2019年9月2日記事より、ディレクターズカットお届けします
1845年の夏もショパンはノアンでサンド一家と使用人を交えた生活を送っていた。
ショパンがノアンで夏の間過ごす目的は、冬になるとパリでは公害や当時の公共の不潔な環境、厳しい寒さが続き、ショパンは体調を崩すことが多く、その上サンドが集めてくるお金儲けのレッスンの仕事とサロンの夜会に追い掛け回されることになり作曲に集中できないからであった。
ショパンはノアンの静かな環境で過ごす短い避暑の間にどうしても新作を生み出さねばならなかった。
この年ショパンはワルシャワの家族宛てに書簡を5日間かけて書くのは2度目であった。
3日目あたりであろうか、ショパンはノアンの2階の自分の部屋で書簡の続きをしたためていた。
「・・・他にどんなニュースを書きましょうか、ポーリーヌ夫人はラインラントの音楽祭へ行っています。
マイヤーべーヤがプロシア王の命令で音楽祭に、ポーリーヌの他、リスト、ビューテンプなどを招いたのです。
また、すでにイングランドの女王も夫のアルバート王子と共に、音楽祭へ向かっています。
ビクトリア女王はシュトルツェンフェルスの訪問を受けたので、コブレンツでメンデルスゾーンはプロシア国王のための音楽祭の準備で忙しくしているのです。
リストはボンで称賛され受け入れられています。
ベートーヴェンの記念碑を建てたことは、寄付金を出した方々が勲章をもらいます。
しかし、ボンでは「本物のベートーベン」を販売しているのです。
それは、ベートーヴェンの葉巻です。ベートーヴェンは、確かにウィーンのパイプのみで葉巻を吸っていたのです。
そして彼らはすでにベートーヴェンの遺品である古い家具、古い机、本棚を販売しており、
「田園交響曲」を書いた貧乏作曲家は死んでから広大な家具ビジネスを営んでいる有様です。
それは、ヴォルテールのウォーキングスティックを販売していたフェルネー=ヴォルテール(ジュネーブ近郊)の管理人を思い出します。」
ショパンは作曲家はいつの世も貧乏であるが、死んでからも身の回りの遺品を切り売りされるとは死んでも死にきれないと、他人ごとではなくわが身を思うのであった。哲学者のヴォルテールの杖までもが遺品として値段を付けて売る商人の商魂たくましさにショパンは内心呆れていたのであった。
そして、ショパンは続けた。
「。。。ウィーンの出版社ハスリンガーは僕がエルスネル先生に捧げた
ソナタ[作品4] を数年前に僕の居るパリに印刷された校正を送ってきました。しかし、僕は訂正して返送しませんでした。僕は単に彼にそれにかなりの変更が必要であると言った。従って、たぶん彼は、印刷することを延期した。おお、時間はどのくらい飛ぶように過ぎ去ったたことか!
僕はそのことがどのようになったかを知りません、しかし、僕はソナタ作品4の出版のことはどうすることもできないのです。」
ソナタ作品4は、1828年ショパンが学生時代にワルシャワの恩師のヨゼフ・エルスネルの元で勉強していた頃に書かれた作品で、エルスネルは、「フレデリック・ショパン、3年生、驚くべき能力、音楽の天才」と自身の日記に書き記した。ショパンはこのソナタをエルスネルに献呈した。しかし、ショパンはウィーンで出会った出版商人はハスリンガーに当時駆け出しと見なされていたポーランドから来た若者ショパンは人種差別的扱いをされてきたため遺恨があったのだ。ソナタ作品4は12年も経過した1841年9月になって、ショパンが有名になってきたためハスリンガーが≪ドイツ民謡スイスの少年による変奏曲≫と≪ソナタ作品4≫を出版したいと風向きを変えてきたのである。ショパンはそれに対して決して靡くことなくはスリンガーの話をかわして来たのだ。(結局はショパンの死後1851年に出版される)
月日が経っても出版されることのないソナタ作品4のことはショパンはずっと気になっているのだ。どうしたらいいものか、フォンタナももういないフレデリックは一番信頼している姉のルドヴィカの意見を聞きたかったのだ。
そして、「僕は、怠け者ではありません。あなたが去年の夏ノアンに来てくださったときのように、あちこちにうろついたりはしません。
僕は自分の部屋で丸一日を過ごします。僕は夏のノアンに滞在中に特定の原稿を仕上げなければならないのです。
[作品60、61、62]を仕上げなくてはならないのです。僕は、冬には作曲できないからです。あなたがノアンを発たれて以来、僕はソナタ[作品58]を完成させただけです。そして今、新しいマズルカを[作品59]以外は、僕は出版社に渡す作品の準備が出来ていません。」
フレデリックは姉のルドヴィカには正直に何でも話が出来た。作曲の仕事は苦労がつきもので昨年の父ニコラスの死の後、ルドヴィカに支えられて書きあげたソナタ作品58以来、フレデリックはマズルカの他は大曲らしい曲が生まれていなかったのだ。しかし、それは怠けているのではなくショパンの頭の中で新しい何かが熟成されるのには時間が必要であったのだ。新しい作品も実は密かにようやく書き進めていることを姉ルドヴィカに告白したフレデリックだった。
「駅馬車が通過する音を聞くことができます。公園の奥を通り過ぎます。
なぜ立ち止まらないのか。。。?」フレデリックは昨年、ノアンに姉が駅馬車で降り立った場所のことを思い出していた。あの時の幸福感が忘れられないのだ、なぜ、今年は来てくれないのか。。。仕方がないことは分かっていても、昨年の幸福感の反動で寂しさが増してしまうフレデリックだった。
「ジャックとソランジュとほろ馬車で素敵なドライブからちょうど戻ってきました。
ジャックは、今年、サイモンの代わりにサンド夫人に贈られた巨大な純血種の犬の名前です。サイモンは年老いてしまい1本の足が動かないのです。
ジャックはこの種類の見本のような素晴らしい犬ですが、彼はこの家の太った主人(サンド)と切っても切れない仲間なのです。
雨が降ると、ジャックは馬車に飛び乗って来て、
彼の頭が濡れてしまうような寝そべり方をしたので、向きを回転させて濡れないようにしてやったのですが、今度は尻尾が濡れてしまって。
彼は完全に快適に寝そべるポジションを見つけるには大きすぎます。 。 。 。」
サンドはいつも犬を飼っていた、今度は大型犬である、どうやらショパンとソランジュのドライブに行く馬車に飛び乗ってきたところを見るとショパンのほうがご主人様のサンドよりも好きなのではなかろうか・・・
サンドは一緒に出掛けなかったようである。
そのあと、サンドの気性が分かる文面がフレデリックにより姉ルドヴィカへ書かれた。
「いつものように、ジャン(使用人)は夕食のベルを15分も鳴らし続けている。
サンド夫人は、もしも長い間ベルを鳴らしたらバケツ一杯の水をジャンの頭にかけると約束しました。」
サンドはイライラしている様子である、ショパンとソランジュが仲良く出かけて、しかも愛犬までもがショパンのほうが好きと立候補…。サンドはおもしろくないのである。