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「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 コンピューターグラフィックで再現された150年前のパリを歩く日本の侍たち

2021.07.13 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 コンピューターグラフィックで再現された150年前のパリを歩く日本の侍たち


 水曜日は大河ドラマ「青天を衝け」について書いている。まあ、青天を衝けに限ったことではないが、とりあえず大河ドラマに関する内容を書いてみようと思っている。といいつつも、今週と来週で、大河ドラマもオリンピック休みになってしまう。そこで、なんというか、今度は「大河ドラマ誘致活動」ということで、5週間は書いてみようかと思っている。

 まあ、お盆休みは、また山田方谷についてでも書いてみようかと思っているので、その辺も見ていただいたら面白いかもしれない。何しろ5週間大河ドラマがないということは、8月いっぱい大河ドラマがないということなので、8月のブログをどうしようかということを考えておかなければならないのではないかと思う。

幸い、今年の夏も、東京都では緊急事態宣言が8月22日まで存在しているうえ、それも伸びる可能性があるということから、なかなか出かけるということはあまり考えられないということになっているので、残念ながら、何かゆっくりと読むということを基本にした夏休みの過ごし方しかないということになってしまう。そのような意味では、まあ、大河ドラマというものを考えてみるのは面白いのかもしれない。

 さて、ところで「出かけられない」といえば、今回の大河ドラマの撮影も苦労したことであろう。コロナウイルス禍でどうにもならない時に、本来であればパリにロケに行かなければならない内容になってしまっているのであるから、これはなかなか大変である。どうやって撮影したのであろうと思ったら「やはり」といっては失礼であるがCG,VFXの活躍である。

それにしても見事な技術で、テレビ画面上には1867年のパリがしっかりと映し出され、そして、渋沢栄一役の吉沢亮さんなどが、活き活きと動いていたのである。いやいや、あれはかなりお金がかかっているなと思いながらも、その全く違和感のない映像は、かなり興味深く、また引き込まれれるような感じがしていたのである。


<青天を衝け>VFXの勝利? 凱旋門からの眺め、ナポレオン三世の謁見式… “1867年のパリ”再現!

 俳優の吉沢亮さん主演のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」(総合、日曜午後8時ほか)第22回「篤太夫、パリへ」が7月11日に放送された。ドラマは同回から“パリ編”に突入。VFX(視覚効果)技術を用いて1867年のパリが再現された。

 同回では、パリに到着した篤太夫(吉沢さん)たちが、凱旋門の上からパリの町並みを眺めるシーンが登場。SNSでは「おぉー! 絶景!」「全部VFXだけど、パッと見では違和感がそれ程ない」「これ全部CGか。すごいな」「合成すごい!」「VFXすっげー」「CG班の頑張りに拍手」「おおー、VFXの勝利だいね!」などと視聴者の関心を誘った。

 また、将軍・慶喜(草なぎ剛さん)の名代として、昭武(板垣李光人さん)がナポレオン三世の謁見式に出席する様子も描かれ、「ナポレオン三世?」「プリンス・トクガワ!」「何ともすごい絵面だ」「昭武、凛々しいな」「デジタル処理すごいね」「すごいいCG技術だなぁ」「別撮り合成とは思えない出来ですね。すごい!」といった声も次々と上がった。

 第22回は、パリに到着した篤太夫たちは、早速、万国博覧会の会場を視察。蒸気機関やエレベーター……最先端の西洋技術を目の前にして度肝を抜かれる。しかし、日本の展示ブースに行くと、そこには薩摩の紋が高々と掲げられていた。幕府使節団は薩摩に抗議するが、モンブランと五代(ディーン・フジオカさん)が裏で手を引き、幕府と薩摩は同格の政府であると風聞が流れる。

 そんな中、昭武はナポレオン三世の謁見式に出席し、堂々と慶喜の名代としての役目を果たす。そのころ日本では、慶喜が次々と幕政改革を打ち出していた……という展開だった。

 「青天を衝け」は、“日本資本主義の父”と称される渋沢栄一が主人公で、連続テレビ小説(朝ドラ)「風のハルカ」(2005年度後期)、「あさが来た」(2015年度後期)などの大森美香さんが脚本を担当。「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた渋沢の生きざまを描く。

7/11(日) MANTANWEB


 最近、本を執筆したという御縁から、備中の山田方谷という人物に関して様々書いている。今年のゴールデンウィークの内容などは、すべてその山田方谷について書いている。実際に、あまり多くの負担を領民(当時は備中松山藩)に負担を掛けずに10万両の借金を7年で10万両の貯金に作り替える、その経済政策や藩政改革に成しては見事といわざるを得ない。

特に「領民に負担なく」または「密輸などに手を出さず」に行ったということがもっともすごいところではないか。

 さて、その山田方谷と渋沢栄一は、山田方谷の弟子である三島中州(二松学舎大学創設者)の弟子が渋沢であるということを考えれば、それなりに面白い。

この二人の共通点は「幕末期に米本位制から貨幣経済に大きく舵を切った改革者」ということが言える。もちろん、農村出身で、なおかつ幼少期から青年期にかけて商売(山田方谷は油・渋沢栄一は藍)を行っているということもあるが、そのことから武士でありながら商才を持っているということが言えるのではないか。

 一方二人の違いは、山田方谷は「快風丸」という船を購入し、船の運用という組織運用を行い、その組織的に金銭を稼ぐということを中心に物事を行っているのに対して、渋沢栄一は、パリに直接出向き、現場において技術開発と資本ということを学んだということから、投資または株式の運用ということをよく学んでいる。

そのことから山田方谷の弟子は、「大学の創設者」などの組織運用者が多く、イニシャルコストとランニングということで考えられるのに対して、渋沢栄一は、自身が会社を運営するということは少なく、主に銀行家として投資をするということが中心になっている。

 その渋沢栄一の起源ともいえるものが「パリ」であることは間違いがない。

今回もそのパリにおいて渋沢栄一が受けた衝撃や新鮮なしようの空気、そしてエレベーターや蒸気機関など、最先端の技術のすばらしさなどを受け入れるということがうまく描かれている。

 「郷に入っては郷に従え」という言葉が、劇中で出てくる。徳川昭武の周辺の人々が日本の武士というものを捨てきれない、フランスのような異国において自国の小さなルールに縛られている姿が描かれているのに対して、渋沢は、「値切る」とか「アパートに住む」などということを行い、「効率的に物事を考える姿勢」が見えてくる。

このような中に、明治以降の他の武士と渋沢の違いを描いているのではないか。人間が何か新しいものを受け入れるときに「相手の懐に入って物事を考えることができるか」つまり「郷に入れば郷に従え」で物事を解釈するだけの頭の柔軟性があるのかということが最も重要なのではないかという気がするのであるが、そのことがVFXで描かれたパリの中で、かなり面白く、そして教訓めいた感じではなく描かれているのである。

 このような内容を見て、かたくなに自分のやり方に固執しながら、他を受け入れられないような人が少なくなく、そして、そのような性格が災いして他者との関係がうまくゆかなくなったり、自信を傷つけて鬱病になってしまったりという人が少なくないが、渋沢栄一の姿を見て何か学ぶことができるのであろうか。

今回そのような教訓がなんとなく感じられれば、何か面白い未来が、視聴者にも見えてくるのではないかと思う。