檜扇の由来
ひな祭りは、本来は、旧暦(太陰太陽暦)のお祭りですので、今年(平成27年)は、4月21日が「3月3日」になります。
ひな祭りの起源については前回の記事にかきましたように、ヤヨヒ(三月)ミカ(三日)の
古代の天皇陛下の「トツギノリ」結婚制定日を伝えるものでありました。
さて、おひな様のお持ちになっていらっしゃる扇を「檜扇(ひおうぎ)」と申しますけれども、今日は、その由来をヲシテ文献からご紹介いたします。
ヲシテ文献とは、共通の文字「ヲシテで」記された古文書で、ホツマツタヱ、ミカサフミ、カクノフミ・フトマニの三書を総称する古伝書です。
お話は、ヒルコ姫(=ワカ姫。イサナギ・イサナミさまの御長女)が、アマテルカミのイサワ(伊勢志摩・伊雑宮)の宮におられたときのことです。
ホツマツタヱ1アヤ
キシヰ(和歌山の古名)にて、ワカヒメ(ヒルコヒメ)が、ホノコさま(アマテルカミの正妃)と共に田んぼを襲った穂虫を払われた場面です。
ホノコさまが田んぼの東に立ち、30人の女性を左右に立たせ、ワカヒメの御詠みになられた32文字の祓いのウタを360回、繰り返しながら皆で扇ぎますと、穂虫は飛び去り、西の海に落ちてゆき、再び稲が実りました。
この時、穂虫祓いに使われましたのが、「カラスアフギ」の葉でした。
ヲシテ文献に「カラスアフキ」と記される植物は、現代では「ヒオウギ」という植物名になっています。
カラスアフギ(ヒオウギ)は、アヤメ科アヤメ属の多年草で、 夏至の頃、花をつけます。朝咲いて夕方しぼむ一日花です。
その実(み)は黒色で「ぬばたま(射干玉)」と呼ばれ「黒」「夜」に係る枕詞(まくらことは)とされておりますがヲシテに照らすならば、何故、これらの名がついたのかが解るわけです。
カラスアフギの種ヌバタマは、真っ黒の闇の色をしているけれども、それは死んでいるのではなく、調和をもって今動いている生命が息づいており日の出を思わせる花を夏至の最も太陽の高い頃につける。
東から昇り、南に高くあがり、西に沈む太陽の運行と春の若葉、夏の青葉、秋の紅葉、
冬、葉が落ちるとも地中では根が育まれる自然の循環。
ワカヒメのホムシハラヒのウタは、お前たち虫もそのような自然の循環の中にある。
ゆえに稲の葉を独り占めに食べてはいけない。と詠まれたものでした。
大自然の恵みを受け、人々に教え、栄えさせ、 国の中心で治める存在(アマカミ・朝廷)。
稲の全滅を嘆くキシヰのタミを絶望から豊かな実りへと導いたワカヒメの功績にそのオシクサ(教え草)として「カラスアフキ」を「クニモリヲサム」象徴としてヒノキの板を使って「ヒアフギ(檜扇)」が作られました。
和歌山県には二つの扇祭りが伝承されており、熊野速玉大社では、社殿に国宝の檜扇を立て
『虫を払い五穀豊穣を願う』神事が執り行われます。
そして「日の扇」を使った祭礼が紀伊半島、那智大社の夏祭り。
7月14日に行なわれる熊野那智大社の例大祭は、別名「扇祭」「那智の火祭り」とも呼ばれ、
御輿には、この「ヒアフキ」の花を飾り、日の丸扇が32扇取り付けられ
12台それぞれの神輿に、4株のヒアフギの草がつけられ、全部で四十八株。
カラスアフギハ
ソフ(12)ハナリ ヒアフキノハ ハ
ミナ ハラフ アワノ ヨソヤ(48) ソ
と、ホツマツタヱの内容と一致して、ヲシテ時代からの伝統を今に色濃く伝えています。
モトアケ
アモト(宇宙)から降りそそぐ48(ヨソヤ)の音韻。
虫を祓った32音(みそふ)のウタには、わが国の国歌である「君が代」の32音に通じる重要な意味があり
32文字の和歌の意味
ホムシハラヒのウタの意味はこちらにびーちぇさまの解説が
ワカ姫「和歌」のマシナイ
ワカヒメ和歌の求婚はこちらをご覧ください。
ヲシテ探求
「ヲシテ言語学」で探る日本語(やまとことは)の源(みなもと)
「ヲシテ文献」とは、
共通する文字「ヲシテ」で記された古伝書を総称し
ホツマツタヱ
ミカサフミ
フトマニ
の三書が発見されており、
日本書記・古事記と徹底的に比較した結果記紀の原書であることが判明しましたが
いわゆる学会では認められていません。
が、しかし、「ヲシテ」に照らせば日本語(やまとことは)の謎が解けてしまうことが判ってきたのです。
これが記紀の原書でないと云うならいったい何だというのでしょう??