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薔薇の小部屋

「パンがなければ・・・」

2021.07.04 06:20

「パンがなければお菓子(ケーキ)を食べればいいじゃない」 マリー・アントワネットの言葉として引用されることが多いのですが、これはジャン=ジャック・ルソーが1765年に著した(1782年出版)自伝『告白』第6巻に書かれた逸話です。 1755年生まれのアントワネットは10歳。この頃はハプスブルク家の皇女で、フランス皇太子妃になるのは『告白』が書かれてから5年後の1770年のことです。 ルソーがワインの供にパンを欲した時に、ある”高貴な女性”が言ったという言葉を思い出し、パン屋ではなく菓子屋に行ったことを『告白』に書きました。その”高貴な女性”の言葉を、後世の作家アルフォンス・カールが1843年出版の作品に、アントワネットの言葉として引用したのが誤解の始まり。フランス革命期には、この言葉は流布していませんでした。 おそらく小麦の不作により小麦粉が高騰して市場にパンが不足した事実や、1789年10月の「パン屋とパン屋の女将をパリへ!」のヴェルサイユ行進などが、19世紀になって、そのイメージを作ったのでしょう。 では、『告白』に書かれた”高貴な女性”とは本当は誰なのでしょうか。 15世紀の侯爵夫人、ルイ14世妃マリー・テレーズ、ルイ15世の第5王女ヴィクトワール・ド・フランス、第6王女ソフィー・ド・フランス・・・様々な”高貴な女性”が挙げられています。                    🌹 ここでお菓子(ケーキ)といわれるのはブリオッシュ。ブリオッシュは16世紀にフランスのノルマンディー地方で誕生しました。一般的な食事用のパンは小麦粉に水と塩、酵母だけを混ぜ、直火で焼き上げたものでした。これに酪農が盛んなノルマンディー地方でバターやミルク、卵を加えたのが始まりです。ふっくらと柔らかく、甘みがあるブリオッシュは、食事パンとは全く違う味わいです。 フランスパンと総称されるパンが現在のようになったのは19世紀。丸く焼かれたブールのようなパンだったものが、今ではフランスパンの代名詞ともいえるバゲット、やや丸みを帯びたパリジャン、蓋が付いたようなシャンピニオンなどが作られるようになりました。『ベルサイユのばら』でロザリーが隣に住むピエール坊やとパンを半分に分け合う場面がありますが、この時ロザリーが持っているのはバゲット。日本人にわかりやすいフランスパンとして描かれたのでしょう。 日本で最初のフランスパン店は関口フランスパン。聖母仏語学校(現在のカトリック関口教会)の司祭ジャン=ピエール・レイが孤児たちの職業訓練として製パン部を作ったのが始まりです。                    🌹 贅沢、浪費の象徴にされるマリー・アントワネット。 「パンがなければお菓子(ケーキ)を食べればいいじゃない」は、後の世の人間にも、赤字夫人と揶揄されたアントワネットを連想させる言葉だったのです。