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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

2019年4月22日記事から、ディレクターズカットお届けします

2021.07.17 22:00

ショパンは二人のショパン崇拝者のお蔭で当面のお金の都合を付けることが出来たが、それもつかの間、負債を抱えていたサンド一家が小旅行でお金を使ってしまった。

サンドは負債を抱えていたが、次なる旅行記の小説のネタ探しとショパンも売れないとサンドも共倒れになりかねないため、その売り込みも兼ね、まず先にサンドは二人の子供を連れてパリを出発した。

行先はフランスの北部に位置するカンブレー県である。

サンドはカンブレーで仕事の売り込みは、売り込みどころか、恐らくは話にもならなかったことがサンドの言葉から伺える。

サンドはお金に困っていたためいつもなら妄想癖があるサンドだが、この時ばかりは現実が見えたのであろう。

カンブレーに着いてから直ぐにパリのショパンへサンドは手紙を書いた。

「すぐに私たちはパリに帰りたいので、あなたはカンブレーに来なくていいですよ」いつもは長々書くサンドにしては短い連絡である。急いでいたのであろう。

そして、その理由と、カンブレーの印象をサンドはショパンに伝えた。

「中産階級の彼らは、まさに市民階級の完璧な見本のような人たちです。店主の男たちは恰好をよく見せるために競い合っていて、それは馬鹿げた種類の人たちです。

「英傑行列」(地方の歴史劇)がありましたが、これは死ぬほど退屈なものでした。

私たちは王族のように暮らしていますが、ああ、何を主催しますか、どんな会話、どんなディナー!(こんな所で何ができるというのでしょう!)

私たち親子3人でいるとき私たちは笑っている。しかし敵(中産階級)に直面すると私たちは哀れな親子です。(普通の家族形態でない変わり者に見られた)

私はもうあなたがここに来るのを望みません。私はここから逃げることを切望しています。

こんな目に遭わされて初めて私は私のショップ(ショパンのこと)が中産階級の客の前で コンサートをすることを嫌うことを理解しました。

そして、ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド (オペラ歌手)は貴族相手の音楽ホールを見つけることができず、明後日に歌う場所はありません。(つまりショパンも一緒に出演する予定はキャンセルになった)

私たちは、カンブレーを予定より一日早く出発しパリへ帰ります。」いつもにもなく弱気なサンドだった。

パリで一番の最先端の生き方をしていると自負していたサンドの価値観は田舎の中産階級の人々には全く通用しなかったのだ。

そのうえ、ショパンのことを誰なのかも知らない中産階級の人たち相手にコンサートどころではないのだ。村の人たちは村から伝わるお祭りのことが重大事なのだ。村の人にとってサンド親子のことは何処からか来た哀れな嘘つきな行商人にしか見えなかった。

サンドはショパンにそれまで、「何処ででも演奏しないと金にならない」と、姑のように口やかましく言ってきた自分が恥ずかしかった。

そして、ショパンの気持ちが少しは分かったサンドは、

「おやすみなさい、シィップ、シィップ、Chip-Chip」とショパンの名前を呼んで、「おやすみ、ソランジュとモーリス」そして、

「私は疲れ果ててもうふらふらです。老いた母があなたを愛するように、あなたの老婆(サンド)を愛してください」

サンドはこの時、36歳だった、ショパンは30歳だった。

革命から、時は既に10年以上が経ち、世の中は、貴族でも農民もでもないブルジョワジー(中産階級)が台頭してきていた。

その波が地方にも広まっていた。

サンドはフェミニスト(feminist)ととして、女性の権利を主張する活動をしていたが、サンドがお金を儲けることは貴族相手の催しであった。

サンドは自分が時代遅れに感じたため、老婆になった気分になったのだ。