第7回アレクサンダー・テクニーク国際コングレスレポート
これは2004年8月16日から22日までイギリスのオックスフォードで行われた第7回アレクサンダー・テクニーク・国際コングレスのご報告です。コング レスとは、世界のアレクサンダー・テクニークの教師と生徒が一同に集い意見やワークの交換をする4年に一度の場です。私はオーストラリア、ドイツに引き続 きこれで3度目の参加となりますが、過去の経験を生かした今回が一番充実した研修を送ることができたのではないかと思っています。
それもこれも会長の英語力のおかげで事前に再三コングレス本部との交渉ができ、英語が聞き取れない私たちのためのワークショップ・スケジュールを組むと いうおそらくコングレスでは前代未聞の要請に快く承諾してもらうことができました。さらに現地において私が以前からワークを受けていておそらくトップクラ スの実力と思われるシモエル・ネルケンさんとリカ・コーエンさんに厚かましくも直接ワークをお願いし、それぞれ計2度のワークを受けることができ参加者の 皆さんも大変満足してくれたようです。
以下、旅日記風にご紹介していきたいと思います。
8月14日午後5時関西国際空港に集合し、まずは国際ヨガ協会風に集合写真をとりました。いざ出陣! バンコクまで5時間、2時間のトランジット(乗り換え)を経てさらにイギリスはヒースロー空港まで10時間やはりイギリスは遠かった! 長旅にヘキヘキし ながらなだれ込むようにあらかじめチャーターしていたバスに乗り込み1時間半でオックスフォードに到着。閑静な美しい町並みに旅の疲れも癒される感じでホ テル“ランドルフ”に到着。なかなか由緒がありそうな落ち着いたホテルでした。
その日は会場までの町並みを散歩して途中での国際ヨガ協会松嶋会長の食事風景。お腹が空いていたのかなあ・・・。
翌日、コングレスのレジストレーションと開会式に参加。大勢の人でごった返していて初めての参加の人たちは少々緊張気味でした。私は久々に会う教師達への挨拶で汗だくだった。何と!今回は700人以上の参加者があったそうです。
開会式ではF・M・アレクサンダーの直弟子の一人ウォルター・キャリングトンさんが講演されました。以下はその内容の要約です。
アレクサンダー・テクニークとは何か?という問いに対して
基本的な3つの要素が言えると思う。
①止まること(to stop:inhibit)いわゆる日本語では抑制ということで、ヨガで言えば瞑想的な態度といえるでしょう。今ここで無心な自己に立ち帰る。
②仕向けること(to direct:order)これがダイレクション、日本語では方向性と訳されているもので、今ここで無心な自己に立ち帰ることによって、その中で働いている“秩序”を取り戻し、その秩序の中で働いている方向性を発見すること。 そしてここが難しいことですが“意図的な努力なく”仕向けることが重要だということです。この“仕向ける”という言葉に意図的なものを感じるのですが、彼が言いたかったことはそうではないようです。
③意思すること(to give consept:wish)その内的な秩序から個々人の自然な“wish(願い)”が生まれてくる。それこそわれわれ人間の生きるエネルギーの根源である。
したがって、教師が生徒を持つということは、多くの問題を抱えている彼らと共にワークしながら、個々人の内的な秩序生み出すこと。そしてそこから生まれて くる自然な“wish(願い)”を引き出し、その個人性を認めることが大変重要なことなのです。そのためには生徒自身を画一的、機械的にではなくよく理解 する必要があるのです。
アレクサンダーは、彼(キャリングトン)に「Don’t do what I did ! 私がしたのと同じようにするな!」とよく言ったそうです。彼の“まね”をすることを否定したのです。このことは先ほど話した「個々人の内的な秩序から生ま れてくる自然な“wish(願い)”」を尊重していたからではないかと私は思いました。
これらのことはわれわれ日本人には少々耳の痛い話しではないでしょうか。というのもわれわれはまね(模倣)することによって習うという文化があるからで す。しかしこの模倣はこのこと以前の個々人の中の秩序を見出すための智恵で、このこと自体は悪いことではないと私は思っています。ただ一般的にその秩序を 見出すことだけで終ってしまっているところに問題があるのでしょう。模倣することだけで終ってはいけない。その中に自己の秩序を見出したら、さらにその奥 にある個々人としての”wish願い“を意思しなさいということなのではないかと思いました。
最後に組織というものがどうあるべきかというお話しでした。組織というのも元来個人個人の集まりですから、まずその個人個人の中の秩序が生まれてく必要 がある。そしてその個人個人の秩序から生まれてくる機能が組織を自律的に規制するはずだということでした。そして組織はその個々人をサポートするもので、 互いに尊敬し合うと同時にそれぞれが個性的であることを促進することが組織としての重要な役割なのです。
以上老獪なからだ全体から生まれてくる言葉は、ひとつひとつ重みと深みのある心に残るものでした。
この翌日から3日間1日3~4回のワークショップをさまざまなアプローチの仕方を持った教師達から受けることになるのですが、これらのワークショップから学んだ私個人が印象に残ったことをお話ししたいと思います。
そのひとつはアレクサンダー・テクニークというものの原理についての教師のお話しは誰もが誠にごもっともで文句のつけようがないのですが、いざハンズオ ンのワークになると教師の個性と実力が入り交ざり、私のからだに響いてくるものの質の違いを痛感しました。はっきり言って良いものも悪いものもありまし た。断わっておきますがこれはあくまで私個人の感想です。
ここで私の言いたいことは、人間がどうあるべきか、またそのためのアポロ―チをどうすればよいかは、本や言葉で学べます。しかし教師が実際に体得してい るものは、やはりハンズオンでしか伝えることができないことのように思います。それは教師個々人がアレクサンダーが残してくれた言葉を教師自身のからだ、 感情、感覚、思考といった機能全体で実際にどの程度体得し、それを実現しているかにかかっています。そのことの理解の深さがハンズオンというアプローチに は現れるということでしょう。つまりハンズオンというアプローチは言葉で誤魔化せないということです。したがって教師になったからといって自己を精進させ ることをおろそかにしてはいけないということを改めて肝に銘じたわけです。
このことに関して印象的な教師の生徒に対するふたつの違いを見ることができました。ある教師は生徒にダイレクションを上手く伝えることができなくて、そ れを生徒だけの責任かのような口ぶりで、生徒の欠点を挙げていました。そのおっしゃっていることはどれも正しく、誠意のあるものでしたが、その結果、生徒 はますます緊張しくたびれてしまい、自分自身に良い秩序を生み出すことができなくなってしまったのです。それに対してシモエル・ネルケンさんも前者の教師 と同じく生徒に上手くダイレクションが伝わらなかった瞬間がありました。しかしその後の対応が違ったのです。その時彼の生徒に対する対応は、「すいません でした。生徒に起こることはすべて教師の責任です。」と言ってもう一度自分自身を見直し、ワークをやり直しました。この二人の教師の反射的な生徒に対する 対応の違いがおわかりでしょうか? 少なくとも私は後者のような教師になることを”wish(願い)“ました。
というわけで私の結論は、
①未熟な教師ほどごもっともな言葉を数多く並べてそのことを生徒に強要し、生徒を息苦しくさせる。反対に成熟した教師ほど言葉は少なく、その少ない言葉にトータルで真実の深さがある。
②ハンズオンは言葉より深く、多くを伝えうる。アレクサンダーの発見したことを言葉でいくらこねくり回しても何もつかめないでしょう。優れた先生のタッチは数秒でそのすべてを語ってくれている。”
チャンチャン!でした。
3日間の濃厚なワークショップを受けた後、ストーンヘンジ、ソールズベリー大聖堂、ロンドンと旅し帰国したのでした。最後にこの一連の充実した研修旅行が実現できたのは、松嶋会長の陰ながらのサポートがあってのことということを言っておかなければなりません。参加者を代表して会長に感謝の意を表してこの報告を終えたいと思います。