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土崎空襲を語り継ぐ 『土崎港(みなと)被爆市民会議』

土崎南小6年生が土崎空襲を学びました

2021.07.19 00:15

 去る7月2日(金)、秋田市立土崎南小学校の6年生57名が土崎みなと歴史伝承館を訪れ、土崎空襲について学びました。
 最初に、秋田ケーブルテレビ制作「語り継ぐ土崎空襲~終戦前夜の悲劇~」の映像(約30分間)を観たのち、体験者の伊藤津紀子さんのお話しを聞きました。
 土崎空襲がなぜ、いつ、どのように行われたか?空襲下で人々はどんな状況におかれ、どんな悲劇があったのか?リアルな伊藤さんのお話に真剣に耳を傾けていました。さらに、重くギザギザした爆弾の破片を実際に手にし、破片が脇腹を貫通して死亡した当時6年生の岩間君が着用していた穴の開いた学童服、当時の女性が着用していた衣服、肩下げの布製の鞄、防空頭巾なども目にして、空襲の恐ろしさや当時の厳しい暮らしぶりなども実感できたようです。今回は時間の余裕もあり、空襲展示ホールの展示物をゆっくりと見学することもできました。
 もう二度と戦争があってはならない、実際に土崎であったことを次に伝えなければ、との思いを共有できた時間となりました。


以下、 アンケートより


 「ばくだんのはへんにあたって、かんつうしたという事や、ばくだんにあたって、手足がバラバラになったり、首がなかったというのが印象に残りました。」

 「たくさんの爆弾がみんなが住む土崎に落とされて、たくさんの人がけがをし、死んでしまったということを聞いて、大切な命をむだにされたんだと思いました。けがをしても消毒液のようなものしかなかった時代だったので、おおきな  けがをしたらほとんどの人は助からなかったんだなと思いました。」

 「首がとんでいたり、手足がバラバラになっている絵を見て、とてもこわいと思いました。生き残った人は、どこにかくれていたのか、かくれていた人はどのような事を考えていたのか、どのくらいの人が、どのような事を話しながらかくれていたのかなどが気になりました。」

 「いつもあそんでいた築山が、戦争に深くかかわっていたと思うと、考え深いし、応急処置をしていた女学生の人たちがここにいたんだな、ここでたくさんの負傷者がいて、たくさんの死者を見てきたんだなあと思うと、少しこわいと思いました。あの築山の岩にたくさんの記おくや、感情がつまっているのだと思いました。」

 「・戦争は,、いろんな人のしあわせをうばうものだなと思いました。 ・日本が戦争というものを始めなければよかったと思った。 ・ばくだんはとてもおそろしいと思う。」

 「戦争はざんこくでもう二度とくり返してはいけないと思いました。いつも遊んでいるつき山が昔は血を流した人たちが来て、死んでいったと考えると悲しくなります。今日の学習をして、私たちも後の人たちに伝えていかないとなと思いました。」