いつ、お迎えが来てもいいように。
人間いつなんどき亡くなるのか分かりません。
今は健康体の人でも、明日事故に合って唐突に命を落とす可能性もあります。
「若いから未来がある」「身体が丈夫だからあと数十年は生きれる」という安易な決めつけをしてはいけません。
若年でも老齢でも、いつお迎えが来てもいいよう事前に済ませる準備があります。
それはエンディングノートや遺言書、未練・執着の断ち切り等、人によって様々。
けれど、全員が共通して実行すべきことが一つあります。それが、「死後の世界の学習」。
遅かれ早かれ絶対に向かう場所なのですから、前もって様子や仕組みなどを知るべきです。
そうしなければ、向こうへ到着した際に狼狽してパニックを起こします。
守護霊もしくは家族友人等がお迎え人としてやってきますが、霊的なことに無知だった者は、既に他界した人や初見の守護霊を目にして戸惑い狂います。
彼らが霊世界のエビデンスを提示しても、生前に霊的真理を学んでいないため、言っていることに一切得心がいきません。
そういった者には一から霊魂や幽界・霊界、守護霊、神の存在などを教示しなければならず、あの世の者たちからすれば非常に手を焼く異端児。
それはまるで生後間もない赤子に、世界各国の言語や難解な数式を教えるくらい厄介な作業です。
現世にいる時分から霊的真理を学んでいれば、スピーディーにあの世へ移行でき、短期間で新天地での生活に馴染め、魂向上も無知だった者よりも遥かに早いのです。
人間、社会に出て順応していくためには、小中高という学びの段階がありました。
そのお陰で社会で仕事ができてお金を稼ぎ生きていられます。
それと一緒で新たな社会(あの世)生活を営むためには、霊的真理(スピリチュアル)を勉強する必要性があるのです。
いかなる人間でも確実に赴く世界なのですから。
死んだ後に「知っておけばよかった」と、後悔してもあとの祭りです。
※下記の画像は私が作成したものではありません。別のブログ主さんが作ったものです。
神作でしたので転載しました。