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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

1019年7月30日記事から、ディレクターズカットお届けします

2021.07.13 22:00

彼の名はヴィクトル・ユーゴー、サンドのサロンにも招かれショパンも知り合いだった。その、ユーゴーが1845年7月5日、サン・ロック通りのアパルトマンで、画家のオーギュスト・ビヤールの妻レオニー・ビヤールとの不倫現場を警察に押さえられ投獄された事件があった。ショパンはそのスキャンダルをワルシャワのルドヴィカにも伝えた。ユーゴーはルイ・フィリップの長男オルレアン公フェルディナン・フィリップの結婚式に呼ばれるなど、オルレアン公妃エレーヌが大のユーゴーファンであったためルイ・フィリップのお気に入りであった。

「画家のビヤールの奥さんとの不倫現場を取り押さえられたユーゴーは、ビヤールに訴えらえれましたが、協議離婚に落ち着きました。その後、ユーゴーは旅に出ました。ユーゴー夫人は、ビヤールの妻を庇護下に置いたため、ユーゴーはジュリエット(ユーゴーの愛人)と一緒に家を出て行きました。

ジュリエットは10年以上前からポルト・サンマルタン劇場の有名な女優でユーゴーの情婦でした。

ユーゴには妻子があり、道徳的な詩を書いていましたが、彼の子供たちと家族の道徳性に関する彼の詩はこのスキャンダルで一瞬にして消え去りました。」

ショパンはユーゴーの不祥事をパリの新聞記事に書いてある通りにルドヴィカに伝えた。しかし、ユーゴーはフィリップ王に気に入られていたため、この事件は

名前を伏せて報じられた。そして、この事件でショパンが嫌いなフィリップ王が取った措置とは、ヴィクトル・ユーゴーの刑を軽くするために、被害者であるビヤールにヴェルサイユ宮殿の壁画を描く仕事を与え、ビヤールの妻レオニーは修道院で数ヶ月の謹慎処分としたのだった。

ショパンは、ルイフィリップのお気に入りは=サンドと関りがあるとは所詮こんなものだということをルドヴィカに更に加えて書いた。

「それは本当に面白い話です。その事実を追加します。

ヴィクトル・ユーゴーは40代のふりをいつもしています。(実際はこのとき26歳)

とても真面目で、誰よりも優れているようなことを書いていますが実は彼は噓つきで虚像でしかありません。

僕はあなたにたくさんのニュースをこれからも伝えようと思っています。」

ショパンのワルシャワの家族へ宛てた書簡は何日もかけて書いているため、長くなる・・

「僕はパリのフランショームからとロゼール譲からの手紙を受け取りました。

僕のアパートをロゼール譲が探してくれています。」

ショパンは、今度こそはサンドとは別れてひとりで住もうと密かに考えていた。

そして、ショパンが気になっていたベートーヴェン記念の除幕式の話である、ショパンは裏を取るためにフランショームに詳細を書いてくるように頼んであったのだ。待っていたフランショームからの手紙がショパの手元に届いた。

「フランショームの話によるとフランソワ・アントワーヌ・アブネックは

ボンのベートーヴェン祭に行くそうです。リストはカンタータを書きました。

リストの指揮で歌われます。シュポーアは演奏会の夕べで指揮をします。

ベートヴェン祭は3日間続きます。」

ショパンにはベートーヴェン記念碑の除幕式の除幕係の話は来たが、出演依頼はなかったことが、書簡を書き始めた数日後のフランショームからの手紙でわかった。

ショパンは数日前までは姉ルドヴィカに除幕式に姉も来てくれたら勇気を振り絞ってでも行こうと思う、けれど、なにかリストの企んだ落とし穴があることはわかっているため、それは自分をいじめることになるから本当は行きたくないのだと書いていた。

たが、ショパンはフランショームから来た手紙を読んで、ショパンの予想は的中した。

ショパンは行かないことを心に決めたとルドヴィカに書いた。

リストのカンタータとは、ベートーヴェン記念碑除幕式のために書かれた

〔ベートーヴェン記念碑除幕式のための祝祭カンタータ祝祭カンタータ〕であり、ショパンは何も知らずに行った場合、リストの指揮で演奏されるリストのカンタータの前で除幕係をさせられ、だまし討ちに遭わされるところであったのだ。

この企みはリストの企みか愛人のダグー・マリーか、またはシューマンかメンデルスゾーンか…。