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会津美里町「高尾嶺」登山 2021年 紅葉

2021.10.31 11:13

観光鉄道「山の只見線」”沿線の「会津百名山」登山。今日は、旧新鶴村の最高峰「高尾嶺」(869.1m)に登るため、三島町から只見線の列車に乗って会津美里町に向かった。

  

会津美里町は、平成の大合併(平成17(2005)年)で、会津高田町・会津本郷町・新鶴村が合併して成立した。「高尾嶺」のある旧新鶴村地域は、北で会津坂下町に接している。ちなみに、新鶴村は、明治31(1898)年に田村と野辺村が合併して生まれ、100年以上続いた村だ。

 

「高尾嶺」は「会津百名山」の第74座で、「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社)では以下の見出し文で紹介されている。

高尾嶺 <たかおみね> 869.1メートル
山頂は雑木に囲まれ、樹間から四方は見えるが、葉の繁る夏期は眺望は利かない。[登山難易度:中級]*出処:「会津百名山ガイダンス」(歴史春秋社) p158

 

また、「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)には「高尾嶺」単独の記述は無いが、瀧谷組田代村の項に「杉山」があり、説明文に“高尾嶺”が記されていた。

●田代村 ○山川 ○杉山
村より巳の方十町二十間にあり、頂まで二十町餘雜木多し、叉村より十町東に高尾嶺と云山あり
*出処:新編會津風土記 巻之八十「陸奥國大沼郡之九 瀧谷組 田代村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p96 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)


「会津百名山」登山に臨む前には、ネットで山行記を探し読み込み、自分が歩く姿をイメージするようにしている。しかし、「高尾嶺」の山行記は少なく、稜線や山容をはっきりと示した写真も見当たらず、登頂までのイメージは断片的にしか持てなかった。

さらに、国土地理院「地理院地図」に、大谷地~久保田(柳津町)の“集落間連絡道”の破線はあったが、「高尾嶺」山頂までの登山道を示す破線はなかった。*地図出処:国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: ttps://maps.gsi.go.jp/

 

今回の「高尾嶺」登山は、大谷地溜池付近から“集落間連絡道”に入り、踏み跡やリボンテープを見つけそれを辿る事にした。踏み跡やテープが見つからない場合、地図の等高線をたよりに頂上を目指そうと思った。

 

今日の旅程は以下の通り。

・前泊した三島町から、只見線の上り始発列車に乗って会津美里町に向かう

・新鶴駅で降りて、輪行した自転車で「高尾嶺」の登山口となる大谷地集落跡に向かう(13.4km)

・大谷地溜池付近から「高尾嶺」登山を開始

・登頂後、同じ道をたどり下山し、駅の方に戻る

・会津コシェル「新鶴ワイナリー」に立ち寄り、「新鶴温泉」で汗を流す

・只見線の根岸駅から列車に乗り、乗り継いで富岡に戻る

 

会津美里町の天気は曇り時々晴れで、雨が降らないとの予報が出ていた。“登山道無し”でも、雨が降らなければ何とかなるだろう、と思い現地に向かった。

*参考:

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の秋

 

 


 

 

早朝、三島町の大谷川河口に建つ宿、宮下温泉「栄光館」を後にした。温泉は5時30分から利用可能、との事で朝風呂に入りたかったが、6時1分発の列車に乗る必要があったため、今回は断念した。

温泉は言うに及ばず素晴らしく、会津地鶏を中心とした地の料理も全て旨かった。また利用したいと思った。 

  

  

自転車に乗って5分ほどで会津宮下駅に到着。自転車を折り畳み、輪行バッグに入れて誰も居ない駅舎待合所に入った。

  

 

窓口で切符を購入し、椅子に座って少し待った。

駅員が扉を開錠すると、ホーム移動。まもなく、汽笛が聞こえ、ヘッドライトを煌々と点けたキハE120形がやってきた。

6:01、客の居ない後部車両に乗り込むと、会津若松行きが会津宮下を出発。

   

会津宮下~新鶴間は590円。

  

  

列車は、“アーチ3橋(兄)弟”の長男・大谷川橋梁を渡り、次男・宮下橋を見下ろしながら進み、まもなく「第二只見川橋梁」で只見川を渡河した。上流側に見えるはずの会津百名山「三坂山」(831.9m)には全体に雲が掛かり、全く見えなかった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋集覧

  

会津西方を出発すると、名入トンネルを抜け「第一只見川橋梁」を渡る。

上流側の駒啼瀬は、順光のためか比較的明るく、木々の色づきが見えた。朝日が差せば、澄んだ空気と冴えた水鏡で素晴らしい景色になるだろうと思った。

 

下流側は逆光で、全体的に暗く、残念だった。

11月3日には、只見線にはトロッコ列車の「風っこ」号が臨時運行される予定になっている。紅葉は見頃を迎えているだろうと思うので、乗客が陽光に照らされた木々の色付きを楽しめる事を願った。

 

 

列車は会津桧原を経て、滝谷の手前で滝谷川橋梁を渡り三島町から柳津町に入る。明るさが増したせいか、渓谷の色づきが綺麗に見えた。昨日より、紅葉が進んでいるようだった。

  

郷戸を過ぎ、“Myビューポイント”で振り返って景色を見る。ここも、会津百名山「飯谷山」(783m)は全体が雲に隠れて、全く見えなかった。これから登る「高尾嶺」はどうだろうか、と不安になった。 

 

車窓から景色を見る事がひと段落したため、朝食にした。昨夜「栄光館」の女将さんに、朝食はおにぎりを作ってください、と伝えておいた。地元の新米で握られた大きめのおにぎりが2つと、おかずには味噌のしそ巻があった。会津らしい、旨い旨い朝食だった。

  

  

列車は、会津柳津を出て会津坂本手前で会津坂下町に入り、“七折越え”に入り、塔寺手前から徐々に標高を下げ、濃い霧に覆われた会津盆地に入っていった。七折峠を境に表情を変える会津の気候の変化を、また目の当たりにした。

  

途中駅で、私の乗った後部車両に客の乗り降りは無く、車内には列車のディーゼルエンジン音だけが響いていた。

   

6:42、会津坂下に到着。下りの会津川口行きとすれ違い、私の乗る車両にも5名ほどが乗り込んできた。


 

 

 

  

 

6:50、若宮を過ぎて会津美里町に入った列車は、新鶴に到着。

 

私一人を降ろした列車は、霧の中、南に向けて走っていった。

今回登る「高尾嶺」の登山口がどのような状況かよく分からなかったので、駅待合室で登山靴にスパッツを取り付けるなど準備をした。

  

7:03、輪行バッグから取り出した自転車を組み立てて、新鶴駅を出発。

   

駅前を左折し、線路に沿って少し北上し、踏切を渡り、霧に包まれた県道59号(三島会津若松)線を進む。

  

7:21、かつて銀山街道の宿場だった佐賀瀬川集落に入る。ここから分岐まで、自転車で走行するのは二度目となり、道の形状が分かり気が楽になった。

  

太陽は、未だ霧の向こうにあった。

  

集落を抜け、佐賀瀬川沿いに緩やかな坂を上ってゆくと、霧が徐々に晴れ、上空には青空も見えてきた。

  

この先、民家が極端に少なくなる事から、ここで熊鈴を身に着けた。今回も、山中にいるであろう熊に自分の存在を知らせ、彼らが近づいてこない事を願った。

  

 

しばらく進むと、県道が狭隘部になると松坂集落に入った。

 

前回ここを通った時には、乗用車が停まり、人が住んでいるような雰囲気だったが、今回は人の気配を感じなかった。家々は手入れされているようだったが、一時的な不在なのだろうかと思った。

この松坂集落はさほど町の中心部から遠くなく、道も比較的平坦だが、車が無いと生活に不自由が出る地域と思われる。地域に若い人間がおらず、住民が高齢化すれば車の運転が困難になり、転居が進み、集落は生活力を失い消滅へと進んでゆく。少子化を前提とした、30年50年を見据えた地域の維持や自治体の運営が求められて久しい昨今ではあるが、未だ政治・行政は道筋を示していない。住民が元気なうちから、部落や集落の“終活”を行い、生まれた場所からのソフトランディングを目指す施策が行われる事を願う。 

  

松坂集落を抜けると、二岐ダムのロックフィルの堰堤が目の前にあった。*参考:会津宮川土地改良区 水土里ネット会津宮川「二岐ダム」URL:http://aizumiyakawa.jp/hutamatadam.htm

 

農業用で、農繁期に貯水されるという。農閑期の現在、佐賀瀬川が小さなダム湖を創っていた。

 

 

朽ちた家屋が並ぶ二岐集落跡を右に見ながら、上平集落に向かう道との分岐を過ぎ、バイパス化された県道53号(会津高田柳津)線との共用区間を進むと、前方に色づいた山々が見えた。薄日がある程度で、青空は一部にしか見られなかった。

     

市野集落の脇を通過。

 

ここも“廃村”となっていて、数軒の家々が藪木の中に埋もれていた。

  

 

8:19、大谷地溜池に向かう町道との分岐に到着。

 

左に入り町道を進むと、すぐに砂利道になった。この後、大谷地溜池まで未舗装道が続いた。

 

しばらく、木々の間を進む。道は下り区間が無く、比較的緩やかな上り坂が大谷地溜池まで続いた。

  

左側が開けた場所があり、そこから東に目を向けると、雲海に追われた会津盆地が見えた。新鶴駅で、霧の中に消えていった列車の姿が思い出された。

    

町道が南から南西に向きを変えると、上平川の谷沿いになり、左側が深く切れ落ちるようになった。

 

ガードレールなどの防護設備はなく、注意が必要だと思った。

   

町道は、上るにつれて荒れ、洗堀され凹凸が激しい箇所や、リンゴ大の石が多数転がっている場所があった。そして、動物が土を掘り返したようで、一面がデコボコした区間が長く続いた。

     

 

8:54、前方に建物の屋根が見えた。大谷地集落跡に到着したようだった。

  

集落跡を抜け、少し急になり、杉林で暗くなった道をさらに進むと、前方が開けた。

 

チェーンが張られたゲートがあり、その先には堰堤と思われる幅広の土地が延びていた。チェーンを跨ぎ、中に入らさせていただく。 

  

8:59、大谷地溜池に到着。貯水量は少なかったが、周囲の紅葉した山々が水面に映り込み、良い景色を創っていた。

   

少し北に目を向け、「高尾嶺」がある方を眺めた。見える山が「高尾嶺」とする情報もあったが、地形図やGoogle EarthⓇを3Dにして確認してみると、「高尾嶺」山頂は、この稜線に隠れて、大谷溜池からは見えないようだった。

  

堰堤から引き返し、ゲートに向かう。先には、町道から鋭角に曲がり、坂となって北に延びる作業道があった。この道を通っても「高尾嶺」に行けるようだったが、今回は集落跡に近い作業道から登る事にしていた。

   

町道を引き返し登山口に到着。作業道は畑の跡のようで、明るく開けていた。

  

 

 

 

 

9:07、自転車を町道の端に置いて、「高尾嶺」登山を開始。作業を進むが、まもなく、草が茂り、道跡は不明瞭になった。

 

段になった畑を見上げるが、踏み跡などは無く、やむを得ず、登り易すそうな場所を選び、崖を登った。

 

上段の畑跡に着いても、踏み跡などは見えず、とりあえず、草が茂っていない杉林の中に入り、北西に進んだ。

   

すると作業道に合流した。振り返って見ると、どうやらここは、大谷地溜池のゲート前から伸びる作業道のようだった。初めから、このルートを選択しておけば良かった、と少し悔いた。

   

...しかし、この作業道も、まもなく、カヤトに遮られた。どうしたものか、と周囲を見渡すが、踏み跡らしきものは見られず、意を決してカヤトに侵入した。

  

10mほどでカヤトを抜けると、その先に道の形状が認められ、進んでみた。位置的に、この道型が“大谷地~久保田 集落間連絡道”のようだった。

 

しかし、まもなく笹竹を中心に、強烈なブッシュが現れた。

 

ただ、腰を屈め地面を見ると踏み跡らしきものがあった。少し安堵し、ブッシュを押しのけながら、先に進んだ。

  

ブッシュを抜けるとススキが揺れる草場になった。その先に杉林が見えたので、その中に向かった。

 

杉林の中に入ると、道跡が見られ、色あせた赤テープが細い枝にまかれていた。

 

 

道型を進むと、切通しされている場所もあり、ここが、“大谷地~久保田 集落間連絡道”であることを確信した。この道の途中から斜面に取付き「高尾嶺」山頂を目指す、と事前に調べていたので、安心した。

 

そして、よく目を凝らしてみると、左の斜面側の灌木の枝にピンクのテープが巻かれていた。

  

“取付き斜面”だと思い、そばに近づき、見上げてみた。

 

すると、杉の枝にピンクテープが見えた。斜面は急だったが、前後も同じような傾斜だったので、とりあえず、ピンクテープを目指して登り始めた。

   

斜面を登り、ピンクテープのそばに近づくと、傾斜が緩やかになった。周辺はブナの若木や灌木が密集していて、踏み跡らしきものは見当たらなかった。

   

 とりあえず、尾根を目指して、西に足を向け、歩きやすい空間を進んだ。 

 

まもなく杉林が現れ、灌木が少なく歩き易いため、この中をしばらく歩いた。

  

 

9:30、杉林を抜けると、前方にうっすらと山の形状が認められた。「高尾嶺」方面に間違いは無い、と高低差があまりない鞍部に向かって進んだ。

   

頼りになる踏み跡やテープは見当たらず、徐々に傾斜を増す斜面を登り、再び杉林の中を通った。

  

 

9:35、杉林を抜けると、雑草や灌木が生い茂るが、高木がほとんどない開けた場所に出た。一部、獣が通ったような草が倒れた場所が数箇所あったが、踏み跡やテープは無かった。 

  

どう進むか迷ったが、前方に見える尾根に向かって、草や灌木をかき分け、直登することにした。

 

急な斜面に取り付き、地面を見ると、人の靴跡のような痕跡が見られた。

 

よく見ると、間違い無く獣の足跡ではなく、靴底を滑らせながら斜面を進んでいっている痕跡だった。ここを人が通ったと思うと、安心して先に進む事ができた。

  

徐々に尾根が近付き、黄色に色づいたブナ林の鮮やかさを感じる事ができた。

    

背中に明るさを感じ、振り返って見ると、枝木の間から会津盆地がうっすらと見えた。未だ、霧に覆われているようだった。

  

 

9:45、尾根に到着。踏み跡は認められなかったが、少し痩せた尾根だったので、迷うことなく登り進む事ができた。

 

短い尾根を登りきると、前方が開けたが、背丈ほどの灌木が全面を覆っていた。

 

歩けるようなスペースかな、と思って灌木の無い場所に行くと、倒木箇所で、踏み跡やテープなど、登山道と言えるような場所は見当たらなかった。「高尾嶺」がここまでの藪山とは想定していなかったため、気落ちした。

 

救いは、緩やかな斜面と前方に見えた山頂と思われる稜線。そこを目指して、少しでも歩きやすい場所を見つけて、先に進んだ。

  

 

9:48、傾斜が緩やかになり、高木に囲まれているものの、上空が開けた場所になった。山頂は近い、と思い、何も考えずに、左に進んでしまった...。

 

   

10:00、左側に進むと、“山頂”と思えるような平場になり、前方のナラの幹にペンキで描かれた白い丸が見えた。“山頂”らしき周辺は、まったく刈り払いされておらずクマザサや灌木に覆われ、山頂感は感じられなかった。事前情報では、三角点は落ち葉と腐葉土に埋もれているということだったので、“白丸付きナラ”の周辺の地面を探した。

...20分経っても三角点標石は見つからず、『ここは本当に山頂か!?』と疑うようになった。そして、アンテナが1本立っていたスマホで、「高尾嶺」山頂の地図を検索し等高線を見ると、北側が山頂だと分かった。  

   

 

“白丸付きナラ”を背にし、少し進むと、確かに北が少し高くなっていた。クマザサと灌木をかき分けて、足を進めた。

   

 

 

 

   

まもなく、赤い銀テープが巻かれている、まっすぐ伸びた幼木が現れた。

  

10:28、ナラの古木に山名が書かれていたであろうプラ板が置かれていることから、「高尾嶺」山頂に到着した事が分かった。

  

奥を見ると、クマザサの根元に三角点標石らしきものも見えた。 

   

標石の周囲の一部は、落ち葉と腐葉土が取り払われた、真新しい土が表出していた。昨日今日に、誰かがここに来た事が分かった。

    

標石は、それでもよく見えなかったので、自分の靴でさらに落ち葉と腐葉土を周辺から取り払った。

  

「高尾嶺」三等三角点標石に触れ、登頂を祝った。低山ながら、なんとかたどり着いたことに、ホッとした。

  

 

山頂は、“白丸付きナラ”と比べ開けていたが、人手が入っているような雰囲気ではなく、クマザサと灌木に覆われた周辺と同化していた。 

  

周囲を見渡しても、眺望は無かった。

  

東側が、枝木の間から、会津盆地がわずかにみられるだけだった。

 

10:40、間違った“白丸付きナラ”を含め、山頂周辺に1時間ほど滞在し、下山を開始。 

  

 

 

間違いの発端となった分岐に着き、振り返って見渡した。この周辺は刈り払いし、案内板を設置した方が良いと思った。  

   

 尾根を下る。見下ろすと、ブナとナラの混成林の色づきの美しさが実感できた。

 

斜面を慎重に下りながら、地面をよく見ると、踏み跡と言われればそう思えるような場所もあった。

  

斜面の途中で立ち止まり、前方を見ると、モザイク調に紅葉した小高い山の向こうに、未だ一部が霧掛かった会津盆地と、会津百名山「磐梯山」(1,816.2m)の山影が見えた。「高尾嶺」登山道から見えた、最高の麓の景色だった。 

 

  

  

踏み跡やテープなどの目印が無いため、“来た道を忠実に引き返す”訳にはゆかず、地形から判断し、クマザサと灌木をかき分けながら、慎重に下った。 

 

高低差の無い鞍部を越えたところで、灌木の少ない南側の杉林の方へ進んでみた。槻坂という急な斜面になったが、足元にはワラビだけが生え、杉の枯葉が堆積していたので歩い易かった。

 

しばらく進むと、靴跡と足を滑らせたような痕跡が見られ、山頂の三角点標石周辺の落ち葉などを取り払った登山者のものだろう、と勝手に思った。

  

スギ林の中を下ると、前方にうっすらと水面が見えた。大谷地溜池のようで、池の北辺に下りてきた事が分かった。

 

池の縁に下り立つと、作業道と思われる踏み跡が見られ、快調に足を進めた。

 

5分と掛からず、大谷地溜池のゲート前に到着した。

 

 

  

11:05、林道を200mほど進み、出発地に戻ってきた。「高尾嶺」山頂から25分掛かった。

休むことなく、道脇に停めておいた自転車にまたがり、林道を下った。序盤のデコボコ道は、スピードを落とし、ゆっくりと下りた。  

   

上平川に向かって切れ落ちた場所が続く区間では、麓の景色を見ながら進んだ。

 

「磐梯山」の稜線も、くっきりと見えた。

    

11:23、県道53号線との分岐に到着。登山口から18分で下りきった。この分岐から大谷地溜池まで、上りで40分掛かっていた。林道が整備されていれば、もっと早く快適に下る事ができると思った。これがあるから、自転車で坂を上る苦労に耐えられる。

 

「高尾嶺」登山を無事終えた。事前情報が少なく、不安を抱えて登ったが、熊にも遭遇せず登頂でき、ホッとした。

「高尾嶺」は、登った後の感想が難しい山だった。三等三角点標石に触れた事で登頂した感覚はあったが、『ここは本当に高尾嶺か?』と思ったりもした。登山口を示す案内、登山道や踏み跡、刈り払いの痕跡や鉈目、山頂の山名標...などが無く、地図・地形図と少ない山行記を頼りに登頂し、『三角点標石があった』と納得するしかないような山だった。只見線に乗って「会津百名山」登りを初めて、初めて経験することだった。

 

今回「高尾嶺」に登ってみて、現状の「高尾嶺」を言い表すならば以下のようになる。

・廃村(市野)を見ながら、登山口のある廃村(大谷地)にたどり着き登る旧新鶴村最高峰で、地域の歴史を考え想像する事で魅力が高まる山。

・小さい時、好奇心から道無き裏山を探検しているような感覚で、高い方高い方にむかってゆくうちに山頂にたどりつく山。但し、標高が800mを越えるので、道迷いをリカバリーするだけの経験と体力が必要な山。

  

 

現状、ネット上の山行記が少ないことからも、登山者は少ないと思われる。しかし、昨今の登山ブームや“山ガール・山ボーイ”の出現で、会津百名山「高尾嶺」を目指す登山者が増える素地はあるのではないだろうか。また、“観光鉄道「山の只見線」”の周知・認知に沿線山岳アクティビティの充実は欠かせず、“旧新鶴村最高峰”という分かりやすい枕詞が付く「高尾嶺」はコンテンツとして外せないと思う。

 

「高尾嶺」には、“登山道の開拓”というレベルの取り組みが必要だ。 

①登山ルートの策定

②雑草の刈り払いと進路をふさぐ枝木の伐採

③急坂のヒモ場の設置

④ルート案内板と山名標の設置

⑤山頂やルート上のの眺望創出

私見として以上の事柄が考えられるが、地主の了解を得て、行政が主導し対応して欲しいと思う。予算は「只見線利活用」事業費や国の地域振興費などに応募し獲得し、スタッフは旧大谷地集落に縁のある方々を中心に、イベント化しボランティアを募るなどをすれば、注目度は高まり、登山者集客にもつながるのではないか。

 

もちろん、駅(新鶴、根岸)からの二次交通問題もある。バスもレンタルサイクルもなく、タクシーは高田地区や会津坂下町から呼ぶ必要があり、その負担は現実的ではない。登山口まで13kmを越えるので、徒歩も現実的ではなく、現状只見線を利用して「高尾嶺」に登る場合は輪行しかない。

当面は地主の了解を得て、登山道整備などを行い、山開き登山開催を目指す。そうなれば、只見線を利用した登山をイベント化でき、送迎バスを出せるようになるだろう。

その後、一定の登山者があると見込まれたならば、レンタルサイクル(電動、各駅に乗り捨て可)を整備し、ソロ登山者の需要を満たしてゆく。


「高尾嶺」登山が、“観光鉄道「山の只見線」”の山岳アクティビティになる道のりは長く、困難だろうと思う。しかし、只見線が観光鉄道化するまでの5年10年の時間に合わせ、福島県が中心となって会津美里町や地域住民の協力を得て、徐々に登山道などを整備してゆけば達成できるのではないだろうか。

「高尾嶺」の今後に注目し、私もできることをしてゆきたいと思う。


 

「高尾嶺」登山の後は、「新鶴ワイナリー」に立ち寄り「新鶴温泉」に行く。県道53号線に入り、自転車を快調に進めた。DAHON社製の折り畳み自転車の剛性は保たれていて、使い始めてから5年を過ぎても、フレームはがたつくことが無く、最近では感心している。

  

町道と県道の合流点から、17分で佐賀瀬川集落に入った。

 

集落の中の分岐を、右折し、葡萄畑の方に進んだ。

   

 

 11:47、公園の水道でと登山靴の汚れを落とし、「新鶴ワイナリー」に到着。

 

会津コシェル「新鶴ワイナリー」には、完成後初めて訪れた。

 

当初の予定では、登山後にここで昼食を摂ろうと考えていたが、レストランは新型コロナウィルスのため営業を控えているため、叶わなかった。緊急事態宣言は解除され、福島県内の感染者数もゼロ~1桁となっているが、高齢化の進む地域の特性を考えれば、やむを得ないと思った。

 

レストランは休業中だが、各種ワインなどの試飲はできるようになっていた。

     

手を消毒し、検温を受け、ワイナリーの中に入る。天井が高く、大きな窓から自然光が取り入れられ、木材がふんだんに使われたインテリアと調度品、所々の間接照明とともに良い雰囲気だった。

 

カウンターにはワイナリーで作られている品々が並べられていた。全て試飲できるようで、札にはボトルと試飲(グラス)の料金が書かれていた。

 

カウンター上部には、試飲用の磨かれたグラスが逆さに置かれていた。

スタッフと話をさせていただき、今回は、発売されたばかりの赤ワインを購入することにした。

次は、「新鶴ワイナリー」でワインを飲みながら食事をしたいと思った。

  

「新鶴ワイナリー」の次は温泉。ワイナリーのすぐ近くにある「新鶴温泉健康センター」に向かった。

 

新鶴には、猪苗代町出身の野口英世ゆかりの地(弘安寺 中田観音)があり、入口近くには大きな看板が設置されていた。

 

北側にある入浴・休憩棟に行き、エントランスを進んだ。

 

自動ドアが開くと、足元には町のゆるきゃら「あいづじげん」が描かれたマットがあり、出迎えてくれた。タマゴ型をした特異な形状のキャラクターだが、たくさんいると、愛嬌が増す。

玄関に入ると、自動検温器の前を通り、手をアルコール消毒し、受付で料金500円を支払い、靴を脱いで湯に向かった。

 

浴室は広く明るく、ジャグジーや薬湯など、様々な浴槽があった。汗を流し、湯に浸かり筋肉をほぐし、ゆっくりと過ごした。

  

「新鶴温泉健康センター」を出て、県道365号(赤留塔寺)線に入る。(会津)銀山街道の案内板があり、久しぶりに読んでみた。 

  

銀山街道案内板から少し坂を下ると、南欧風の外観のレストラン「ハッタンドゥ」がある。ここは「新鶴ワイナリー」と経営母体が同じで、新型コロナウィルスのため休業中になっている事だった。 

 

「ハッタンドゥ」は小高い丘にあり、目の前に広がる葡萄畑を見ながら、食事をすることができる。食材の中には、県立会津農林高校から提供を受けているものもあり、地域と共に歩んでいるレストランとなっている。

 

「ハッタンドゥ」が建つ周辺の斜面には葡萄畑が多く見られる。ここは大手「メルシャン」に白ブドウを長年に渡って供給している。 

 

    

坂を下り、弘安寺に向かう。日本遺産「会津の三十三観音めぐり」の構成文化財の一つになっている寺院だ。*参考:日本遺産「会津の三十三観音めぐり」第三十番札所 中田観音 

 

弘安寺の本殿。「新鶴温泉健康センター」にあった看板で紹介されている、野口英世ゆかりの地で、母シカが息子の立身出世などを願い、毎月17日の月詣りを欠かさなかったという。

  

 

弘安寺を出て、500mほど離れた只見線・根岸駅に向かう。駅に向かっていると、レールを駆る音が静かに聞こえ、まもなく、南から下り列車がやってきた。 

 

そして、田圃の中の根岸駅に停車。

 

一人の客を降ろし、会津坂下町方面に走り去っていった。

 

 

13:40、根岸駅に到着。車を近くの空きスペースに停め、列車にカメラを向ける“撮る人”が一人居たが、客は誰も居なかった。

  

京浜東北線にも“根岸駅”があるが、こちらが元祖であるため“会津”が冠むらない。名は同じだが、駅周辺は全く異なる。

  

ホームで昼食となる総菜パンを食べながら待っていると、若い男性客が現れ、続いて、上り列車が姿を見せた。 

 

会津若松行きの2両編成が到着。私の他、2人の客が乗り込んだ。

  

13:24、列車が根岸を出発。車内は座席がほとんど埋まり、混んでいた。

列車は、会津高田を経て会津本郷直前で会津若松市に入り、大川(阿賀川)を渡り市街地に入り、西若松七日町で少なくない客の乗降があった。

  

 

 

14:21、会津若松に到着。今日も、いわき直通の高速バスに乗って帰るため駅舎を出た。

 

 

 

18:29、富岡に、到着。今回も、無事に2座の会津百名山に登る事ができた。

  

 

 帰宅後、「新鶴ワイナリー」で入手したPinot noir 2020を飲んだ。

 

キャップシールには、「新鶴ワイナリー」のロゴがあった。

 

ワインの味は良く分からないが、ブドウの香りと風味がしっかりと感じられる、旨い飲み口だった。何より、只見線沿線の畑で採れたブドウを使い、商品として仕上げている事が嬉しく、感激しながら飲んだ。

次の機会は、併設するレストランで、このワインを飲みながら食事をしたいと思った。

 

 

(了)

 

 

・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日) 

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

 ①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、宜しくお願い申し上げます。