を地と爲し、寶樹莊嚴し、黃金を繩と爲して以て道の側を界ひ、妙華地に覆ひ、周徧淸淨にして、見る者、歡喜せん。

 四惡道の地獄、餓鬼、畜生、阿修羅道無く、多く天、人有らん。

 諸の聲聞衆、及び諸の菩薩、無量萬億にして其の國を莊嚴せん。

 佛の壽ひは十二小劫、正法、世に住すること二十小劫、像法、亦、住すること二十小劫ならん。」

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言たまはく、

『諸の比丘衆、

 皆、一心に聽け。

 我が所說の如きは、

 眞實にして異ること無し。

 是の迦旃延は、

 當に種種の、

 妙好の供具を以て、

 諸佛を供養すべし。

 諸佛の滅後に、

 七寶の塔を起て、

 亦、華香を以て、

 舍利を供養し、

 其の最後身に、

 佛の智慧を得て、

 等正覺を成ぜん。

 國土淸淨にして、

 無量萬億の、

 衆生を度脫し、

 皆十方に、

 供養せらるることを爲(得)ん。

 佛の光明、

 能く勝れる者、無けん。

 其の佛の號を、

 閻浮金光と曰はん。

 菩薩聲聞の、

 一切の有を斷ぜる、

 無量無數にして、

 其の國を莊嚴せん。』

爾の時に世尊、復、大衆に告げたまはく、

「我、今、汝に語る、是の大目犍連は當に種種の供具を以て、八千の諸佛を供養し、恭敬、尊重したてまつるべし。

 諸佛の滅後、各、塔廟を起てて、高さ千由旬、縱廣正等にして五百由旬ならん。

 金銀、瑠璃、硨磲、碼碯、眞珠、玫瑰の七寶を以て合成し、衆華、瓔珞、塗香、抹香、燒香、繪蓋、幢幡を以て供養せん。

 是れを過ぎて已後、當に復、二百萬億の諸佛を供養すること、亦復、是の如くすべし。

 當に成佛することを得べし。

 號をば多摩羅跋栴檀香如來、應供、正徧知、明行足、善逝、世閒解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊と曰はん。

 劫をば喜滿と名づけ、國をば意樂と名づけん。

 其の土、平正にして頗黎を地となし、寶樹莊嚴し、眞珠華を散じ、周徧淸淨にして見る者、歡喜せん。

 諸の天、人、多く、菩薩聲聞、其の數、無量ならん。

 佛の壽ひは二十四小劫、正法、世に住すること四十小劫、像法、亦、住すること四十小劫ならん。」

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言たまはく、

『我が此の弟子、

 大目犍連、

 是の身を捨てお已つて、

 八千、

 二百萬億の、

 諸佛世尊を見たてまつることを得て、

 佛道の爲の故に、

 供養恭敬し、

 諸佛の所に於て、

 常に梵行を修し、

 無量劫に於て、

 佛法を奉持せん。

 諸佛の滅後に、

 七寶の塔を起てて、

 長く金刹を表し、

 華香、伎樂をもつて、

 而も以て、

 諸佛の塔廟に供養し、

 漸漸に、

 菩薩の道を具足し已つて、

 意樂國に於て、

 作佛することを得て、

 多摩羅栴檀の香と

 號づけん。

 其の佛の壽命は、

 二十四劫、

 常に天、人の爲に、

 佛道を演說せん。

 聲聞無量にして、

 恒河沙の如く、

 三明六通あつて、

 大威德有らん。

 菩薩無數にして、

 志、固く精進し、

 佛の智慧に於て、

 皆、退轉せじ。

 佛の滅度の後、

 正法、當に住すること、

 四十小劫なるべく、

 像法、亦、爾かなり。

 我が諸の弟子の、

 威德具足せる、

 其の數、五百なるも、

 皆、當に授記すべし、

 未來世に於て、

 咸く成佛することを得ん。

 我、及び汝等の、

 宿世の因緣、

 吾、今、當に說くべし、

 汝等、善く聽け。』