犠牲が出なきゃ動かない。
2021.07.20 05:26
先日、暫く音信が無かっ取引先の社長か電話が有った。
世相話のなかで、日本はいつからこんな国になったのか?と言う話になりなした。
私は、徳川家康以来ではと言うのに対して、彼は、鎌倉時代からだと言う。
「泣く子と地頭にはっかなわない」と言うでしょうと言われ大いに納得した。
私の青春時代は、正に大学紛争の余波の中にあった。 「この国は何かオカシイよね」
と言う素朴な疑問に端を発し、日本社会の矛盾に立ち向かおうとしたが、結局社会を変える事は出来ず社会の渦の中に飲み込まれ経済先兵として生き右肩上がりの時代、バブル時代も経験しジェットコースターの様な人生も終盤に向かっているが、振り返ると何も変わっていない様に思う。
熊・羆の問題もしかり、結局犠牲が出なければ次へは、進まないだろう。
対策会議も実行性がないのも、今に始まった事では無いだろう。
そして、猟銃所持取消問題も少なからず影響しているだろう。
猟師側にもあまり関わりたくないと言う気持ち、何かあったら ”取消” が目の前にぶらぶらしていては、慎重にならざるを得まい。
抱えた問題が一番大きいのは、警察・公安委員会かも知れない。 駆除後2か月も経過してからの事件化、確定的証拠の不在・関係者の調書も無く・得意の状況証拠も超拡大解釈によるこじ付け的弁明、公安側弁護士から出てくる、当事案とおよそ関係性に首をかしげる様な疎明資料や判例そして極めつけは、警察・公安委員会自らが定めた処分規定にも該当しない処分決定。
こんな状況では、国民の生命と財産を守ること自体が出来ないのは当然だろう。
具体案が無いのは、何もしない・出来ない事を宣言する様なものだ。
新たな犠牲者が出ない事を祈るばかりだ。