フランス革命の道30-パリの窮乏と混乱
2021.07.12 11:21
7月12日の日曜日、ネッケル罷免の知らせがパリに伝わった。ネッケルといえば、そのまま家族とスイスへ戻っただけだった。ルイ16世は、パリの治安を守るため軍隊を呼び寄せていたが、こうした状況から、議会に武力を使うのではないか、という噂が出た。しかし軍は集まり始めたばかりだった。
ミラボーは「武器を持ってこい」と言った自分のタンカに怯え、議会は国王に「武力行使はたいへんな結果を招く」と王に伝えた。国王は「パリが無秩序に陥っているのでやむを得ない」と答えた。実際パリは混乱しており、パリの衛兵連隊は秩序が保たれていなかった。
この頃、パリの下層民はパンの極度の欠乏に苦しんでいた。7月9日には、一人の召使女がネッケルの肖像に唾を吐いたということで、公衆の面前でズボンを脱がされ鞭打たれた。民衆は一触即発の状況にあった。国王は議会ばかり見ていたが、実は革命は違うところから発火するのである。
民衆の味方と祭り上げられていたオルレアン公フィリップは、実はヴェルサイユに無実を訴えに行っていたのだ。ルイ16世は、それをとりあげず、自分の館に戻るようにと言った。オルレアン公は、戻ろうとしたが、もはや遅く、パレ・ロワイヤルからついに暴動が始まる。