雲-ロールシャッハ
https://yuza2chiwari.wordpress.com/2009/11/07/%E9%9B%B2%EF%BC%8D%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%8F%E3%80%80/ 【雲-ロールシャッハ 】より
高校生の頃、学校のグランドの草の生えた所に寝転がって、流れ行く空の雲を眺めていたことを思い出します。
そんなことを思いながら、空を見上げ慌ててシャッターを切るのですが、今は、ご覧のように画面に電線が入らないということはまずありません。必ずと言ってよいほど電線が画面を横切ることに気が付きます。
ところで、この雲は何に見えますでしょうか。
学生時代、インクの染みで作られた左右対称の図を見せて、何に見えるかを尋ねて、その答えによって性格の深層部を知ることが出来るといわれるロールシャッハテストを勉強したことがありますが、左右対称ではないし、この上の写真が何に見えるかは性格には関係ないと思いますが、何に見えますでしょうか。
私はこのように見えるのだがといくら説明しても、そのようには見えないと断言されました。性格の違いによるものでしょうか?
雲は一瞬のうちに形を変えてしまいました。
午後池へ。今日は珍しく雲一つ無い晴天。岩手山を撮ろうと思って行ったのだが、秋晴れにしては少々靄がかかってすっきりしない。しかたなく盛りを過ぎた紅葉を。白鳥はまだ50羽ほど。
https://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%8F-%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88-%E7%99%BA%E6%98%8E-%E3%81%A9%E3%81%93/46539744 【無意識を映し出す性格検査「ロールシャッハ・テスト」】より
今から100年前、スイスの心理学者ヘルマン・ロールシャッハは、厳選された10種類のインクの染み(インクブロット)を発表した。インクの染みを見て何を連想するかで、深層心理が分かるという。この心理テストは、ポップカルチャーや戦争といった分野で応用され、世界的に有名になった。
冷戦時代、戦いは頭の中でも繰り広げられていた。米政府はそのため、「ソビエト人の心理」や「アフリカ人の心理」、「非ヨーロッパ人の心理」などを解明する取り組みを積極的に進めた。その秘密兵器の1つが、文化の異なる人々の性格や個性を明らかにできるという心理検査「ロールシャッハ・テスト」だ。
1941~68年の間に世界中の研究者がロールシャッハ・テストに関して発表した論文は約5千件に上る。米国西部の先住民ブラックフット族に始まり、ミクロネシアの小さな環礁イファリクの住民に至るまで、世界中の人々がロールシャッハのテストカードを見て何を連想するかを答えなければならなかった。
米国防総省が心理学者のチームをベトナムに派遣したとき、冷戦によって高まった心理学への期待は最高潮に達した。戦争で荒廃したこの国に「平和、民主主義、安定」をもたらすには、現地の人々の心をつかみ理解を得るためのプロパガンダが必要だった。
66年、コロンビア大学の講師で心理療法家のウォルター・H・スロートはサイゴンに7週間派遣された。「ベトナム人の性格」を調査するよう命じられた彼は、精神分析とロールシャッハ・テストを用いて研究に着手した。
この性格検査を発明したロールシャッハがもしそれを聞いていたら、草葉の陰で嘆いていたに違いない。芸術家、そして精神科医だったロールシャッハは、スイス東部の人里離れたヘリザウの施設で精神科医として単身で働いていた。1917年にインクブロット法を発案し、21年に発表。オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトの精神分析に非常に興味を持っていたが、その内容を支持していたわけではなかった。フロイトと弟子たちはいずれ「地球の回転まで精神分析で説明する」ようになるだろう、とロールシャッハは同僚に冗談を言っていたという。
彼自身はチューリヒでスイス人精神科医カール・グスタフ・ユングに師事した。ユングはそこで「無意識」を導き出す初の臨床試験「言語連想検査」を考案した。あるものを見て連想する内容からその人の内面を導き出すユングの手法は、ロールシャッハにとって画期的な発想だった。
精神分析を考案したフロイトは雄弁な人物だった。彼が精神分析に「失言」、つまり「何を言い、何を言わないか」に焦点を当てたのは偶然ではない。
それに対しロールシャッハは、目で見るものも同じように心理状態を明らかにすると考えた。彼は学校で「クレックス(染み)」というニックネームで呼ばれ、画才があることで知られていた。だが彼の画家としての才能よりはるかに重要なのは、世界は人によって見え方が異なり、その違いを無視してはいけないと理解していたことだろう。ロールシャッハは、それが人間の思考の仕組みを示していると確信していた。
試行錯誤を重ねた後、ロールシャッハは10種類のインクブロットに絞り込んだ。そしてこれらの絵を特定の順番で被験者に見せながら、自由に答えられるよう「これは何でしょう?」とだけ質問をした。ロールシャッハの絵は、偶然にできたインクの染みではない。どれも単なる曖昧性を超えた視覚的なクオリティを持ち、定義しがたい神秘的なオーラを放っていた。
この10枚のインクの染みは、1世紀過ぎた今も使われている。絵は全体として捉えるのが非常に難しく、全体像を説明できる人もいれば、細部にこだわる人もいる。被験者は、絵の中で特に何に意識を向けているか?1つの要素から別の要素にすぐ移れるか?絵の中に動きや生命を見出しているか?それとも単に冷たく命のない図形にしか見えないのか?
中には1つ、誰もがコウモリや蛾に似ていると表現するインクの染みがある。被験者は、他の被験者と同じような表現を繰り返すか、それとも独自の表現にこだわっているか?検査に使うカードを作るのはアーティストだが、テストの結果を評価するには科学者としての知識が必要だ。ロールシャッハは、被験者の回答にコードやスコアをつけて採点するシステムを考案した。中でも回答の頻度に注目し、「全体に関する回答」、「詳細に関する回答」、「動きに関する回答」に分類した。
このテストでは、記述の中からパターンや比例関係を見つけ出し、ありきたりな連想に留まらない分析を行う。インク染みが母親に見えたとしても、母親に執着していることにはならない。ロールシャッハも当初は自分の手法を「検査」とは呼ばず、むしろインクの染みを観察する知覚的な実験と捉えていた。人が視覚情報をどのように処理するかに興味を持っていたロールシャッハは、やがて被験者の種類によって染みの見え方や表現が異なる傾向があると気付いた。
ロールシャッハは、インクブロットテストが中途半端で役に立たないと分かっていた。科学者にとっては感情的すぎ、精神分析学者にとっては構造的すぎたのだ。1921年、彼は同僚に宛てた手紙の中で、こう書いている。「この研究は、分析心理学と専門心理学という2種類の心理学的思考から生まれた。しかしその結果、専門の心理学者は分析的すぎると感じ、精神分析者の大半は、カードの解釈に固執して形式に対する感覚がないため、この研究を理解できないという状態だ。しかし重要なのは、テストが機能していること、つまり驚くほど正しい診断ができるということだ。だから余計に目の敵にされる」
翌22年にロールシャッハが盲腸炎で37歳という若さで急逝すると、あとにはテストだけが残された。ロールシャッハの母国スイスでは、主に就職面接や職業適性検査のツールとして用いられたが、生前に著名な心理学者の機嫌を損ねたドイツではあまり普及しなかった。
それでもロールシャッハ・テストは世界中に広まって行った。1925年、日本の心理学者、内田勇三郎が東京の書店でロールシャッハの著書「精神診断学」を見つけ、出版からわずか4年で心理学にインクブロットが導入された。日本では依然として最も人気のある性格検査だ。アルゼンチンでも広く利用され、トルコでは利用が増えつつある。一方、ロシアとオーストラリアではマイナーで、英国では全く評価されなかった。
ロールシャッハの亡き後、テストは世界各国で独自の発展を遂げていった。とりわけテストが劇的に台頭し、文化に深く浸透したのは米国だった。フロイト精神分析の全盛期だった20世紀半ば、延々と続くトークセラピーよりもはるかに早く、安く効果が得られるとうたわれたロールシャッハ・テストは、「無意識を投影するレントゲン」として迎えられた。。
だがそのため、テストは非常に馬鹿げた方法で利用された。知覚様式の研究や精神疾患の発見に加え、実際に人の考えを読み取れると期待されたからだ。ロールシャッハ・テストは、世界中の人々の想像力をかきたてた。インクブロットは、フィルム・ノワール(米国の犯罪スリラー映画)や香水の広告に登場し、今もミュージックビデオで見かけることがある。
だがロールシャッハ・テストはもっと深刻な用途にも使われた。第2次世界大戦中、米軍はパイロットや兵士を選別するためにテストを利用した。「自殺カード」と呼ばれるインクブロットに対し、死に関する回答が多すぎた人は、電気ショック療法の候補者となった。
ロールシャッハがそれを聞いたら、きっとショックを受けていたに違いない。彼はかつて、大学の適性テストにインクブロットを使いたいという人に宛て、「もしテストが悪かったせいで、大学に通う幼い頃からの夢が断たれる若者がいるかもしれないと思うと、心苦しい気持ちになる」と手紙を書いている。
66年、前出のウォルター・H・スロートは、ベトナム人の精神状態を知るには家族の力関係が「鍵」になると結論づけた。ベトナム文化では権威的な親が理想とされ、親への敵意は全て抑圧される。そのためベトナム人は満たされない、不完全な思いを抱えていたとスロートは主張する。彼らは本当は「優しくて愛に満ちた父親像を探している」だけで、「権威に抱かれたいという、時に切ないほどの願望」を持ち、米国には「全能の、全てを与える父親像」を見出していたという。
つまり、ベトナム人は心の奥では反米ではなく、親米なのだとスロートは結論づけた。同時に、残念ながら「批判的な自己評価が著しく欠如している」とも指摘した。
後から思えば、実はスロート自身に批判的な自己評価が著しく欠如していたことがよく分かる。スロートは、ベトナム人が米国人を憎む理由として十分な政治的、歴史的、軍事的側面を全て無視していたのだ。しかし彼の導き出した結論は、まさに当時の米国人が聞きたかったことのようだ。66年の米紙ワシントンポストの1面記事は、スロートの研究を「まるで催眠術のように魅力的」と評し、サイゴンの政府関係者は「非常に鋭敏で説得力がある」と評価した。
こういった奇抜な方法で応用された結果、テストは当然ながら広く批判を浴びるようになった。60年代後半には、フロイトとともにインクブロットも失墜した。以来、英国や他国ではテストに対する評価が回復することはなかった。一方、アメリカでは70年代に測定可能な結果が重視されるようになり、テストが刷新された。賛否両論はその後も続いたが、同じ10枚のカードが1世紀に渡って使われ、研究されてきたということは、数多くのデータが蓄積されたということでもある。
精神科医が気ままに結論を出すための道具としてではなく、適切に使用されれば、ロールシャッハ・テストは有用な結果をもたらすと最新の科学界では認識されている。2013年に主要な心理学雑誌で発表された大規模なメタスタディは、(ロールシャッハがテストを使用した目的に本質的に対応する)特定の用途が、実は科学的な支援に値することを示し、このテストを声高に批判していた一部の人たちをも納得させた。
とは言え、テストはいまだ魔法の薬と呼べるものではない。人の心は今も昔も、不可思議な存在であり続ける。