2014 新春鼎談
いつもの3人が奈良の洒落たイタリアン・レストランに揃って、昨年を振り返りながら新しい2014年について話が弾みました。
T:谷村英司 N:中白順子 M:松嶌 徹
T:あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
N:おめでとうございます。旧年中はお二人にはいろんな面でお世話になりました。本当にありがとうございました。本年も相変わらずよろしくお願いいたします。
M:こちらこそよろしくお願いします。特に去年は福山で開催されたフェスティバルではワークショップを含めて3日間のご指導、ありがとうございました。
T:さて、今年はどんな話題から始めましょうか。やはりニュースとしては去年のフェスティバル後、順子さんのATIの年次総会、AGMへの参加でしょうか。そこで順子さんがスポンサーに承認されました。
M:いえ~い、おめでとうございます(拍手)! これで日本のトレーニーの皆さんが世界組織ATIに所属されるときに、わざわざ外国からスポンサーを招へいしなくてもよくなりますね。今回はカナダのトロントであったんですね。
T:そうですね。このATIのAGMとは如何なるものなのかはこの鼎談とは別に順子さんに同行してくださった船坂孝江さんのレポートをご覧ください。彼女も東京トレーニングコースのトレーニーで頑張っておられます。彼女は英語ができるので順子さんのサポート役として同行して頂いたのです。
N:スポンサーの件では会長や谷村先生に大変お世話かけました。スポンサーになろうと決心したのは、ヘジィー先生が亡くなられたこと、リカ先生がご主人のご病気のため日本に来られなくなったことが理由です。実はリカ先生から数年前に「あなたはなぜスポンサーにならないの?」と言われていました。その時の私は谷村先生もスポンサーだし、沢山スポンサーの先生はいらっしゃるので、私は必要ないと思っていました。そんなことよりリカ先生のワークを深く理解したいという気持ちが強く、自分のことしか考えてなかったんです。でも、去年リカ先生はSTAT(イギリスに本部のある最も歴史のある組織)に入りながら、私達の生徒のためにATIにも入ってくださっているという事実を新たに思い直しました。それに、私がトレーニングコースしていた時も、沢山の方に助けて頂き卒業ができ、ATIに入れたことも思い出しました。それで、私が少しでもATIに入りたいと思っておられる皆さんの助けになるといいと思いました。
T:そうですね。日本でもいろんな方面で着実にATが根付き始めています。ボチボチこのあたりから、欧米に依存した方形からわれわれ日本人主導で進めていっていい時期でもあるのでしょう。当研究会も自分たちの歩みを動ずることなく進めてゆきたいと思っています。
M:やはり気候風土、国民性の違いはATの質の違いをもたらすでしょうから、それが自然でしょう。
T:その一方で国際的なつながりも大切にしてゆきたいですね。質や好み、捉え方の違いがあってもそれを乗り越えたところで仲良く交流していたいですね。
N:今回AGMに参加されていた先生方もそれぞれの教え方ですが、尊重しあってワークショップに参加され、会議も進めておられました。
T:AGMでいろんな教師の方々と親しくなりましたか?
N:参加するのも初めてでしたので、孝江さんと緊張してウロウロしているように見えたのでしょうね。皆さん色々な場所でフレンドリーに声をかけてくださって助けて頂きました。
T:印象に残ったことはありましたか?
N:印象に残ったことですか? 会議がほとんどですので、あまりレッスンは受けていないですが、トミートンプソンさんはもちろんですが、日本で最初にアレクサンダー・テクニークについての翻訳本『姿勢術』を書かれたサラ・バーカーさんです。ワークショップは英語だったので、全て理解したわけではないけど、サラさんが物をタッチした瞬間に、その物とサラさんの体とが一体化している感じで動くのが私には見えました。その物と自分自身とが対立せず、それにもかかわらずそれぞれの認識もしっかりあるという動きが面白かったです。
M:ほう。それは優雅な動きだったんですか? それともスピーディーな感じ?
N:例えば私の場合、ペンを持って何かをペンの先で、タッチしたら自分の指でタッチしているかのように、タッチした物が認識はできましたが、椅子の場合は、大きいし、重いので、椅子の先まで感じることはできませんでした。一体化しているという感じもありませんでした。でも、サラさんはもちろん筋力も使われているのでしょうが、無駄な力が入っていなくて片手で椅子がまるで自分の体の一部かのように動かしておられました。それはスピーディーと言うよりも優雅な、と言った方が近いかもしれません。バイクを乗る知り合いが自分のからだのようにバイクの隅々まで感じながら運転していると言われていたのを思い出します。それに、武豊さんも馬に乗っている時に、同じようなことをおっしゃいていたと思います。
T:それと関係しているかどうかはわかりませんが、私はそれを生徒にハンズオンワークをしている時、生徒と私との関係でそのように感じる時があります。
N:私も生徒さんにハンズオンしている時は感じます。
M:生徒の立場からすると、意図せずにからだが軽く動いているような感じがするときでしょうか。はじめの一瞬の“気配”というか、サインを受けて。外見は操られているように見えるかもしれないけれど、コントロールされている感じでもない…。
M:少なくとも外見は生徒が操り人形みたいに見えますからね。
T:でもこの現象は教師が生徒をコントロールしているわけではなくて、生徒自身のプライマリー・コントロールが働いているのです。
M:本来の生命力が発露しているようなものですね。
T:これは教師の手によって生徒自身のプライマリー・コントロールを誘発した結果なんですけれど、生徒はこの自分自身のプライマリー・コントロールに馴染みがないので自分自身のものだとは信じられません。だから、まるで教師によって繰られているかのように感じるわけです。何度も繰り返し学び続けるとこれは自分自身からやって来たものだということがだんだんと理解できるようになってきます。
サラさんの場合は相手が椅子なので椅子にはプライマリー・コントロールはないのでそういうことは起こりませんが、相手が人間の場合は椅子よりももっとはっきりしたダイアログ(対話)があるので面白いですね。
N:人間の場合は相手の内側の働きや、バランスなど感じながらタッチしていきますが、物は内側の働きはないですものね!
でも、ワークを日常に使えてなかった頃と比べたら、重い物を持って動かすことや、土鍋を洗う時に、腕や肩に重みが前よりは軽減して、からだを動かせてる感じはあります。物との一体化とまではいかないかもしれませんが・・・。
M:いや、一体化でいいんじゃないですか? イチローとバット、シューマッハとF1マシンのような。
T:相手が物でも、人でも、自分と他とのコミュニケーションという視点で内的な動きを観察してみると、自分自身についていろんな気づきがあります。そういう点ではヨガは一人でやるものだからあまり経験されないかも知れませんね。一人静かに自分自身の内側に浸っているということの方が馴染みあるのかもしれません。でも、ここには必ずしもそうだとは言えませんが、ちょっとした錯覚が生じる危険性も秘められているような気がします。
M:“浸っている”、というところですね。「あ~、ワタシはなんて健康にいいこと、オシャレで美しいことをしているんだろぉ~ (^^)」テキな。
T:瞑想なんかもそういうところがありますね。今から考えてみると昔は私も瞑想のそういうところが好きだったというところもあったように思います。自分自身のイメージの中に引きこもってそれを楽しめる。自分自身が作り出したイメージの中ですから安心して楽しめるわけですね。
M:ずいぶん遊びましたねぇ。しまいにはただの幽体離脱じゃなくて宇宙空間に飛び出すアストラル・プロジェクションを目指したり…。ずいぶん懐かしい気がします。
T:もちろん、それらは悪い面だけではなくって、この忙しい世の中に反応しているうちに自分自身を見失なったり、疲れた人にとっては自分自身を見つめ直し、取り戻す可能性もあるわけです。だから私たちはこの両面をよく理解しておく必要があるように思います。
T:そうですね。彼はからだという実際的なものを扱うことによってそういう自分自身の勝 手なイメージの世界へ行くことはなかったんでしょうね。客観的な態度が必要でした。
N:からだを意識的にしてなかった段階から、意識的にできるようになると、客観的に見ている感じしますものね!
T:でも、からだを扱っていれば実際的かと言うと、怪しいところもありますね。
N:からだは置き去りにして、つまり感覚を置き去りにして思考だけで、からだを意識的にしているつもりになっていますよね?
T:つまり自分自身の思考が作り上げたからだを見ている。このことを私はからだを感じていると言っている場合がありますね。
M:それは集中力が散漫になって、たとえば「3時間前のことを思い出しながらアサナをしている」ということではないですね? 自分ではからだを意識しているつもりでも、その誤解は起こるんですか。
T:以前はこういう状況を私も会長がおっしゃるように単に意識がからだに向いていなくて他のことに気を取られている。と考えていましたが、よく考えてゆくとそんな単純なことではないと思うようになりました。そもそも私が自分のからだを感じていると思っているそのからだは私が想像している、つまり思考が作り上げたからだである可能性があると気づき始めました。
N:私がトレーニングコースでハンズオンの練習をしていたとき、ヘジィー先生が「順子さん、あなたの頭を感じるのを忘れていますよ」と、いつもハンズオンする度に指摘されていたんです。今日こそ自分の頭を忘れないでハンズオンしょうと心がけても、また「順子さんあなたの頭忘れています」と言われました。私としては、頭、頭、頭、と思いながらハンズオンしたので、彼の指摘に納得いかず「今はちゃんと頭を感じながらハンズオンしていました」と言い返したら、ヘジィー先生は「違うアタマね!」と言われ、長らくその意味が分かりませんでした。
T:具体的で面白い話しですね。つまり順子さんが感じていると信じていた頭は実は自分の考えていた頭であって、実際の頭ではない。以前から会長と話しているバーチャルな頭、あるいはからだで、ヘズィーさんが言っているのは今ここにある、感覚でとらえた実際の頭だったんですね。それは全然違う頭なのです。トレーニングコースで皆苦しむのはこの違いが分からないところです。
M:指摘されるから苦しむこともできるけれど、ほとんどの場合は周りも本人も気付かないまま生きている…。
T:ちょっとややこしい話しですが、この違いは「観念では決してわからないことだ」ということがわからないのです。だから観念、つまり思考でなんとか理解しようと悪戦苦闘するわけです。しかし悪戦苦闘すればするほど実際から遠ざかり、バーチャルな世界に入って行ってしまうのです。去年のフェスティバルの会長との対談講演でもこの種の話が出ましたよね。緊張していると自分自身で自覚しているのに緊張を解くことができないのはなぜか? といった話題です。
M:そうですね。私は“随意筋”、つまり「自分の意のままに動く筋肉」という名前がつけられている骨格筋なんだから、緊張して固めたり、それが習慣化して歪めているのは誰のせいですか?って問題提起したつもりです。答えは自分ではあるのだけど、もちろん故意ではなく、思考と感覚がずれていることがもたらす状態に原因があるということですね。
そのことに気づいていない場合は自分が大事に手入れしている花壇が、いつのまにかだれかに踏み荒らされた! 思い当たる犯人はいないので、お巡りさんを呼んで調べてもらったら、なぜか自分の靴に土がついていた!というようなものですね。
N:面白い例えですね。でもまさにそんな感じですよ。ハンズオンも同じですよね。「肩や腕の緊張を止めて、任せて」と言われても止められない。だからアレクサンダー・テクニークの場合、教師の指摘と生徒の自覚とがかみ合わない場合が多々あるんでしょうね。先ほどの私とヘズィーさんとの会話のように・・・。
T:そんな感じというのは、自覚がない、つまりそんなことをした覚えがないということですね。まさにF・M・アレクサンダーが指摘したわれわれの“習慣”、つまり首を固くして頭を後ろに下に、背中を短く狭くすることも人間には自覚がないわけです。これが一般にアレクサンダー・テクニークを理解するのが難しいと言われるゆえんです。
M:野生動物たちには顔向けできない、霊長類としてはちょっと恥ずかしいことかもしれません。まあ、動物は花壇を作らないから起こりえないし、この間違いも霊長たる能力の証明なんでしょうけれど。
T:そうですね。F・M・アレクサンダーは、このことを人間だからこそ起こす間違いだと指摘しています。思考が発達した結果なのです。思考は両刃の刃だということなのかもしれません。そして彼はわれわれ人類にこのことを重々承知しておきなさいと警鐘してくれているような気がします。
N:F・M・アレクサンダーも同じことを経験されていますよね! 彼の著書「Use of the Self」に書かれていました。自分ではちゃんと頭を前に上に方向づけたつもりが、鏡を見たら頭が後ろに落ちていたと!
T:そうです、そうです。だから彼の偉いところはこのことを自分自身の経験を通してわれわれ人類の問題点を発見したところでしょうね。
N:でもこのことを、承知してもまたすぐにはまりますね!
T:そこで彼はいつも“抑制”(インヒビジョン)することを忘れないでと言っています。この抑制とはあなたはあなたが作ったバーチャルな世界にいて、バーチャルな現象を見ているのだからそのことに思考で判断し、反応することをストップしなさい。というものです。
M:ストップしてどうするんですか?
T:私の考えではとりあえずストップして、思考を感覚の方にシフトするんです。
M:ただ固まるわけではないですね。そうするとなにが起こるんでしょう?
T:この作業によって私の思考はバーチャルな世界から抜け出し、現実の世界を見るようになります。
M:自分の世界をせっせと創りだしている思考を一旦止めることで、ほんとうのことが見えてくる。“今・ここに居なさい~Be Here Now”という、瞑想的なヨガが目指している態度ですね。
N:リカさんがいつも今ここにあるものを「よく見なさい!」、「よく聞きなさい!」と私たちに言っておられましたね。今はその意味がよく分かります。
T:そうそう。言っていたというような上品なものじゃないものじゃない。叫んでおられました。(笑)
M:通訳でも集中が途切れるたびにギロッてにらまれましたね。
N:それぐらいわれわれがバーチャルな自分の世界で眠り込んでいるように見えたんでしょうね。
M:そういえば欧米ではヨガとアレクサンダー・テクニークをともに実践している人が多いというのも、めざすところの本質が共通しているからでしょうか。リカ先生はダンスから入られたようですが、確かアメリカではヨガをされていたとうかがいました。
N:イスラエルでも習っているとおっしゃっていましたよ。
M:そう、イスラエルでもヨガは盛んなようです。徴兵制があったり、周辺の国々との関係でむずかしい国だから、ヨガやアレクサンダー・テクニークが自分を保つ役に立つのでしょうね。
N:イスラエルと言えば、今年もイスラエルに行きます。楽しみです。
T:今年も3月の末から4月の初めにかけてイスラエル研修ツアーを組みました。今回はより濃密なワークにするために6人一組で2陣に分けて行くことになったんです。リカさんもわれわれが訪問することを楽しみにされているとのことでした。
親愛なるエイジさん、
大晦日に近づいている今だから、この一年に私たちが達成してきたことを振り返り、新年に向けて希望に満ちた視線を送ってもよいでしょう。
今年の初めには貴方は多くのアレクサンダー・テクニーク教師を連れて、ここイスラエルにいましたね。長い時間アレクサンダー・テクニークを学び、実践するなかで、私は貴方のグループが継続して正確な理解を深められていることがわかって嬉しかったです。それはまちがいなく貴方自身が日本でATを指導してきた努力によるところが大きく、心より賞賛します。
やってくる新年が、貴方と日本のすべてのアレクサンダー・テクニークの世界の教師と生徒たちにとって良い一年でありますように祈っています。
貴方がたが幸せで素晴らしく実りある2014年となりますよう願っています。
この春においでになって私と共に学んでくださる教師の皆さんを、心から歓迎します。
敬具
リカ
M:ほんとうに毎回“愛する子供たち”という感じで温かく迎えてくださいますね。
N:リカ先生が日本に来られなくなって2年になりますが、来られていた時と同様に今まで学んだことを、トライしながらワークに活かしてきましたが、この2年間の方が以前よりも気づきや理解が深まった感じがします。
M:どうしてでしょう?
N:考えてみると、安易にリカ先生に頼らないで自分自身で悪戦苦闘してきたからではないかな、と思います。もちろんリカ先生のワークが一年に一度、それもたった一週間と少なって寂しいですが…。
T:学ぶ過程ではいろんな困難なことが起こってくるものです。それでも前向きに学び続けるということが大切です