イシガ・オサム と「Fantomo Etiopia」
ボクがエスペラントをはじめた際、運動史の本を読む中で「イシガ・オサム」という人物に興味を持った。スウェーデンの作家セルマ・ラーゲルレーヴの作品を訳した翻訳家、第二次大戦中に兵役拒否を実践した人物としても知られている。
イシガが兵役拒否の経緯をつづった手記「憲兵と兵役拒否の間」(*1)の中で、”・・・「エチオピアの亡霊」のペンネームでエスペラント雑誌に投稿したり、はかない抵抗の姿勢を続けていたが・・・”と書いている。イタリアがエチオピアに侵攻した「第二次エチオピア戦争」を受けてのペンネームと思われ、前後の文脈から判断すると、1935-1940年くらいのことであろうか。ずっとこの「エチオピアの亡霊」を探していたが、それらしいものがやっと見つかった。
『La Revuo Orienta』7(3)[1939.3]の「和文エス訳研究室 (3)」p.31、7(4)[昭14.4]の「同 (4)」p.27、7(6)[昭14.6]の「同 (6)」p.33の成績発表にそれぞれ「Fantomo Etiopia」(エスペラントで「エチオピアの亡霊」の意)の名がある。(ちなみに、7(5)[昭14.5]「和文エス訳研究室 (5)」p.15「成績発表」では、「Isiga-Osamu」と本名で載っている。)
ただし、同時期に『La Revuo Orienta』に寄稿している記事は、いずれも本名の「イシガ・オサム」または「Isiga-Osamu」で、「Fantomo Etiopia」名義の記名記事は見つからない。
エスペラント雑誌ではないが、『学士会月報』587号(1937.2.20)に、「Fantomo Etiopia」名義で”「持てる国」と「持たざる国」”という記事が掲載されている。
内容は、木下杢太郎が「縦組・横組」(*2)という新聞記事でローマ字論者を批判したのに対し、一部反論している。イシガ自身が学士会会員であること、またローマ字論者でもあり、同誌588号に掲載された田中館愛橘の論考「日本に於けるローマ字書きの發達及び正字法の制定」を、雑誌『Latinigo』用に要約・エス訳していること、本文中でエスペラントにも言及していることを考えれば、イシガ本人によるものであることが濃厚だ。
ほかにも「Fantomo Etiopia」は存在するのだろうか。海外雑誌で可能性があるとれば、WRI(War Resisters' International)の機関紙『Mliritrezistanto』、KELI(Kristana Esperantista Ligo Internacia)の機関紙『Dia Regno』あたりだろうか。引き続き調査したい。
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(*1)イシガ・オサム「憲兵と兵役拒否の間:神を信じて生きるよろこびについて」『文芸春秋』44(3)[1966.3], pp.252–262.
(*2)木下杢太郎「縦組・横組」『東京朝日新聞』1937.1.13-17(全5回の連載)