第4章 その1:「AC療法1クール目」
実家に帰ってから、いよいよ抗がん剤との闘いの日々が始まった。
全部で4クールのAC療法に備えたかったので、これからの日記を、より詳細につけていくことにした。自分の体の変化や気づきの記録が、回を重ねるごとに役に立つのではないかと思ったからだった。
(まずは、一週間の様子を、当時の日記で振り返ります。)
■【投与日】2015年6月9日
■【2日目】2015年6月10日(病院から実家に帰った日)
■【3日目】2015年6月11日
深夜に目が覚めてトイレへ。気持ちが悪く、起き上がるのも一苦労だった。朝まで浅い眠りを繰り返し、起床しても全く食欲がわかなかった。
体中がだるい。胸もズキズキ。むくんだ顔を鏡で見ながら「これが副作用か…」と思った。抗がん剤投与直後は自己暗示でのりきったものの、さすがにもう受け入れるしかない。
杏莉はがんばります、と、ふと尾田平先生のことを思い出した。そういえば、入院時に尾田平先生に会ったのは、最初の挨拶のとき一回だけだった。
その代わりに退院前の診察で「退院しても大丈夫です」と言ってくれたのは、例の女性ドクターだった。
■【4日目】2015年6月12日
眠気がとれず、頭も重い。起床できたのはお昼頃。
このまま横になって断続的なつらさを受け止め続けることに耐えられなくなり、シャワーをして自宅に戻ることにした。
あとになって考えると、このタイミングで、ひとり自宅に帰るなんて無謀だったと思う。でもこのときはあとさきを考える余裕もなかった。一方では「がんばらなくちゃ」と、無理をしていたのかもしれない。
入院中はまったくできなかった家事も気になるし、できれば仕事もしたい。でも、とてもじゃないけどそんな状態ではないので、自宅でできることだけをして静かに過ごした。胸がずっとズキズキしているのが気になった。
■【5日目】2015年6月13日
過去最悪のしんどさだった。
重力がズーンと全身にのしかかってきて、いつも生活している層のもう一つ下、地中深くに沈められていく感じ。横になっているだけでもつらい。全身のだるさや筋肉痛とは違うつらさだった。
読ませていただいていた闘病ブログなどで、この「ズーン」という症状がくることは知っていたけれど、いざ始まってみると、ここまで気力も体力も削いでいくものだとは…想像以上だった。
■【6日目】2015年6月14日
年に2、3度来る激しい頭痛の前兆があったので、薬を飲む。午後はずっと頭痛と「ズーン」に苦しめられた。過去最高のしんどさを、今日また更新した。
実は、自宅に戻ってからときどき仕事をしていた。習性みたいなもので、届いているメールを開いてしまうと、ちょっとだけ…と思いながらつい作業に入ってしまう。
抗がん剤投与における1クールのサイクルを理解しないまま、知らないうちに無理をしていたのがよくなかったのだと思う。パソコンの画面を見つめたり、集中してアイデアを考え込んだりしていたことが、重い頭痛を引き起こしたような気がする。「今後、投与後5~7日目には仕事なんかせずに、ゆっくり過ごそう。」と思った。
母が来て代わりに家事をしてくれたのでありがたかった。仕事をしていたなんて母には言えなかった。
床を見て、ドキッとした。髪の毛が落ちていた。まだ本格的な脱毛は始まっていなかったけれど、「いずれはどんどん抜けていくんだろうな…」と思うと、ものすごくさみしくなった。
■【7日目】2015年6月15日
苦しさは軽減していて、朝の目覚めも悪くはなかったけど、日記によるとこの日は「最悪な一日」だった。
このつらい2日間に限界がきたのか、些細なことをきっかけに心にひびが入った。その裂けたところから嫌な感情が一気にあふれだしてくるのを、止めることができなかった。
この日の日記には、「朝、取り乱す。夜も発狂した。」と書いている。ところがいくら思い出そうとしても、なにがあったのか思い出せない。記憶に鍵がかかったように、そこだけぷつりと途切れている…。こんなことってあるんだなあ。
夫にもきっと、八つ当たりをして嫌な気持ちにさせてしまったと思う。ごめんなさい…。
夫は、この日のことを特に何も言うでもなく、見守ってくれている。
もしかしたら、いつか、すべてを笑って話せるようになったときに、この日のことを思い出すのかもしれない。脳には、心を守るための記憶の鍵があるんだろうか。