妖怪社会心理学
https://www.tezukayama-u.ac.jp/yokai/psycho/sociology01.html 【妖怪社会心理学】より
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という川柳があります。これは怖い怖いと思っていると、枯れたススキの穂さえオバケに見える、と解釈されることが多いのですが、理屈っぽく考えると、まずは尾花を見る人が「怖いことが起きそうだ」という心理状態になっていることが前提となります。でなければ、枯れた尾花は秋の深まりを感じさせる、お月見をしたくなるような風情のある景色に見えることでしょう。
この「怖いことが起きそうだ」という心の有り様=「不安な気持ち」が、人に幽霊という幻影を見させる要因となっているといえるのです。
そもそも妖怪伝承の誕生にしても、日本妖怪探訪ページで記しているように、その昔、誰かが説明のつかない現象に遭遇し、何か得体の知れない存在がいるのではないか、奇怪な出来事はその存在が起こしたのではと思った、そのたった一人の人間の心の揺らぎ=不安感が、村という共同体の中での「共同幻想・共同幻覚・共同幻聴」となり、よりリアルな妖怪遭遇話に醸成され、さらにより広い地域における「共同幻想・共同幻覚・共同幻聴」=妖怪伝承に成長していったと考えられます。
このプロセスの根底には、万人が共通して持つ心理学的な要因があるはずです。その「心理学的な要因」とは何なのか?を知る、これが妖怪社会心理学という仮想心理学とお考えください。
古き時代の妖怪伝承から現代の都市伝説まで、摩訶不思議な伝承が生まれる「心の有り様」をみていくことで、今を生きる私たちにも共通した人の心の本質が、思いがけなく顔を見せてくれるかもしれません。
いま私たちが普段の生活の中で不安に思うことは?と問われた場合、多くの方は病気などの健康問題、さらには交通事故や何かの事件に遭遇する、経済の先行きが見えない、といった答えを挙げられることでしょう。
例えば社会の状況が不安定であったりすると、連鎖反応的にこうした不安感を反映した事件や事故のニュースが、いつも以上に多くなってくるともいわれています。
社会心理学の立場から、妖怪についての見解を示していただいた帝塚山大学・心理福祉学部の中谷内一也教授は、「人間という存在は、心理学的にみると人の生死、暴力や大規模災害などの恐怖や経済的困窮など、不安を喚起するネガティブなものになぜか特別に関心を持つという傾向があり」また、「さまざまなできごとに説明を求める存在」であると述べています。
人が特に興味を示すこうしたさまざまな不安や恐怖といった、ネガティブな事柄に起因する「人の心の揺らぎ」が、妖怪という存在を生み、育てていく要因であることは、すでに妖怪社会心理学の「序」や日本妖怪探訪ページでも記されていますが、実はこうした不安を喚起するネガティブな出来事の質もまた、時代と共に少しずつ変化してきたのです。
その昔、妖怪という存在がさまざまな文献に登場し始めた時代にあっては、大半の人々は今とは比較にならないくらい、自然と密接な関係を持って生活していました。
しかし、自然は豊かな恵みを与えてくれる反面、海や山での遭難といった事故、大雨や台風による洪水や土砂崩れといった災害や、旱魃による飢饉など、逆に人々にこの上もない厄災をもたらす最も大きな「不安の源」でもあったのです。
生活の糧を与えてくれる命の源である自然が、同時に事故や災厄をもたらす不安の源でもあった、という矛盾した状況の中で、当時の人々は、根源的な人の生死について、海や山での遭難といった厄災について、また自分たちに大きな苦難を与える自然災害といった出来事への、不安や恐怖を少しでも緩和したいと思い、なぜそれが起こるのかという説明を求めていたと考えられます。
しかし、例えば今予測できる大雨や台風も、当時では予測することすら困難であり、ましてその原因を「説明」することは人知を超えていたはずです。
そこで、登場してきたのが妖怪という存在でした。例えば、人がいないはずの川で物音がするのは「小豆洗い」という妖怪がいるから、山で何故か何度も道に迷ってしまうのは狐にだまされたから、川で溺れそうになったのは「かっぱ」のいたずら、といったちょっとした出来事から、嬰児が妖怪になって現れた「祟りもっけ」や「こなき爺」、家族の失踪は「山姥」、海での遭難は「海坊主」「牛鬼」「船幽霊」、山での遭難は「祟り山」に入ったとか「ひだる」や「山爺」のせい、旱魃は竜神の怒り、といった悲惨な出来事までを「説明」する存在としての妖怪が誕生し、人々の共同幻想として育まれ、語り伝えられてきたのです。
日本の「海坊主」のような妖怪の登場する伝承が、古来の日本と文化的交流が考えられない外国にもいくつか見受けられるという例をみると、突然の不幸(この場合は海難事故)に「説明」をつけたがるという点では人の心理は世の東西を問わず共通しており、人間の本質的な欲求であるといえるでしょう。
しかし、ただ人知の及ばない出来事や災厄を妖怪に説明させる時、一人だけが勝手に想定している妖怪では、他人はその説明に納得することは難しいはずです。
そこに必要なのは「昔から伝えられていた話」であり「村の人みんなが知っている」という要素なのです。こうした共同幻想というべき設定があって初めて、人々はその「説明」と妖怪の存在に「納得」し、不思議な出来事や災厄をひき起こす存在としての妖怪が誕生するのです。いいかえれば、妖怪とは共同体が育んできた不思議な現象や不安・不幸の説明装置ということができます。
心理学では「実際には存在しないが、存在させておくことでいろいろな現象を説明しやすくするので、仮に存在させておくもののことを「仮説的構成概念」といいますが、妖怪はまさにこの仮説的構成概念ともいえる存在だったのです。
また、中谷内一也教授は「妖怪は不思議や災難を説明できるというだけでなく、それを抑えたいという人間の欲求を満たすことにもつながる存在といえます。妖怪が誕生してきたプロセスをみていると、人という存在は単に何にでも説明を求め、納得しようとするだけでなく、何でもコントロールしたいと思う存在であることがわかってきます」と分析しています。
つまり、人知の及ばない出来事や人の力ではコントロールできるはずのない自然現象について、それを妖怪のしわざとすれば、祠を作って神として祀り、敬意を表することで、不思議な出来事や災厄をある程度コントロールできると「思い込む」ことができるようになっていく、というわけです。
古来、人々は妖怪という存在に畏敬の念を持ち、不思議な出来事や災厄をある程度コントロールできると思い込むことによっても、恐怖や不安といった心の揺らぎを、少しでも緩和しようとしてきたのです。
平安時代に書かれた「源氏物語」は、ご存知のように多くの妖怪やもののけが登場することでも知られていますが、この時代にあっては、妖怪変化やもののけは実在するものと信じられ、切実な畏怖の対象となっていました。
説明し切れない人間の死や不思議な出来事、自然災害などは、この時代の人々にとっては切実な出来事であり、それらをもたらす存在としての妖怪はまさに現実に存在していたのです。
あの有名な陰陽師・安倍清明は、平安時代「天文陰陽博士」として宮中に起こるであろう出来事の吉凶を見通し、時には都に出没する妖怪を征伐するなどの働きをなし、朱雀帝から一条帝までの六代の帝に仕えたといわれています。
こうした天文陰陽博士などの官位は正七位下と決まっていたため、本来であれば帝に会うことなどはできないような低い地位なのですが、それでも歴代の帝たちが安倍清明を重んじ、天文陰陽博士に登用し続けたのには、やはり妖怪やもののけの祟りを現実のものとして感じ、リアリティのある不安・恐怖として恐れてきたからと考えられます。
しかしいま、私たちが暮らす21世紀においては、昔の日本のように、自然災害や飢饉で死を迎えるという不安や恐怖を、日常生活の中で感じることも、妖怪やもののけの祟りをリアリティのある不安・恐怖として恐れることもなくなりました。
昔の人が最も不安や恐怖を感じたであろう自然災害も、そのほとんどが科学の力で予測可能となり、山の遭難や海難事故もはるかに少なくなっています。科学が自然現象を説明し、不思議な現象を解明し、自然の変化さえも予測できるようになった今となっては、自然界がもたらした不思議な出来事や不安・恐怖を説明する説明装置としての妖怪はその役割を終えようとしています。
いまや古典的妖怪たちは、「となりのトトロ」や「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」といった、仮想妖怪世界ともいうべき不思議世界の主人公として、時には町おこしの主人公となる…といったようにお話の中の存在として、時には「トトロ」のように癒し系キャラクターとしての存在へと変わってしまいました。
では、妖怪たちは私たちの時代からは生まれないのか?というとそうではありません。いくら科学が発達して自然災害が減り、説明のつかない現象がなくなってきたとはいえ、相変わらず人の生死は時代を超えた不安なものであり、エイズなどの新たな病気、価値観の多様化と劇的な変化、経済や時代の不透明感・閉塞感、人と人との関係の希薄化がもたらした孤独という不安などなど…現代の不安要因が次々と登場してきたのです。
古来の「人知では説明のつかない不思議な出来事、自然災害」といった不安や恐怖から、こうした現代の不安要因へと、人の心の揺らぎの「質」が大きく変化した、ということもできるでしょう。
そしてこの現代の不安要因がもたらした新しい心の揺らぎは、「都市伝説」や「○○○のうわさ」といった、古典的妖怪にイメージを求めながらも、新しいかたちの妖怪=都市文明型の妖怪たちを生み出していくことになります。
まだ記憶に新しい阪神淡路大震災の時、こんなうわさが流れていたのをご存知でしょうか?その「うわさ」とは神戸に住む外国人たちの間でささやかれていたもので、アメリカ軍の艦艇が救援のために神戸へ来る、というものでした。実際、震災直後で混乱が続く神戸の港で船を待っていた外国の方がいたといわれています。
こうした「うわさ」という非常にあいまいな情報だけで、具体的にアクションを起こすということは、私たちの普段の生活ではあまり考えにくいことです。
しかし、昭和48年秋、第4次中東戦争の勃発によって起こったオイルショックの時、主婦の間に物価が高騰する、商品が不足するという「うわさ」が流れ、必要以上に生活物資(トイレットペーパなど)を買いだめした、といったような出来事は、しばしば起きているのも事実であり、こうした出来事にはある共通の要因があるのです。
それは(1)関心の高い事柄であり、(2)状況があいまいで情報が不足している、(3)不安をあおる要素の強い出来事があった、という3つの要因です。
例えば「阪神淡路大震災のうわさ」の例では(1)災害救助という生死にかかわる関心の高い事柄であり、(2)震災後の混乱で情報が不足し状況がわからず、(3)大地震直後で不安感が強かったため、とりあえず救助が来るかもしれない港まで行ってみようというアクションを「うわさ」が喚起したのです。
中谷内一也教授は上記のような例を示した上で、「漠然とした不安に何とか説明をつけたい。が、確実な情報がないので、別のもので情報不足を補おうとすると、しばしば『うわさ』が不足している情報を補うものとして生まれ、流布するという現象が起こる」と分析しています。
ではなぜ、普段なら信頼しないこうした「うわさ」を真に受けるのでしょうか。それは「阪神淡路大震災のうわさ」の場合、これから生活や救援がどうなるのかわからないという、「漠然とした不安」を解消するものとして「アメリカ軍の艦艇が来て救援がおこなわれる」という「うわさ」(説明)が流される。しかもそれは「周囲のみんなが知っていること」という理由で一応の「納得」をし、具体的なアクションにつながっていったと考えられます。
こうした人の心の動きをみていくと、妖怪もうわさも、「不安を感じることに説明をつけたいが情報がないので、別のもので情報不足を補おうとする」という役割を担っているという点で、社会における機能としては似たものといえるでしょう。
情報化社会などと呼ばれて久しい時代にあってもなお、「うわさ」という不思議な存在は、人の心の揺らぎを誘う情報の妖怪というべき存在なのかもしれません。
日本妖怪探訪ページでもふれたように、「オイルショック」が要因となり、経済の成長が急激に落ち込み、人々の間に不況感が広がり始めた昭和54年ごろから、異常な速さで全国に広がったひとつの怪異なうわさがありました。
皆さんもご存知の口裂け女の「うわさ」がそれ。後に社会問題にまでなるこのお話のベースには、激しさを増していた受験戦争に対する子供たちの切実な願望=「塾へいきたくない」という願望と、味気ない受験戦争の中で「心のよりどころ」を妖怪に求めるという、当時の子供たちに共通する共同幻想があったと日本妖怪探訪ページでは記しています。
"日本妖怪探訪のページ"へ
こうした怪異な「うわさ」には都市伝説というネーミングが付けられ、以後、新しい時代の怪異・妖怪伝承として驚くほどの都市伝説が誕生してきました。
もはや都市伝説の古典?ともなった学校の怪談=「トイレの花子さん」や「放課後の音楽室」「動く骨格標本」、占いものの「こっくりさん」をはじめ「ジェット婆」「かしまさん」「隙間の女」「口裂け女」の変形バージョンで「足売り女」、「さとる君」という携帯電話がなければ成り立たない、いかにも今風のお話や、ピアスを題材にした「ピアスの白い糸」「耳かじり女」などなど、枚挙にいとまがないほどの都市伝説がいまも生まれています。また同時に、「○○○のハンバーガーは何々の肉を使ってる」といった、みんなが知っている特定の商品や店舗を対象にした「うわさ」もまた盛んに登場し、全国に広がっていきました。
こうした「都市伝説」や「うわさ」が広まっていった根底には、人の生死やエイズなどの新たな病気、価値観の多様化と劇的な変化、経済や時代の不透明感・閉塞感、人と人との関係の希薄化がもたらした孤独という不安などなど…現代の不安要因があると考えられます。
その上に、例えば学校を舞台にした都市伝説の場合(1)「怖いこと不思議なこと」という関心の高い事柄で、(2)「本当にいるのか?」というあいまいで情報が不足している状況があり、(3)「学校のトイレに行くのが怖い」という不安感を誘った、という三条件が揃った時、「漠然とした不安に何とか説明をつけたい。が、確実な情報がないので、別のもので情報不足を補おうとする」心理が、学校の生徒という集団の中で働き始めるのです。
そして、学校の不思議な現象の説明として、トイレで「誰々が怪奇な体験をし」、そこには「花子さん」がいるといううわさが流れ、「納得するためのお話」として「花子さんは病気で死んだ○○さんのオバケだ」という「うわさ」が誕生し、さまざまなバリエーションを作り出しながら全国を駆け巡ったのです。
ここにもやはり「説明を求める存在」として、また「納得したい存在」としての人の心の動きを見ることができます。
ここで注目しておくべきなのが心理学的にみて「人はどのような説明で納得するのか」という点です。中谷内一也教授によると「人間はどのような説明で納得するか?という点に関しては、ひとつはみんなが知っている、そう言っているからという場合と、権威を持った人が説明した場合が考えられる」といいます。
古典的な妖怪伝承の場合、地域の人たちみんなが知っているという理由で、人は妖怪の存在を「納得」してきました。都市伝説でもやはり「みんながそういっている」からという理由で、花子さんのお話が「納得」できたのです。
ではもうひとつの権威による説明とはというと、例えば「不可思議な人影が写真に写った」という現象に対して、それは光の乱反射であるという専門家が分析した「科学的に証明されている」理由で人に「納得」させる、という例です。
しかしほとんどの場合、その科学的理由について、私たち自身が本当かどうかを検証・確認するすべがない場合が多いはずです。そういう意味では、「みんながそう言っているから」というのと「科学的に証明されているから」というのとは、実は本質的にはあまり変わらないともいえるのです。
人は「説明を求める存在」として、「みんなが言っているからそれで納得する存在」であるともいえます。だからこそ、その昔、共同体の不思議・不安・不幸の説明装置として「みんなが知っている」という理由で妖怪が誕生し、今また「みんなが知っている場所で、誰かに起きた」不思議・不安・不幸の説明装置として都市伝説やうわさが誕生し続けているのです。
古典的な妖怪は時に神として祀られ、貢物を捧げることで共同体の不安を治める、といった社会的な役割を担っていました。しかし、「都市伝説」や「うわさ」には、不安をあおる要素はあっても、こうした共同体内での社会的な役割をあまり期待することができなくなっています。
唯一、「都市伝説」や「うわさ」に何らかの役割を見いだすとすれば、「希薄になりがちな人間関係を一時でも繋ぐ役割」といえるでしょう。例えば学校の怪談は、受験中心の学校生活の中で、共通の話題がないと感じている時、「うちの学校のトイレでも不思議な音が聞こえる」といううわさを耳にしたとします。
自分では体験したことがなくとも、頭では存在を否定していても、その話でクラスが一時でも「みんなで盛り上がる」ことでクラスとしての共通感を感じる、自分と友人たちだけしか知らない「うわさ」を持つことで共有感を得るといった役割を、「都市伝説」や「うわさ」が担っている場合があるからです。
いつの時代でも、人の心を不安にさせる不安要因がなくなることはないものなのですが、古典的な妖怪が持っていた「共同体の不安を収める役割」を「都市伝説」という新しい妖怪には期待できない今、人の心の問題は人によって解決しなければならない、生き難い時代になってきているのかもしれません。心理療法やカウンセリングといった心のケアを必要とする事件も増えてくるといわれている現代社会にあっては、人と人の関係を考えるときに、社会心理学的な立場からのアプローチもまた重要となってくることでしょう。
日本妖怪探訪ページでも記してきたように、いまに伝わる古い時代の妖怪の姿が書物に記録され、世に広まり始めたのは平安時代末期でした。この時代になぜ妖怪たちが跳梁し始めたのかの詳細は日本妖怪探訪ページをお読みいただくとして、平安時代にはもうひとつ、「人々の願望を叶えてくれるであろう」存在が登場してきた時代でもありました。
それが物事の吉凶を占う風水や四柱推命といった占いです。あの陰陽師・安倍清明が宮廷に仕えながら物事の吉凶を占ったのも平安時代。日本の占いのルーツはここにあるといっても過言ではありません。
安倍清明は、中国伝来の陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)によって天体の運行を観測、暦を作成し、式盤という道具を使って宮中の変事を予知し、時には遠国の吉凶まで占ったといわれています。また中国からもたらされた風水の思想が、平安京の造営にも大きく影響したというのもよく知られたお話です。
つまり、本来占いは個人のことを占うのではなく、共同体全体の吉凶といった「大きな規模の吉凶」を占うために始まったといっていいでしょう。しかし貴族の支配する時代が終わり、武士の時代へと時代が下ると共に、庶民の間にも広まっていった占いは、個人の運勢を占うという方向へ変化していったとされています。
これまで何度も記してきたように、妖怪という存在は「共同体が育んできた不思議な現象や不安・不幸の説明装置」ということができます。そして「不思議な現象や不安・不幸」を、みんなが知っている妖怪の仕業とすることで「納得」し、心のバランスを保ってきたわけです。そしてまた占いも、「説明を求め、納得したい存在」としての人にとって、とても魅力的なものということができるのではないでしょうか。
科学が発達した現代にあっても「明日のこと」は予測ができません。しかし、平安時代の安倍清明が多くの帝に仕えたということからもわかるように、人には(特に権力を持つと)将来の事の吉凶を知りたいという心理が働く傾向にあります。こうした心理は、人類に普遍的なもののようで、中国や古代エジプトなど、世界各国の大規模な古代文明でも、神官たちが独自の占いでその国やさまざまな出来事の吉凶を占っていました。
不思議な出来事や不安、突然の不幸を「妖怪」という説明装置で説明したように、見えない明日への不安をどうかして読み取り説明しようとしたのが占いであり、「易の大家」といわれる権威が説明する占いの結果を知ることで人は納得する、というプロセスが占いにはあるように思われるのです。
古くから伝承されてきた占いは、今を生きる私たちにも広く受け入れられています。著名な占いの大家の本は常にベストセラーになり、女性週刊誌ではなくてはならないページとなっている占いですが、私たちがよく目にする星座占いや血液型占いをみてみると、興味深いことに気がつくはずです。
本来ひとりひとりは違う個性を持っているはずなのに、例えば血液型占い、星座占いにしても、占いの結果はいつもいくつかの大雑把な「パターン」や「グループ」に分類されてしまいます。通俗的な血液型占いにいたってはわずか4グループしかありません。
しかも、「A型のあなたは短気で、でも気が弱いところもあって、今日は北東の方角が吉であり、B型の人とは相性が良くないから仕事上のトラブルに注意。金運は凶」といわれると、たいていの人は多少なりとも思いあたるところがあるものです。
しかし、これだけ大雑把な、極端にいえば、誰にでもあてはまる占いでも、多くの人が占いを気にするのは、自分を知るための方法として占いに「説明」を求め、さらに、相性というくくりで「B型の○○さんと仲が悪いのは血液型が違うからだ!」という「説明」を求めることによって「納得」したいという心の揺らぎがあるから、と考えることができます。
血液型がAだという人は、自分が「A型人間」だと思い、「あいまいな存在」ではなく、同じ血液型の人との共通性を感じたい、さらに自分自身と○○さんは星座が違うので仲が悪いといった、判断しにくい他人との関係性を、とりあえず確認し納得しておきたいという心理が働くからなのです。
端的にいえば占いは自分を探す手段であり、「分類」されることで自らを知っておきたい(例えばA型のさそり座人間はのんびりした性格で…)という欲求があるのではないでしょうか。
妖怪、都市伝説、占い。いずれもがどこか不安な世紀末的状況の中から誕生してきたものです。こうした時代には図らずも「人」の心の本質的な部分がみえてくることが多いといわれています。今の日本を支配する時代の閉塞感や不透明感のなか、これからどんな「都市伝説的妖怪」が生まれてくるか、どんな「占い」が流行るか、あなたもぜひ社会心理学的視点から注目してみてください。きっとおもしろい発見がありますよ。