「限界芸術」としての「家」と「地区」 ー『家と地区の再構築』
無名でたったひとつの〝家〟と〝地区〟が、その時代の象徴としての「存在感」を持つことが出来るのか。
限界芸術(げんかいげいじゅつ)とは、哲学者の鶴見俊輔が、芸術と生活の境界線上に位置する広大な領域、専門的芸術家によるのでなく、非専門的芸術家によって作られ大衆によって享受される芸術を指していったもの 。
鶴見の見解によれば、marginal art、言い換えれば中心と周縁(辺縁)という座標系のはみ出し部分にある芸術ということである。
『侘び寂び』の小家。ー
徹底したローコスト・ローテクニック、
廃屋・廃家具・廃家電を使ってリノベーション。
「侘び寂び」住居のコンセプトは空き家・古家の廃材と廃家具、廃家電の活用よるリノベーションだ。残置された家具などを解体して、床・壁・天井などの補修に充てるという、身の回りの資源を徹底的に利用したアラウンド・リソースという考え方である。
『損壊と再構築の芸術』ー
オルタナティブなシンギュラリティ
「芸術」が未来の選択肢を示した
バウヒュッテー小建築運動
(RE)d HoUSEレッドハウスの形象
バウヒュッテー小建築運動は、存在に依拠し、存在を変容させ、存在を生産し、存在を再生産する実践のことだ。工芸家がコンセプトだけ出して、実際のモノを作らないのは卑怯だ、工芸家にとっては形象が全てであり、それが工芸家にとっての誇りなのである。
想像力(構想力)と実践というふたつの表現は、ほぼ同義語であり、互いに異なる機能によってではあるけど、それでもなお、同一の空間ーすなわち、物事をなすための空間、とりわけ、詩的なものをなすための空間ーをカヴァーしているものなのである。
HECPは〝芸術〟を〝国家〟や〝都市計画〟のような「大芸術」と〝家〟や〝地区〟という「小芸術」に二分しつつも、決して対立概念ではなく、独立した〝層〟として二者を分離できない「芸術全体」という枠組において把握していることを示している。両者を「芸術全体」へと再融合すべく、日常生活の「小芸術」に足掛かりを求めるのである。「小芸術」とは具体的には〝家〟や〝地区〟という「家造り」「家具木工」「小物雑貨」などの工芸であるとされ、日常生活において一般の民衆によって使用されるものの表象を意味する。豪邸であれ、バラックであれ、あらゆる所に簡素が必要である。
バウヒュッテの小建築の核心は『家』にある。芸術的表象は〝家〟を工芸的側面だけではなく、「住まい=Home」という生活の場として捉え、「家」づくりを「全ての始まり」とする。初発的なものとして日本の各地において〝家〟と〝地区〟の表象を展開していき、究極的には世界中の多くの〝無名な人々〟が〝自己学習〟により、自足的に家を構えることを理想とするのである。
バウヒュッテ運動とは、日本発のリ・コンシャスな建築によるソーシャル・ファブリック・ムーブメント(社会骨格運動)である。その舞台となるのは、世界中の被災地区・紛争地区、そして貧困地区だ。
“ハウス・イズ・ヒューマニズム”の第一歩は
「湧活(エンパワーメント)の場をつくること」
蒲生三丁目の家はハウス・イズ・ビューティフルの町屋リノベーションとはアプローチが異なる。リッチ与件である貧困地区、被災地区や紛争地区において、損壊と再構築の実現可能性の高いモデルであり、その主体となるのは小工と呼ばれる建築経験のない、高齢者 障がい者・女性・子供たちである。このハウス・イズ・ヒューマニズムは決して立派な家ではなく、この小さな家は立派ではないことがレゾンデートルなのである。