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歴史の陰に秦氏あり・・・

2018.07.17 04:59

http://uzumasa-1962.cocolog-nifty.com/ 【歴史の陰に秦氏あり・・・】より

秦一族の系譜

日本を作りしもの・・・

日本を作りし者・・・

今回は、三人の木 のタイトルで記事を書こうと思っていたのであるが、内容が内容だけにそのままで書いて行く事にする・・・。

<秦一族>は、「鷹」を象徴する一族であると、今まで述べて来た。

この「鷹」とは、「タカ」という言葉が重要なのだ・・・。

では、秦氏が象徴している「タカ」という言葉とは何か? それは色んな意味が含まれている。

一つは、<秦一族>の祖先である<高木神=タカギノカミ>である。

また、「高天原」の「タカマのハラ」でもある・・・。

<高木神>の古い名前は、<高魂尊=タカマのミコト>と言う。

別の漢字では、<高魂命>で読みは同じ。 また、<高魂神=タカマのカミ>や、

<高天彦=タカマのヒコ>とも言う。

いずれも同じ<高木神>の事であり、即ち<高御産巣日神=タカ・ミムスビのカミ>の事である。

<天照大神>と、<高木神>は、神話でも一緒に登場しているが、実際に指示を出していたのは、<高木神>なのである。

<タカマのハラ>=<タカマのミコト> つまり、「高天原」の主祭神は、「高魂尊」である。

そして、<高魂尊>の痕跡は全国の各地に地名となって残っている。

従って、「高天原」も、1箇所だけではなく、各地に拠点があって然るべきなのである。

それはこの国が<倭国>=「わのくに」と呼ばれていた時代、<邪馬台国>は、あっちだ、いや、こっちだ、等と言っていた訳ではないのと同じ事である。

因みに<邪馬台国>は、「やまとのくに」と読むのが正しい。

さらに、<秦一族>が氏神としている京都伏見の稲荷神は、<ウカのミタマのカミ>という名であり、この<ウカノミタマノカミ>とは、伊勢神宮の外宮の祭神である<豊受大神>の事である。

そして、この<豊受大神>とは、第五代:<高御産巣日神>の事なのである!!

もっと言えば、<八幡大神=ヤハタのオオカミ>を祭る全国の「八幡神社」の総本社である<宇佐神宮>の最初の祭神は、<誉田別命=ほんだわけのみこと>ではなく、【高魂尊】なのである。

最初の<八幡大神>の祭祀を行なっていた‘辛嶋勝’=「からしまのすぐり」は、<秦氏>であり、その時の祭神は<高木神>であったという事である。

途中から祭祀を<大神(おおが)一族>が代わって行なう様になった時から、祭神も<応神天皇=誉田別命>に代わったという事なのだ・・・。 (大神一族とは、三輪氏である。)

秦一族が祀っていた祭神は、‘造化三神’である。

<天御中主神>は別として、<高御産巣日神> と、<神産巣日神> は、実在していた。

この三神は、「天地開闢の時に現れた最初の神である」と神話では語っているが、これは宇宙論の世界観ではない・・・。

【造化三神】は<天津神>と思われているが、違う。 <神別の神>である。

<天津神系>はイザナギ、イザナミの御子である<天照大神>の系譜であり、<国津神>の系譜は、<大国主神>や、<大物主神>の出雲や三輪の系譜なのである。

<須佐之男命>は、後から出雲にやって来た神であり、初めから出雲で産まれた神ではない。

従って、出雲には、元々{オオナムチ=大国主}を初めとする元々の住民種族が居た訳だ。

<ヤマタノオロチ>とは、<ムハタレ>と言い、6種か7種の種族からなる部族の事であり、これら沢山の部族が出雲で、はびこっていた・・・。 {山多居る愚か者達}

<須佐之男命>が婚姻した<櫛那田媛>の種族こそ、元々の出雲族と言えようか・・・?

<賀茂氏>の一族も、三輪氏と同じで、系譜を辿ると‘オオタタネコ’になり、その先に辿ると<大国主>になるのだが、葛城は桂の木で、<高御産須日神>が居た場所でもある。

だが、<高木神>の系譜にも<葛城氏>と、<鴨氏>が宇佐の系図に記されてあるのだ。

<須佐之男命>の系譜である<アジスキタカヒコネ>を葛城の「高鴨神社」に祭神として祀っている。 「高鴨神社」は、全国の賀茂神社の総本社であると自称しているが、大鴨神社とは言わず、「高」鴨神社 と名乗っているのが、<高御産巣日神>を意識しているものであろう。

実は<秦氏>も「出雲」に拠点があり、<秦一族>がゴロゴロと居たらしい。

「出雲」には現在も尚、<波多之郷>とか、<波多温泉>があるのだ。

   おかしいと思うだろう・・・?

もっとおかしい話しをすれば、【造化三神】の<神産巣日神>は、オオナムチが何度も危険な目に合う時に周囲の者達に‘助け船’を差し向けていたという‘言われ’があるのだ。

因みに<神産巣日神>とは、6代:<高御産巣日神>であり、‘ヤソキネ’という。

7代目:<高御産巣日神>を‘タカキネ’=高木神に譲ってから、<神産巣日神>と名乗ったという。 これは6代目から7代目に(神の名を引き継いだ)というのが本来の意味である。

{神を結んだ、}

解るか・・・?  「天地開闢」とは、タカキネと、ヤソキネの時代になって、{天津神系}と、{国津神系}とに分けたという事なのだ!!

それまでの時代は「天神地祇」で分けていなかったという話しだ。

だから、秦氏も、賀茂氏も天神地祇のどちらに居てもおかしくはないという事になる。

初代天皇の神武東征の時代では、<天照大神>は死んでいた。

  実際に<イワレヒコ>や、<八咫鴉>に高天原から指示を出していたのは、

         <タカミムスビノカミ = タカマノミコト> である・・・。

因みに、神武東征の時に現れた<金鵄>は、金色(こんじき)に輝く「鳶=トビ」で象徴されているが、この登場のしかたは、<八幡大神>と同じである。 が、わざわざ「鷹」ではなく、「鳶」で表現しているのは、高天原に<高魂尊=高木神>が居るからであり、

その事から<金鵄>はおそらく先代の<高御産巣日>である‘ヤソキネ’ではないかと考えられる。

いずれにしても<秦一族>に関係しているのは<高御産巣日神>である。 が、

京都の太秦にある「木嶋神社」、通称「かいこの社」にある三本柱の鳥居は、【造化三神】を

顕している。 そして鳥居の真ん中に石を積んで祀っているのは<天御中主神>なのだ・・・。


三人の木・座談会 其之四

金鵄 「【倭人】とは縄文時代の終わりにやって来た【多国籍民族集団】の事・・・。」

銀狼 「そうだ。 そして縄文人達を追いやった・・・。」

金鷹 「縄文人は人に上下を付けない、穏やかな人種であったからのう。」 (^^)

金鵄 「倭人の正体は、中国人、朝鮮韓国人、ロシア人、インド人、ユダヤ人、など様々。」

銀狼 「これら他国の多民族らによって縄文時代は終わり、弥生時代が始まる。」

金鷹 「日本神話の時代の夜明けじゃなぁ。 フフフ、」 (^^)

金鵄 「神代の歴史の始まりであるが、これは日本人など初めから居ないという事でもある。」

銀狼 「色んな民族らがそれぞれに住み着き、それぞれに違った民族が自分達の国を作る。」

金鷹 「それぞれの土地の主と土地の民達の始まりじゃな?」 (^^)

銀狼 「つまり、この国は日本になるまでは、各国から来た外国人の集まった場所であった。」

金鵄 「この国を最初に支配していたのは中国であり、倭国の名も中国が付けた名であった。」

銀狼 「やがて各民族はお互いに‘支配権’の【権力争い】を始めた・・・。」

金鷹 「左様、仲間となり、支配下となるなら面倒をみてやる。(守ってやる、)」

銀狼 「逆らうのであれば、殺す・・・。」

金鵄 「この時代からはこの国のあらゆる基盤が出来上がって来る。」

               つづく・・・


三人の木・座談会 其之参

金鵄 「この国は、中国大陸の領土の一つで、その名も‘倭国’(わのくに)と呼ばれていた。」

金鷹 「学校の教科書にも出て来る‘魏志倭人伝’(ぎしわじんでん)という文献がある。」

銀狼 「日本の過去を隠す国家の裏の組織がある。」

金鷹 「裏神道の事か・・・。」

銀狼 「然り。 日本は神の国と呼ばれて来た理由がそこにある。」

金鷹 「日本は、‘仏教国’とも呼ばれておるぞよ。」 (^^)

銀狼 「それは奈良飛鳥時代であって、聖徳太子の事。」

金鷹 「聖徳太子の陰に秦河勝あり・・・。」

銀狼 「秦氏か・・・、確か裏神道の組織を作ったのは聖徳太子と言う説があったな。」

金鷹 「あった、あった。」 (^^)

銀狼 「それは、まことか?」

金鷹 「ハッハッハ、はて、さて、どうじゃろうか?」 (^^)

銀狼 「秦氏は奈良時代に渡来して来たと文献にあるが、如何に?」

金鷹 「それは違う。 奈良時代の渡来は、三度目の渡来じゃよ。」

銀狼 「然り・・・。最初の渡来は縄文時代。 2度目の渡来は弥生時代。」

金鷹 「そうそう、これらの間の行き来を入れると十数度に及ぶがのう・・・。」 (^^)

銀狼 「そなた・・・、話しをかく乱しておるであろう?」

金鷹 「そんなつもりはないぞ。 奈良の大仏様は有名じゃ。 八幡大神がおるからのう?」

銀狼 「そなたの出所か? だが奈良の大仏は鷹巣山、香春岳・・・。」

金鷹 「銅と鉄の話しじゃな?」

銀狼 「神の国と呼ばれて来たこの国の話しから離れておらぬか・・・?」

金鷹 「三人の木は、三羽の鷹じゃよ・・・。」 (^^)

銀狼 「それがどうした? 裏神道は、三本足の鴉・・・ 」

                  つづく・・・

三人の木・座談会 其之弐

 

つづき・・・

金鷹 「この国には、日本人は始めから居らぬか・・・?」

銀狼 「日本人と呼ばれる者は、後の時代の言葉の産物である。」

金鵄 「日本の歴史は、この国が日本になってからの事である・・・。」

銀狼 「そういう事だ。この国は元々日本ではなかった。」

金鷹 「この国は、日本になる前の歴史が隠れていた訳じゃな。」

金鵄 「日本の歴史は天皇制度が出来、国家が出来てからの歴史である。」

金鷹 「そういえば、‘神話は人話’と言っておったのう、銀狼殿?」

銀狼 「それがどうした? 神は、‘天御中主神’だけだ。」

金鷹 「それでは、後の神々は違うとでも言うのか?」

銀狼 「そういう事だ・・・。何を今更。 そなたは‘タヌキ’か・・・?」

金鷹 「・・・ 」 (意中を射抜かれると無言で応える事がある.)

銀狼 「金鷹殿、我の口を通して、そなたの考えを我に述べさせようとしておるな?」

金鷹 「ハッハッハ、 バレとったか・・・ 」 A^_^;)

銀狼 「小ざかしい事を・・・。 そなたは‘語り部’であろうが。」

金鷹 「フフフ、語り部は、‘見て来た様な嘘をつく’時もあるぞよ。」 (>_@)

銀狼 「ならば、そなたに問う。 後の神々は何故、違うのか・・・?」

金鷹 「それはじゃな・・・ ま、ズバリ!言えば・・・ 」

銀狼 「ズバリ言えば・・・?」

金鷹 「日本人の原点じゃよ。 正確に述べれば、倭人の始まりじゃな。」 (^^)

銀狼 「日本人の原点は、‘縄文人’ではないのか?」

金鷹 「否(いな)、縄文人は原点にあらず。」

銀狼 「では、先住民と言われている‘アイヌ人’は、如何に?」

金鷹 「確かに先住民じゃが、あれも‘渡来人’じゃよ。」 (^^)

銀狼 「・・・ 」

つづく・・・

三人の木・座談会・その壱

金鵄 「最近までに日本の歴史について色んな研究者が謎の解き明かしをして来た。」

金鷹 「それは誠に良い事じゃな。フフフ、」 (^^)

銀狼 「日本人が日本の事を知らなかった事実でもある。」

金鷹 「遥かな昔の事は隠されておったからのう・・・ 」 (^^)

銀狼 「左様、敢えて述べれば、日本人など始めから居らぬ国・・・。」

金鷹 「それを言っては元も子も無いぞよ・・・。ハッハッハ、」 (^^)

金鵄 「日本の始めは神話に始まる・・・ 」

銀狼 「神話か・・・ あれは人話だ。」

金鷹 「またまた、そんな事を・・・ 困ったもんじゃのう。」 (^^)

金鵄 「神と呼べる存在は、最初の天地開闢の時に現れた存在のみ。」

金鷹 「造化三神じゃな?」 (^^)

銀狼 「八百万の神は? 実は何だったのだ?」

金鷹 「知っておって、そんな事を問うのは酷というもんじゃな?」 (^^)

金鵄 「日本を作ったのは‘弥生人’である。」

銀狼 「その通り。 日本の国を作ったのは、‘倭人’だ。」

金鷹 「最初は、縄文時代からではないのかのう・・・?」

銀狼 「それは違う。弥生人の始まりは縄文時代。しかし国作りの始まりは縄文には無い。」

                   つづく・・・

ラブナビ

「ナブナビ」という所から、突然、無差別テロの様にメールが配信されるようになった。

[spam]=「迷惑メール」である。 やめる様に警告をしたが、やめないので公表する事にした。

毎日の様に50件ほどのメールを送って来る。

高い金額を書いて、譲与するという‘ウソ’まるだしのメールであり、良からぬワイセツな内容のメールも多種多様に

書いたメールを沢山配信して来る。

「ラブナビ」という名が入ったメールが来たら、まずはメールBOXの「削除」の所に流れる様に設定をして

無視する様に。

 「本メールは「ラブナビ」の規約に同意された方のみ配信させて頂いております。」

こういった事を書いてあるのだが、登録をしていないのに、

規約など読んでいる訳も無く、同意もしている訳がない話しである。

勿論の事であるが、メールが「ラブナビ」から来たら、ネットにアクセスすろ様な事は、

絶対にしてはならない。 断っても、余計に沢山のメールをしてくるだけで意味がない。

悪徳なサイトである。

また、クリックをする様な項目があっても絶対にクリックしないように。

私は送って来るラブナビのメールを{プロバイダ}から調べて送り返している。

どういうシステムを使っているのか解らないが、無差別に配信して来るこのサイトは、

正当なものではないので、相手にしてはならない。

私は3度に渡って警告をしたが、やめずに配信をしてくるので、公表する事にした。

公表する事を警告していたからである。

「1000万円移行完了しています。」と書いてある内容は、デタラメな話しである。

誰が考えても解る事ではないか? しかし、確認して下さいと誘導しており、アクセスさせようと

しているのは、お金を騙して取るという詐欺行為がこのサイトの‘裏の顔’である。

私は、各プロバイダの各サイトに於いてこれを公表するものである・・・

分かち合う・・・ ②

【分かち合う】という事はどういう事か?

辛い時、苦しい時、それらを一人で抱え込まず、分かち合えば少しは辛さ、苦しさは楽になれる。 少なくとも背負っているものは軽くなるはずだ。

嬉しい時、喜びの時、それらを分かち合えば、倍の喜びとなり、嬉しさとなる。

美味しいものを一人で食べるのと、分かち合って食べるのとでは、美味しさも違う様に・・・

人は、色んな違った形の苦痛を持っているものだ。 隠さなくてもいい・・・。

辛い時は、誰でも同じだ。 自分だけではない・・・。

分かち合えば‘力’が生まれる。

辛い思いをして来た人は、辛い思いをした分だけ、人の苦しみが本当に理解出来るものだ。 だからその辛さも本当は無駄ではないのだ・・・。

経験を積んだ苦しみは、深い意味があるものだ。

経験の無いものが、口先だけで辛さを語るのとは訳が違う。

口先だけの‘エセモノ’などは相手にしなくてもいい。 エセモノは、そういった‘波動’を流しているので、すぐにボロが出るものだ。

貴方は一人ぼっちじゃない。 まだ知らないだけだ。 心を開いて、語り合える、信じ合える人は、絶対に何処かで待っている・・・。

信じていた人から‘裏切られる’事もある。 私もあった。 しかし、分かち合える人は裏切らない。 何故なら‘裏切る’という事がどういう事かを解っているからだ。

人は、本当は弱い心を持っている。 誰でもそうなのだ。 しかし、分かち合えば、その弱さも強くなれる!

分かち合うとは・・・

喜びも、哀しみも、分け合う事なのだ。 だから、不安な日々を続けなくてもいい。 苦痛な思いを思い続けなくてもいいのだ。

‘光’と‘闇’の違いは、光は陰も作るが、闇は、闇のままである。 闇は光を作らない。

貴方が‘光’を取り戻した時は、迷い、悩み、苦しむ人と‘分かち合えば’その人も光り出す。

貴方が、その人と分かち合う事で貴方自身も、更に光が輝く様になる。

小さな喜びは、大きな喜びとなる。 必ずなる。

自分を失ってはいけない。 光を自ら抑えてはいけない。 抑えなくてもいい。

闇は力がある訳ではない。 闇は力を吸い込み、無くして行くものだ。

しかし、光は違う。 光は力を放つものだ。 決して無くならない。

光の力を信じれば、得られる。 そして与える事も出来る。


分かち合う・・・

不思議な力・・・

人は、‘苦しみ’や‘哀しみ’の一つや二つは必ず持っている・・・。

人は、それを忘れようとする・・・。 或いは、傷ついて、それを背負う・・・。

または、生きていく上で背負う事も‘糧として’必要なのかも知れない。

強く生きて行く為に・・・。

忘れてしまって、別に何も無いという人も居るかも知れないが、それは過去に置き去りにしているだけであり、決して意識の中で忘れている訳ではない。

怨み(恨み)、憎しみ、怒り、

人生には、色んな事があるだろう・・・ これらの感情の答えは・・・

苦しい・・・ そして、哀しい・・・

だから分かち合う。 分かち合う事は‘勇気’が必要だ・・・ だが、

分かち合えば‘勇気を得る’・・・ 一歩、踏み出す事で、世界観は変わるのだ。

辛い思いを背負ったままで、苦しみの世界で迷い続けるより、分かち合うのだ。

そうする事で‘力’を得られる筈だ・・・。 光を掴む事が出来る!!

‘光’を掴むんだ・・・!! 心の闇を消す事が出来る!! 信じれば出来る!!

闇を作っているのは自分だという事が解る・・・。 だから‘光’を灯せ!!

それが理解出来た時、貴方達は・・・ 

人の心の闇も照らす事ができるようになる・・・。


秦一族を敵に回すもの・・・

4月から続いている当方への攻撃はもはや無くなったかと思っていた。しかし、そうではなかった様で、最近になって陰での攻撃は静かになったと思っていたら‘K氏’は自分のブログの中で堂々と公開して、秦氏についてバカにした事を掲載していた。

もう今は6月である。少し‘シツコイ’のではないか? 今回はその内容をコピーし、公開する事にする。

 

今まで無視をして来たが、公開して悪口を書き、見下す様な事を言っているのは限度というものを解っていない。

おまけに神聖な‘淡路島’についても‘ゲレツ’な事まで平然と書いており、いい気になっているのが伺える。

従って、堂々とこういう事を公開して‘秦氏’や‘淡路島’をバカにしている者について、秦氏の関係者の諸氏の方々に見て頂き、意見や感想をお聞かせ頂きたいと思っている次第である。私個人に対してだけなら話しは別だが、ここまで来ると許せない状況になって来るではないか?

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世の中には、色々な説が、存在しています…。それなりに、的を得た説もあります。しかし、真実というものは、ひとつであり、完全に理路整然とした証拠が、伴うものです。まして、自説も持たず、堂々と、反証も出来ない、バッタ氏に、それこそ、惑わされてはいけません。