幽霊の正体見たり枯れ尾花
http://umeda-akebono.or.jp/rooms/%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93%E8%A6%8B%E3%81%9F%E3%82%8A%E6%9E%AF%E3%82%8C%E5%B0%BE%E8%8A%B1/ 【幽霊の正体見たり枯れ尾花】より
この句は、私はかの有名な江戸期の俳人松尾芭蕉の作とずーと思っていたが、この度あらためてこの句についてあれこれ調べると、どうもこの句は横井也有の俳文集「鶉衣」にある句だということのようだ。自分的には旅の俳人と言われる松尾芭蕉の作と受け止めた方が自分的には素直に腑に落ちる。彼は旅から旅に明け暮れたためか、全国各地のお国ぶりを探る公儀の隠密ではないかとまで言われている。
この句の背景として、そんな彼が旅の途中で予定が狂いすっかり日も暮れて、晩秋の冷たい川風を受けながら心身ともに疲れた身体を幽かな宿の明かりを求めて闇夜を急いでいる情景が目に浮かぶからである。
いずれにしても彼のように旅の達人であっても、冷静に受け止めれば唯の「枯れ尾花(ススキの穂)」を一瞬であったとしてもお化け、幽霊と勘違いして慌てふためき、腰を抜かし、額に冷や汗をかいているというそんな自分に呆れ、にんまりと自嘲している芭蕉が目に浮かぶのだが。
時は今、コロナ騒ぎ、集団ヒステリー、集団うつ、ヤケッパチ時代と言われるわが国の社会状況に似せて考えられなくもない。例えば、この足立区でも9/9-9/15の一週間での感染者が50人。足立区の人口は約70万人である。と言うことはこの間の平均感染者は一日に7人、10万人当たり1人である。まもなく流行が始まるであろうインフルエンザは11月から5月位に集中するということはあるとしても、多いときは1週間にこの足立区でも1000人を超える。コロナの22倍である。
どちらがと言う比較はともかくとして、いずれの感染症にしても「正しく、冷静に受け止め、理解し、対応する」ことが肝要であり、「枯れ尾花」に怯え慄いてパニックに陥ったり、逃げまどって自分の生きざまを中途半端な、後悔だらけの物にしていては悔いても悔い切れないだろう。しなやかに、したたかに己の確かなMISSIONをぶれる事なく邁進することが求められているのではないだろうか。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881089194/episodes/1177354054881328769 【幽霊の正体見たり枯れ尾花】より
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』とは、怖い怖いと思っていると、なんでもないものまで恐ろしいもののように見えてしまうということ。
枯れ尾花というのは、枯れたすすきの穂のことです。
私自身は霊感はないのですが、北海道の知人に一人、『幽霊が見える』という人がいました。
賃貸物件を見に行ったら押し入れにおじさん(生身ではない)が正座していたり、屋上に軍服姿の男性がいたり、日常生活で当たり前のように見るのだそうです。通りすがりの人が増えて見えるって大変ですね。
一緒に車に乗っているときに「あ、猫がいた」と言うので、「生きているほう? 死んでるほう?」と訊ねると、「死んでるほう」とあっけらかんとした答えが返ってきました。
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』とはよく言ったもので、「ふぅん、そういう世界もあるんだね」と構えていないと、こういう人とは長い間一緒にいられないだろうと思ったものです。
そんなある日、私の実家で飼っていた愛猫『タマ』が虹の橋を渡っていきました。十八年一緒に過ごし、白と黒の牛のような柄をした男前の猫でした。
その知人は冷たくなったタマにお別れをしてきた私と会って一言、「あぁ、連れて来ちゃったね。きっとあなたが哀しみすぎて心配なんだ」と言いました。私といると、猫の鳴き声がするというのです。
それに、その知人の母親も見える人らしく、足の指を怪我した知人が私といるときに足の写真を撮って携帯電話で送ったところ、「あら、猫を飼ったの?」と言われたそうです。「黒いかぎしっぽが写ってるわ」って。タマは黒いかぎしっぽでした。
さらに知人は私に「夢を見たの。三毛猫の親と、白黒の子猫が並んで神社に座ってるの。あなたの猫?」と言います。
これにはびっくりしました。なぜって、タマの母猫は、床屋で飼っていた三毛猫なのです。タマ一匹しか生まれなかったので、「一人っ子なんて珍しいし、一匹だけならいいよ」と、引き取ったのでした。そして、縄張りだったとしてもおかしくない床屋の近所に、神社があったのでした。
そのことは知人に話したことがないので、いまだに不思議だなと思うことの一つです。
でもそのとき、怖いと思うより愛猫が本当に私を心配してついてきてしまったなら、申し訳ないと思いました。
依存しないで、私も頑張るから、安心してね。そう何度も言いたかったけど、どこに向かって声をかけていいかわからなかったです。そのときばかりは、私にも見えたらいいのにって思いました。幽霊でもいいから会いたかった。
現在は四匹の猫と暮らしていますが、ふと、タマには本当に優しくできていたかなぁと思うときがあります。
小学生の頃からずっと一緒でしたが、私自身も子どもでしたから、ときには理不尽な思いもしたのかな? 幸せでいてくれただろうか?
最後にはよぼよぼのおむつ姿のおじいさん猫になっていました。猫は死ぬときは姿を消すなんていいますけれど、タマの場合はベッドに戻してもよたよたと足をひきずって私の膝の上に乗ってくるのでした。思い出すだけで涙がにじみます。
物理的には届かないけれど、心だけは寄り添いたくて、私は猫を可愛がるのかもしれません。現在の愛猫たちの向こうに、タマを見るのでした。
https://www.kanjipedia.jp/kotoba/0006864100 【ユウレイのショウタイみたりかれおばな】より
疑心をもって物事を見ると、なんでもないものまでが恐ろしいものに見えてしまうということ。物事は実体を確かめて、その正体がわかると、案外つまらないものであることのたとえ。「枯れ尾花」は枯れたススキの穂。
言葉の最初の漢字
幽
「幽」から始まる言葉
△幽か(かす-か)△幽い(くら-い)幽韻(ユウイン)幽遠(ユウエン)幽艶・幽▲婉(ユウエン)幽界(ユウカイ)幽鬼(ユウキ)幽居(ユウキョ)幽玄(ユウゲン)幽光(ユウコウ)幽▲篁(ユウコウ)幽谷(ユウコク)幽谷を△出でて▲喬木に△遷る(ユウコクをいでてキョウボクにうつる)幽寂(ユウジャク)幽囚(ユウシュウ)幽愁(ユウシュウ)幽愁暗恨(ユウシュウアンコン)幽▲(ユウスイ)幽▲棲・幽▲栖(ユウセイ)幽微(ユウビ)幽閉(ユウヘイ)幽明(ユウメイ)幽明境を異にする(ユウメイさかいをことにする)幽冥(ユウメイ)幽門(ユウモン)幽霊(ユウレイ)
連想するのは 観念から自由になる。過去を終えて未来に空を生む