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メンヘラとは。〜ブロッコリーのクリームパスタ〜

2021.07.20 14:36

先日うちで呑んでいた時、メンヘラの話になった。

「私は元メンヘラ。」

と言ったらやまだだから、

「自覚症状が無いのも、メンヘラの特徴のひとつらしいよ。」

と嫌味を言われた。

こういうのを、受け取り方が百万通りくらいある文字だけのSNS上で言っちゃうから炎上するんだよな、と思った。

が、現実世界でもやまだだNGな人がわりといるので、問題はもっと根深いところにありそう。

私はズバッと言われてもあんまり気に障らないんだけれど、無理な人は無理だろうなあ。



やまだだの身の振り方云々はさて置き、そもそもメンヘラとは一体なんぞや、と考えてみる。

検索してみると、おおむね病んでいる人、心に何かしらの問題を抱えている人、とある。

同時に、厳密な定義付けは難しい、とも書かれていた。

"メンヘラ"という語感は、どちらかといえば負のイメージ。

問題児や厄介者的ニュアンスのある表現だと思う。

自傷行為をする女の子や、一風変わった趣味趣向の人に対して、メンヘラと総称する人や記事を多く見かける。

そもそもメンヘラの定義が何なのかぼんやりとしているので、思考を巡らせたところで答えは出ない。

それを前提とした上で、考えてみる。


私の感じる、いわゆる"メンヘラ"というのは、誰よりも正直で、誰よりも生きづらい、といった印象。

語源であるメンタルヘルス=精神衛生に準ずるように、コントロールの利かなくなった心に振り回されてしまっている人の事だと思っている。

思うようにいかない、どうして、なんで、と自問を繰り返していくうちに、己をも疑い、他者を敵視し、最終的にはひとり孤立して精神を病んでしまう。

これって、ちょっと思春期に似ている。

様々な人の感情が身の回りで多発し、それらを感知する程度まで精神的成長が為された時、人は、今まで感じた事のない矛盾や葛藤、神経の使い方に戸惑い、疲弊する。

うまく丸く収められる人もいれば、処理し切れない情報に滅入ってしまう人もいるし、それが極限状態になれば、発狂する事だってある。

未知の世界だからだ。

こうなるはずだと踏んでいたのと真逆の方面から、現実がなだれ込んでくる。

「こんなはずじゃなかったのに。」

自責というのは、理想と現実の齟齬から生まれる。

純粋で真面目が過ぎる人ほど、この差異にどこまでも落ちていく。

そうして、他者に向けられない感情や、やり場のない想いが、自分に牙を剥く。

その抗えない荒波に、次から次へと飲み込まれて、いろんな形で爆発したり、攻撃したりする。

単なるワガママなのか、止むを得ずであるのか、それとも両方であるのか。

いずれにせよ、自制が出来ないのは共通するところ。

本人でさえ、操縦できない状態なのだ。

親身な存在であり続けるには、骨が折れる。

こちらから距離と頻度を調整していかなければ、関係はなかなか続けられない。


私自身振り返っても、"元メンヘラ"と自称する程、精神の荒ぶりが酷かった。

なぜ"元"と称したかといえば、史上最悪の頃と比較して、今現在が平穏極まりないからである。

刃物を振り回す必要が無く、コンクリートに何度も頭を打ちつけることの無い世界。

それでも心療内科に通う私は、やまだだが言う通り、今でも絶賛、メンヘラの一員であるのかもしれない。

先月は珍しく、日記に露呈するくらいの振り回されっぷりをした。

精神を病んでいる人とメンヘラの違いは、"台風の目と成り得るか否か"なのではないか、と、先月心の嵐から生還して思った。

周囲を、たとえばそれが1人でも、己の竜巻に巻き込んだら、"メンヘラ"と称するに値するのでは。

そもそも、メンヘラという言葉は他称されるもののような。

勿論、メンヘラたる由縁をクリアし、メンヘラと自称する子もいる。

今や、本家パンクから派生したファッションパンクと同じように、メンヘラという言葉が独り歩きし、文化となっている。

でも、"精神を病んだ人間"を、デコレーションして公言し易くした形が"メンヘラ"という言葉であり、文化なのではないだろうか。

「精神病なんです。」

と打ち明ける他なかった時代よりも、グッとハードルは下がったと思う。

同時に軽々しさも含んでしまうが。

物事には必ず、良し悪しがあるものだ。


心の根底が不安定であるが故に、視野が狭まり、枯渇しているが為に、どこまでも求めてしまう。

等価交換を逐一全てに求めてしまう上に、そこからさらなる報酬を欲しがってしまう。

不安だから。

欠乏しているから。

満足していないから。

足るを知る余裕、余暇のない状態の人。

私の考えた、メンヘラの原理原則。


20代を過ぎると精神が落ち着き、不安などの症状が軽くなるという説もある。

苦しくてどうしようもなくても、目の前の1秒よそ見をして、多少狡くても生きてみてほしいと思う。

死ぬことはいけないことではないから、生きていてほしいというのは、完全なる私のエゴだけれど。

私自身、一番辛く苦しかったのは、世界が限られ逃げ出す選択肢もない小中学生の頃だった様に思う。

生きていれば、人は何度でも生まれ変われる。

うっかり、人生を完全に葬るような事がないよう、もっとよそ見をして生きよう。

私の大好きなシンガーの海月ひかりさん。

この『僕の中の小さな怪獣』という曲は、まさにそんな生きる事が苦しい女の子の曲。

海月ひかりさんは、ただただ希望を唱えるだけの歌唄いとは違って、人の心に寄り添ってくれる歌を紡いでくれる。

そして、ピアノも歌声もめちゃくちゃカッコいい。

そしてそして、お酒が大好きなんである。

こちらはもっと昔のライブ音源。

この曲が大好きで、昔海月さんのワンマンライブに伺った際、

「カバーしても良いですか?」

とお聞きした所、快くどうぞと言って下さった。

ライブでたまにカバーさせて戴いています。

無善寺に昔出ていた片山さゆりんは、海月さんの妹分くらいの勢いで仲良しらしい。

うらやまし過ぎるぜ。

さゆりん、最強にエモカッコいいからなあ。

普段あんまりうらやましい感情が湧いてこない私も、こればかりはうらやましいと思いましたね。

海月さんはつい最近お子さんが産まれたそうである。

なんと。

また復帰されたら、ライブを観に伺いたい。

メンヘラについて、昨日書いた日記でした。

なんだかたくさん書いてしまった。

上手に挨拶できるかどうかとかより、剥き出さざるを得ない人が、私は好きです。

今日は陽が傾いた夕方からお出掛けして、勢いで中野のドンキホーテまで歩いて往復した。

暑いのでホットパンツにサンダルで行ったのだが、ヒールのサンダルで1万2000歩以上歩くのはさすがに無理があったようで、足の裏がめっちゃ痛い。

水ぶくれにならないことを祈るばかり。

今夜はブロッコリーのクリームパスタ。

お野菜多めにしたので麺少なめにしようかなと思ったのだが、いやいや今日2食しか食べてないんだから減らしちゃあかん!と、きちんと80g計って茹でた。

そもそも80gが少なめですし。

前までしゃがむと太ももの血が止まるのでは?くらいパツパツだったホットパンツが、するっと履けた。

しゃがむのも前屈も、その他ストレッチも全く問題無し。

やはり、痩せたのだな。

夏で体力消耗するし、現状維持に努めよう。

食べろ、俺。

口の裏側の爛れたのがまだ治らない。

いたいよう。

うがい用のイソジンを塗って様子を見ます。

はやく寝なければ。

睡眠が一番のお薬なのよな。

歯磨きしまして、ねんねします。

おやすみなさい。