黄泉比良坂
Facebook・清水 友邦さん投稿記事 「黄泉比良坂(よもつひらさか)」
母親は優しい母と不機嫌な母の二面性をもっています。
母親は自覚のないままに感情的になり子供を傷つけてしまうことがあります。
子供に母親にたいする憎しみが生まれると、愛する対象を憎むという葛藤にさいなまれることになります。
母親にたいする攻撃性が心の中の罪悪感となると心の痛みが生じます。
母親への愛の中に怒りを混入させたまま、大人になり恋愛に傷つき、愛が冷めて終わりを告げるときに、愛は憎しみと怒りに変わります。
その人の心は愛と憎しみの両極の間で揺れ動き、関係性の中で苦しむ事になります
神話のイザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊射奈美、伊弉弥)は優しい母性と鬼のような母性の二面性をもっています。
火の神のホノカグツチ(火之迦具土)の神を産んだ後、イザナミは陰部を大火傷して病気になり、しばらくして亡くなってしまいました。
どうしても死んでしまった愛妻にもう一度逢いたくなった夫のイザナギ(伊邪那岐/伊弉諾/伊耶那岐)は死者がいる黄泉国を訪ねました。
黄泉国でイザナギが「どうか帰ってほしい」と訴えると妻のイザナミは「帰れるようになんとか黄泉の神様に相談してみましょう。どうか私を見ないでください。」と言い残して奥に消えていきました。
禁止されるとしたくなる衝動欲求を心理的リアクタンスといいます。
人は自分で意思決定をしたい欲求を持っているので他人から制限をかけられたり、強制されると、それに逆らおうとします。
お互いの自由を尊重しない関係性はやがて破局に向かいます。
妻がなかなか戻ってこないので、しびれを切らしたイザナギは約束を破ってとうとう禁止された奥を覗き見してしまいました。
イザナギが見た妻の体は腐乱して、たくさんの蛆虫がたかり、頭、胸、腹には雷神がいました。
イザナギは、変わり果てた 妻の姿に恐怖して逃げると、イザナミは髪を振り乱して「よくも恥をかかせたわね」といい黄泉醜女(よもつしこめ)にイザナギを追いかけせました。
見るなと言われたのに見てしまうことで罪悪感が生まれます。
妻のイザナミの腐乱死体を見たイザナギは逃げますが人は強い恐怖感を伴う体験をすると直面しないでそこから逃げることで心理的ショックを回復しようとします。
あまりにも妻のおぞましい姿を見て無自覚にも反射的に逃げしまったイザナギでしたが、そこで逃げないで立ち止まり、時間をかけて、妻の死を受容して、自分の内側に沸き起こる、あらゆる矛盾や否定的な感情を受け入れたならば「恥をかかされた」とイザナミも怒ることなく癒されたでしょう。
死者の遺体が腐敗・白骨化して霊魂が地上から離れるまでの期間を殯(もがり)といいます。
心理的には死による喪失感が癒されるまでの期間となります。
もし、悲しみを心に閉じ込めて逃げてしまえば殯(もがり)が終わらないことになってしまいます。
生きることは喜怒哀楽の連続で生老病死は誰も避けることができませんが、
人間が成長するための通過儀礼とすると、
すべての否定的な経験は肯定的な経験に変容します。
心の痛みは心の全体性を取り戻そうとするときに起こるので、
否定したり、逃げたりせずに
しっかりと自分と向き合い
そのプロセス全体を経過することができれば
自己の枠組みが広がります。
心の痛みは本当の自分に気づくきっかけになります。
精神的な危機を乗り越えて回復する能力をすべての人間は潜在的に持っています。
その鍵は恐怖や不安、悲哀から反射的に逃げて
今ここにいられない自我に同化することをやめて
本当の自分(あるがままに観照している自己)に
気づくことができるかどうかにかかっているといえるでしょう。
******* 古事記 *******
火の神のホノカグツチ(火之迦具土神)の神を産んだ後、イザナミは陰部を大火傷して病気になり、しばらくして亡くなってしまいました。
イザナギは嘆き悲しみ、ホノカグツチを恨んで十拳剣(トツカノツルギ)でその首を斬り落としてしまいました。
どうしても死んでしまった愛妻にもう一度逢いたくなったイザナギは死者がいる黄泉国を訪ねました。
「どうか帰ってほしい」と訴える夫イザナギに妻のイザナミは「帰れるようになんとか黄泉の神様に相談してみましょう。その間どうか私を見ないでください。」と言い残して奥に消えていきました。
妻がなかなか戻ってこないので、しびれを切らしたイザナギは約束を破ってとうとう禁止された奥を覗き見してしまいます。
イザナミの体は腐乱して、たくさんの蛆虫がたかり、頭、胸、腹には雷神がいました。
イザナギは、変わり果てた 妻の姿に恐怖して逃げると、イザナミは「よくも恥をかかせたわね」と髪を振り乱して怒り、黄泉醜女(よもつしこめ)にイザナギを追いかけせました。
黄泉醜女(よもつしこめ)からイザナギは何とか逃げましたが、次にイザナミの体から出た1500人の黄泉の軍隊が追いかけてきました。
イザナギは十拳剣(トツカノツルギ)を振るい蔓(つる)の髪飾り、櫛、などを次々と投げ捨てて黄泉比良坂(よもつひらさか)まで辿りつきました。
神話の英雄は冒険の旅でしばしば恐怖、怒りの感情を表し復讐や戦いの中で「最大の試練」を迎えます。
最後の難関で邪悪な怪物に追い詰められますが手に入れた魔法のアイテムを使い追跡をかわし危機を脱出します。
これは神話の構造でマジックフライト(呪的逃走)と呼ばれ映画の脚本に応用されています。
イザナギが黄泉比良坂に成っていた桃の実を三つ投げ捨てると追っ手は黄泉の国へ逃げ帰りました。
そこでイザナギは「葦原の中つ国(人間の住む世界)の人間たちが、つらいことや苦しいめにあった時に私と同じように助けてやってほしい。」と桃の実にオホカムヅミ(意富加牟豆美命)と名を授けました。
やっとの思いで黄泉の国を脱出したイザナギは、千引(ちびき)岩(千人でやっと引き動かすことのできる大きな石)で出口をふさいでイザナミに離別を言い渡しました。
「あなたが、このようなことをされるのならば、わたしは一日にあなたの国の人たちを千人殺しましょう。」とイザナミがいうと
「あなたがそうするなら、わたしは、一日に千五百の産屋(出産のために建てる家)を建てましょう。」とイザナギがいいました。
地上世界と根の国の境、この世とあの世の境目にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の場所は日本書紀と出雲風土記によると島根県松江市東出雲町揖屋に鎮座する揖夜神社(いやじんじゃ)の南東2キロの平賀(ひらか)地域が伝承地とされています。
黄泉比良坂にはもう一カ所あり、島根県の出雲市猪目町の猪目洞窟(いのめどうくつ)で、黄泉の穴と呼ばれています。
https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/koho/esque/2011/81/02.html 【黄泉の世界に通じる黄泉津比良坂】より
古事記神話に登場するイザナキ、イザナミの夫婦神は日本の国土と多くの神々を生み出したことで有名ですが、
二人が現世と死後の世界に引き裂かれた舞台となったのが、松江市東出雲町にある黄泉津比良坂(よもつひらさか)といわれています。
静かなたたずまいの中、黄泉(よみ)の国への入り口をふさいだ大きな岩が神秘的な雰囲気を醸し出しています。
黄泉の世界に通じる黄泉津比良坂
この世とあの世をつなぐ舞台といわれる根拠は、黄泉津比良坂の近くにあるイザナミを祀(まつ)った揖夜(いや)神社が、
出雲国風土記に「伊布夜(いふや)社」と記され、古事記では「出雲の国の伊賦夜坂(いふやざか)」と記されていることから、
伝承地とされています。
揖夜神社は出雲地方でも最古級の一社で、堂々とした大社造りの本殿は風格が感じられ、
拝殿に置かれた円鏡に写し出された光景はどこか幻想的です。
黄泉津比良坂は国道9号から約300メートル南に入ったところにあり、
切り取った斜面に人の手では抱えきれないほどの大きさの岩が3つ置かれています。
黄泉の国から追いかけてきた変わり果てた姿の妻イザナミを食い止めるために、イザナキがふさいだ岩といわれ、
静けさが漂うなかに神話の舞台の神秘性が感じられます。
また古事記では、イザナミを葬った地が出雲と伯伎(ははき)(伯耆ほうき)の国境にある「比婆之山(ひばのやま)」と記されています。
その伝承地の一つが県境に近い安来市伯太(はくた)町の比婆山で、ふもとにはイザナミを祀る久米(くめ)神社があり、
山頂には奥宮が鎮座します。
現世と死後の世界の境界にまつわる伝承は、出雲国風土記にも「黄泉の穴」として登場します。
この穴の有力候補の一つが日本海に面した出雲市猪目(いのめ)町にある猪目洞窟(どうくつ)遺跡で、
昭和23年に縄文時代の土器や弥生時代と古墳時代の人骨、火をたいた跡などが見つかりました。
考古学的資料の発見は、神話の世界を身近に感じさせてくれました。
このほか猪目洞窟に近い山の中腹にも、地元で「冥土(めいど)さん」と呼ばれる直径50センチほどの黄泉の穴があります。
https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/koho/esque/2011/81/01.html 【石見のスサノオ伝説】より
ヤマタノオロチ退治で名高いスサノオノミコトの伝説は大半が島根県の東部に当たる出雲地方が舞台となっていますが、西部の石見地方にもスサノオ渡来伝説が残る地があります。
そこは県のほぼ中央部、日本海に面した小さな集落、大田市五十猛(いそたけ)町です。
石見のスサノオ伝説
石見地方への渡来伝説は、日本書紀の異伝として残されています。
高天原(たかまがはら)から追放されたスサノオが子どものイソタケルらとともに朝鮮半島の新羅(しらぎ)の国へ天下り、のちに舟で東に航海して日本に渡り、簸(ひ)の川上にある鳥上の峰に至ったと記されています。
上陸地について日本書紀には何も記されていませんが、五十猛町の住民の間では古くからこの地が上陸地だとの言い伝えが残されています。
地区内にはスサノオ一行が舟をつないで海岸の様子をうかがった神島(かみしま)、一行が上陸した浜辺の神上(しんじょう)、
スサノオと子どもたちが別れた神別れ坂といった、伝説を物語るゆかりの地名が点在します。
また、港の傍らにはスサノオを祀(まつ)る韓神新羅(からかみしらぎ)神社があり、いかにも朝鮮半島からの渡来を連想させます。
近くにはイソタケルを祀る五十猛神社のほか、イソタケルの妹オオヤツヒメを祀る大屋姫命(おおやひめのみこと)神社や妹のツマヅヒメを祀る漢女(からめ)神社もあり、古代ロマンを感じさせます。
古事記編さん1300年を機に、五十猛地区では市内の歴史ファンを中心に神話学習講座を開くなど、あらためて住民意識の高揚に努めています。
五十猛歴史研究会事務局の林能伸(はやしよしのぶ)さんは「ガイドを養成するなどして、訪問客に地域の魅力を伝えたい」と話しています。