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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

仏王処刑1-「いいえ革命でございます」

2021.07.15 08:24

1789年7月14日、ラファイエットの仲間のリアンクール公がバスティーユ陥落の報を国王ルイ16世に伝えた。国王は「暴動かね?」と聞くと、彼は「いいえ陛下、革命でございます」と答えたという有名なエピソードがある。ルイ16世も彼に詳しくきくことでようやく事態の深刻さを呑み込めた。

16日国王会議が開かれたが、ブログリー元帥は、パリ攻撃はできないと言った。王妃と王弟は、脱出を主張したが、元帥は安全が保障できないと言う。パリではパリ代官も処刑され、国民議会議長バイイが市長となり、ラファイエットが市民軍の司令官に就任した。

17日、国王は簡素な出で立ちで、パリに出発した。その後のヴェルサイユに居る市民のほうが多かった。そしてパリでは新市長バイイが迎え、国王万歳が響いたのだ。バイイはパリの鍵を渡してアンリ4世のパリ入城になぞらえた。「アンリ4世は人民を征服しましたが、今や人民が国王を征服したのです」

ルイ16世への国民の期待は、国民と和解して、ナント勅令を発したアンリ4世の役割だった。市庁舎前には「フランス国民の父にして、自由な人民の王ルイ16世」と書かれたアーチがあった。ラ・ファイエットは、パリ市民軍の赤青にブルボン朝の白を入れた。これが三色旗の始まりと言われる。