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松浦信孝の読書帳

滾るルサンチマン

2021.07.16 23:19

世間的にイライラしがちな状況が続く。



自分も、油断すると宛先を見失った暴言や皮肉の投稿で誰かにイライラを広げてしまっている。



こりゃいかん、生産性がまるでないぞ。と反省しながらこの感情の根源を探ることにした。



人にはそれぞれイライラするポイントがあると思うが、自分にとって、最近身の回りで起きるイライラの根本原理は一つであった。



相手を変えたいけど、変わらないことによるイライラ



妻がどうにもならない夫、夫がどうにもならない妻、親をどうにかしたい子供、世間の状況をどうにかしたい自分



全て同じ構図。変え得ないものを変えようとして現実に折れ、負の感情が発生する。


この馬鹿馬鹿しさに気づいた瞬間、とてもスッキリした。


英語で言うとこの発想はforceである。



相手を力ずくで自分の思い通りに変える、西洋的発想。



権力とかお金があれば今まではどうにかできた部分もあったかもしれないが、それは例外パターンで、相手は決してどうにもならない。



どうにもならないから、「さあ、あなたはどうする?」というのが、そもそものこのゲームのルールではなかったか。



昔から、僕は超自分本位だが、その自分の単位が人間一個分だと思うと苦しい。

でも、自分と取り巻く宇宙全体が一単位なら?



採用すべき発想はforceではなくletになる。



ひたすら、自分が心地いいと思うものを流す。送り出す側になる。流れに任せる。



人間一人分が閉鎖系で、世界が開放系なのではなく、宇宙全体で一つの閉鎖系だから、押し出したら押し出した分以上の流れが来る。


でも全部引っ張ろうと思うと重すぎて来ない。



とても抽象的でよくわからないだろうけれど、こういうことなんじゃないかと思っている。