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ホオズキは、鬼の提灯【ちょうちん】

2018.07.20 04:41

http://m.zukan.net/blog/2012/08/810-5.xhtml 【ホオズキは、鬼の提灯【ちょうちん】?】より

 ホオズキは、日本で、昔から栽培される植物ですね。浅草のほおずき市が有名です。赤い果実を観賞するために、求められます。お盆の仏壇や、精霊棚【しょうりょうだな】―お盆に、先祖の霊を迎えるために作る棚―に、果実が飾られることが、多いですね。

 古事記や日本書紀にも、「あかかがち」という名で、ホオズキが登場します。それほど古くから、日本人に馴染みがあるわけです。けれども、ホオズキの原産地は、日本ではありません。アジア大陸のどこかだと推測されています。

 ヨーロッパからアジアにかけて、ホオズキは、広く分布します。日本のホオズキと、ヨーロッパのホオズキとは、同じ種の中の変種として、区別されます。ヨーロッパのホオズキは、セイヨウホオズキ、ヨウシュホオズキなどと呼ばれます。

 ヨーロッパでも、ホオズキの果実が、飾りに使われることがあります。どこでも、あの赤い果実は、愛らしく感じられるのでしょう。あちらでは、クリスマスや、新年の飾りにされるといいます。日本とは、ちょうど反対の季節ですね。

 ホオズキの漢字名は、「酸漿」です。むろん、これは、当て字です。ホオズキの中国語名が「酸漿」なのですね。それに、日本語の読みを当てました。

 ホオズキには、別の漢字名もあります。「鬼灯」です。こちらも、当て字ですね。「鬼灯」にホオズキの意味を当てたのは、日本だけの用法です。中国には、ありません。

 なぜ、日本では、ホオズキに「鬼灯」の字を当てたのでしょうか? これは、ホオズキをお盆に飾ることと、関係がありそうです。「鬼」という漢字には、元来、「幽霊」という意味があるからです。「鬼灯」とは、「幽霊の灯」という意味になります。

 そもそも、なぜ、ホオズキをお盆に飾るのか、その理由が、わかっていません。一説に、ホオズキの果実を、死者の霊を導く提灯【ちょうちん】に見立てたのだといいます。これによれば、「鬼灯」という漢字名が当てられたのも、わかりますね。

 昔の日本人は、ホオズキの果実に、愛らしさとともに、不気味さも感じていたのかも知れません。古事記の「あかかがち」も、大蛇ヤマタノオロチの表現に使われています。

図鑑には、ホオズキが掲載されています。ぜひご利用下さい。


https://www.kokugakuin.ac.jp/article/150943 【八つの頭と尾を持つ大蛇ーヤマタノオロチ 古事記の不思議を探る】より

 ヤマタノオロチは、日本神話のなかで最も怖ろしい怪物でしょう。古事記によれば、頭が八つ、尾が八つ、谷を八つ渡るほどの大きな体で、その表面にはコケや杉が生えています。腹は血で真っ赤にただれ、目はほおずきのよう。不思議なことが一つあります。「ヤマタ」は八つ股があるという意味です。股が八つなら、頭は九つです。でも頭は八つ。ヤマタノオロチは、イソギンチャクのようにたくさんの頭が胴体からぐるりと出ている姿でしょうか。もちろん「八」は、数が多いことを意味しますから、ヤマタノオロチもたくさんの股があるヘビということかもしれませんが、想像をかき立てる怪物です。

 このヤマタノオロチは、出雲を毎年訪れ、娘たちを食べていました。今年はクシナダヒメの番です。そこにスサノオが現れ、クシナダヒメとの結婚を条件に、オロチ退治を申し出ます。

 スサノオは、まずとても強い酒を造らせ、八つの瓶に注がせます。そこにオロチがやってきて、一つ一つの瓶に頭を突っ込んで酒を飲み出しました。酔っ払ったオロチは眠ってしまいます。そこをスサノオがずたずたに切り裂き、オロチを倒すことに成功しました。

最後にオロチの尾から立派な剣が出てきます。スサノオはその剣を天にいるアマテラスに献上しました。のちに三種の神器の一つとなる天叢雲剣、すなわち草薙剣がこの剣です。

 こうしてオロチを退治したスサノオは、クシナダヒメと結ばれ出雲で暮らすことになりました。

 ヘビは古くから水の神と考えられてきました。この神話には、田を表すようなクシナダヒメが登場しています。この神話を、氾濫を起こす水の神から田を守る神話と解釈することもできます。また、真っ赤なオロチの腹が製鉄の炎を連想させたり、オロチの尾から剣が生まれていることなどから、鉄文化との関わりも指摘されてきました。

 世界最古の鉄文化を持つヒッタイトの神話にもイルヤンカというヘビの怪物がおり、英雄フパシヤに退治されます。フパシヤは宴会を開き、穴から出てきたイルヤンカにたくさん飲食させ、太って穴から帰れなくなったところを倒しました。酒を飲ませて倒すという点でもよく似ています。

他方で、英雄が人身御供にされた女性を救うために怪物と戦って倒し、その女性と結ばれる話は、ギリシャの有名な英雄神話から名をとって「ペルセウス・アンドロメダ型」といい、英雄の物語にはとてもよくみられる話です。

 ヤマタノオロチから出雲の田園風景、東西文明と製鉄、そして世界の英雄へと、連想は広がっていきます。


https://tetsunomichi.gr.jp/tales-about-tatara/japanese-myth/ 【古事記・日本書紀・出雲国風土記にみるスサノオノミコト】より

 ヤマタノオロチ退治の神話で知られるスサノオノミコトは、最も勇猛果敢な神として不動の人気をもつ英雄神です。

スサノオノミコトの表記は、古事記では建速須佐之男命タケハヤスサノヲノミコト、速須佐之男命、須佐之男命、日本書記では素盞嗚尊スサノオノミコト、神素盞嗚尊カムスサノオノミコト、建速素盞嗚尊等々、出雲国風土記では神須佐之袁命カムスサノオノミコト、神須佐乎命、須佐能袁命などさまざまですが、古事記、日本書記(以下、「記紀」)はスサノオノミコトを皇室祖先神・アマテラスオオミカミの弟で神速勇猛な荒ぶる神と描き、出雲国風土記は須佐すさの地に御魂を止めた穏やかで平和な須佐の長としてその姿を記し、天孫系の神との血縁関係には全く触れていません。

速須佐之男命とヤマタノオロチを描いた浮世絵(楊洲ようしゅう周延ちかのぶ 画)

 ヤマタノオロチ説話は記紀に書かれているもので、不思議なことに出雲国風土記にはその片鱗すらありません。

出雲国に存在したという黄泉国よみのくに

 ここでスサノオの誕生を記紀でみてみましょう。黄泉国よみのくにに妻イザナミを訪ねたスサノオの親神であるイザナギは、あまりに変わり果てた妻の姿に驚き、逃げ帰ります。怒って追い掛けくるイザナミを防ぐため、黄泉比良坂よもつひらさかに千引ちびきの岩を引き塞さえて黄泉国との境としますが、この黄泉比良坂を古事記は「出雲国の伊賦夜いふや坂と謂いう」と記しています。伊賦夜は現在のどこを指すのかはわかりませんが、延喜式神名帳えんぎしきじんみょうちょう下の意宇おう郡四十八座の中に「揖夜いふや神社」がみえ、風土記意宇郡の条にも「伊布夜いふや社」があります。また距離は随分離れていますが、出雲国風土記宇賀郷うかのさとの条に脳磯なづきのいそに窟戸いわとがあり、「ここを古来から黄泉之坂、黄泉之穴と言っている」とあります。これらのことから、出雲には黄泉之国の入口があると出雲人にも大和朝廷の人々にも考えられていたことがうかがえます。

 古来、日本には日本列島を東西軸で分け、東を日出いづる光の国、あるいは幾年生きる生者の世界、そして日の沈む西を暗黒の死者の世界というようにとらえる見方があります。出雲は大和から見ると西、日の沈む方角にあり、かつ風土記伝承の脳磯の黄泉之坂、黄泉之穴の言い伝えから、幽界に通じるどこか不気味でおろそかにできない国というイメージが強かったのでしょう。さらに加賀かか神崎かんざきの金の弓を暗い岩穴に射て貫通させると光り輝いたという不思議な女神の伝承、またここを通過するときは大声をあげて通らないと、船が転覆してしまうといった話も死者の世界と通じる暗闇の世界=出雲といった印象を受けます。

黄泉比良坂(島根県松江市東出雲町)

記紀が描く荒ぶる神・スサノオ

 さて、黄泉の国から帰ったイザナギは禊みそぎ払いをし、そのときアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴子が誕生し、アマテラスには高天原たかあまはらを、ツクヨミには夜を(書記の本文と一書には滄海原あおうなはら)、そしてスサノオには海原うなはら(書記の本文では根ねの国)を治めよと命じます。

 しかし、スサノオはイザナミの命令に従わず号泣しているばかり。その様を古事記は青山が枯れるほど、また川や海の水を泣き乾すほどすさまじく「啼きいさちる」と表現しています。アマテラスに別れの挨拶に高天原へ登って行くときも、スサノオが歩くだけで「山川悉ことごとに動とよみ、国土皆震ゆりき」と古事記は記し、荒れ狂う暴風雨神と印象付けています。

 日本書記も「神性雄健かむさがたけきが然しからしむなり」と、スサノオを暴力的で悪しき神と表現しています。また高天原で神殿に糞尿をまき散らしたり、馬を逆剥ぎにして機織りの部屋に投げこんだり、田んぼの畔を壊したりという乱暴狼藉によってアマテラスが天岩戸あまのいわとに隠れる事態を引き起こしたことは、王権の神聖性に対する冒とくを現しているのでしょう。ゆえにスサノオは髭を切り、手足の爪をはがされて追放されなければなりませんでした。

ヤマタノオロチ退治により出現した剣つるぎ

 ところが一転、出雲国の肥ひの河かわ上、鳥髪とりかみに降りてきたスサノオはヤマタノオロチを退治し、その尾から出てきた剣をアマテラスに捧げるという話が展開します。

素戔男尊すさのおのみことのヤマタノオロチ退治(月岡つきおか芳年よしとし 画)

 ヤマタノオロチが何を象徴しているのかについては諸説あり、たとえば身は一つなのに頭が八つ、尾も八つあり、身体には苔や檜ひのきや杉すぎが生え、長さは八つの谷と尾根にまたがるという記述からヤマタノオロチは洪水で流域を押し流して暴れる斐伊川本支流を現していて、スサノオはこの治水に力を尽くした神という説。また目は赤加賀智あかかがち(=ホオズキの意)のように真っ赤で、その腹は血にただれ、その尾から出た剣をアマテラスに献上するということから、ホオズキのように赤い目はタタラ製鉄に関わる人たちの炎を凝視する目を現し、血にただれた腹の記述は製鉄で燃え盛る炎や流れ出す鉄滓てっさいや炉のなかの溶けた鉄を現している…すなわち古代出雲の製鉄を示しているとする説もあります。

 ヤマタノオロチの尾から出てきた剣を古事記は都牟刈つむがりの太刀たち、後の草那藝くさなぎの太刀といい、日本書記は「これいわゆる草薙剣くさなぎのつるぎなり。一書に云わく、元の名は天叢雲剣あめのむらくものつるぎ。けだし大蛇おろちおる上に常に雲あり。故以て名づくるか。日本武皇子やまとたけるのみこに至りて名を改めて草薙剣という」と記し、皇室の三種の神器の一つがアマテラスの弟・スサノオによって出雲から朝廷に捧げられたと説明しています。

三種の神器(イメージ)――草薙剣・八尺瓊勾玉やさかにのまがたま・八咫鏡やたのかがみ

大和やまと朝廷に必要だった出雲

 剣は国の象徴。スサノオが剣をアマテラスに捧げる行為は、すなわち出雲の大和やまとへの屈伏・服従を意味します。しかもそれが今日に到るまで皇室の三種の神器の一つなのですから、記紀を作った大和朝廷は「神秘の国・出雲を服従させた我々はこの国を治める偉大な存在である」と知らしめたかったのでしょう。

 また、光が眩しいほど輝くためには闇が深ければ深いほどいい、底知れぬ闇があってこそ煌くような光がより一層輝くという意味で、大和と出雲は補完関係にあるともいえます。出雲国はスサノオ、オオクニヌシ、イズモタケルと三度、ヤマトに屈伏しています。

 それだけに留まらず、かつて出雲国造が代替わりごとに天皇の前で祝詞のりとを捧げる、出雲国造神賀詞奏上いずものくにのみやつこかむよごとのそうじょうという儀式がありました。これは一年間精進潔斎した出雲国造いずものくにのみやつこが出雲の全ての神の霊威を身に振り付けて、天皇の長寿と回春(わかがえり)を祈るもので、違う見方をすれば天皇に対する服属儀礼でもあります。服従しつつ新たな魂の息吹を天皇に付与する……出雲にはそれを可能にする何か不思議な力があるのです。

草薙剣と出雲地方のたたら製鉄

 記紀が編纂される頃の出雲は、残念ながらまだ鉄王国といえるほどではなかったといいます。とはいえ、出雲国風土記飯石郡いいしのこおりの条、波多小川はたのおがわと飯石小川いいしのおがわの項に「鉄まがねあり」と記述があり、古墳時代後期・6世紀後半には製鉄が始まっていたことが羽森はねもり第三遺跡(雲南市)や今佐屋山いまさややま遺跡(邑智郡邑南町)などから確認されています。

 さらに中海なかうみ周辺の遺跡から6世紀後半から7世紀にかけての製鉄炉の炉壁が発見されていることから、草薙剣は神話とはいえ、質の良い出雲の砂鉄から作られた可能性はゼロとはいえないでしょう。砂鉄の採れた波多小川も飯石小川も、スサノオが御霊を止めたと風土記が伝える須佐すさも、当時は同じ飯石郡内。想像の翼はいやが上にも広がります。

 人々が川を竜神として崇め、風水害をもたらさぬよう祈るのは古代からの常。炉から燃え上がるすさまじいばかりの炎をたたら製鉄に関わる人やオロチの目や腹にたとえて、三種の神器・草薙剣に結び付けるとは、記紀の作者は見事な語部といえるでしょう。それほどに出雲の鉄は優れていたのです。


https://tetsunomichi.gr.jp/fascinating-tatara/ 【「たたら製鉄」に見る本物の魅力】より 

日刀保にっとうほたたらに火が入るのは、寒さが最も厳しくなる毎年1月中旬から。

 3昼夜通しの操業は炎の格闘でありながら、従事する人々を支えるのは誠意と真心だと村下はいいます。火をよみ、風をよみ、砂鉄の煮える音をよむ。命なきものと人間の対話の果てに「鉧けら」が誕生し、すべては金屋子かなやごさんのおかげと手を合わせます。

 誠実さあってこその美しい鋼はがね。

 日刀保たたらは技術の継承とともにものづくりの精神を現代に伝えています。

日刀保たたら―ものづくりの真髄を伝える伝統技法

 律令制のもと、それぞれの国の歴史や事物を記し天皇に献上した地誌を、「風土記ふどき」といいます。

 和銅6(713)年5月、元明げんめい天皇は国ごとの郡郷の地名伝承、山川原野、草木禽獣、産物、地味、古老の伝承、交通などをまとめた書籍を編纂するよう命じました。出雲国いずものくににおいては20年をかけて調査、執筆が行われ、天平5(733)年、今からおよそ1300年前に『出雲国風土記いずものくにふどき』が完成。今に伝わる常陸ひたち、播磨はりま、豊後ぶんご、肥前ひぜん、出雲の各国の5冊の風土記の中でも、出雲国風土記は最も完本に近いといわれています。

 出雲国風土記では、最初に出雲国の全体像が書かれ、続いて意宇おう・島根・秋鹿あいか・楯縫たてぬい・出雲・神門かんど・飯石いいし・仁多にた・大原の郡こおりごとにその土地の地名伝承、社寺、山川、動植物、交通、軍事施設などが記されています。また、『国引き神話』など、古事記や日本書紀には書かれていない出雲神話も記載されています。

『出雲国風土記』に見る鐵

 出雲地方の、往時の姿を想起させる象徴的な景観や文化――いうなれば「原風景」は、実はたたら製鉄に由来するものも多いのです。そのいくつかを紹介します。


https://tetsunomichi.gr.jp/tales-about-tatara/ 【物語におけるたたら製鉄】より 

ヤマタノオロチ退治の神話で知られるスサノオノミコトは、最も勇猛果敢な神として不動の人気をもつ英雄神です。

スサノオノミコトの表記は、古事記では建速須佐之男命タケハヤスサノヲノミコト、速須佐之男命、須佐之男命、日本書記では素盞嗚尊スサノオノミコト、神素盞嗚尊カムスサノオノミコト、建速素盞嗚尊等々、出雲国風土記では神須佐之袁命カムスサノオノミコト、神須佐乎命、須佐能袁命などさまざまですが、古事記、日本書記(以下、「記紀」)はスサノオノミコトを皇室祖先神・アマテラスオオミカミの弟で神速勇猛な荒ぶる神と描き、出雲国風土記は須佐すさの地に御魂を止めた穏やかで平和な須佐の長としてその姿を記し、天孫系の神との血縁関係には全く触れていません。

 ヤマタノオロチ説話は記紀に書かれているもので、不思議なことに出雲国風土記にはその片鱗すらありません。

ヤマタノオロチと草薙剣の伝説

 『街道をゆく』は、昭和46年(1971)から「週刊朝日」に連載された、司馬しば遼太郎りょうたろうによる紀行文集です。平成8年(1996)に著者の急逝により絶筆となるまでの全43巻にわたって、著者が国内外の街道・みちをたどって目にしたその地の歴史・文化などについて書かれています。

 昭和50年(1975)1月6日から8日にかけて、司馬氏が日本に古くからある製鉄法・たたら製鉄ゆかりの地を求めて出雲(現在の島根県東部)から吉備(現在の岡山県から広島県東部)までを旅した際の紀行文は、『街道をゆく』に「砂鉄のみち」として収録されています。

「砂鉄のみち」をたどる――司馬遼太郎『街道をゆく』より

 作家有吉ありよし佐和子さわこの小説『出雲の阿国おくに』は、「たたら」をモチーフに歌舞伎かぶきの始祖と伝わる出雲の阿国の一生を追ったフィクション作品です。

 作者は、主人公である女性「お国」は「どうしても出雲から出たものでなければならず、しかもたたらの血筋の者でなければならなかった」(「神話の生きている国」『世界』昭和42年4月)としています。

 「お国の身の内には火が燃えちょうけん気をつけろ」と諭された少女・お国は、念仏踊りの一座に同行して京に上り、火のようなその踊りはやがて「天下一」と称されるようになります。

たたらに命吹く 出雲の阿国

 宮崎駿監督のアニメ『もののけ姫』には「たたら場」が、物語のカギを握る重要な場所として登場します。主人公アシタカは、たたり神の呪いを解こうと旅をする中、たたら場でエボシ御前と出会い、呪いの正体を知り、やがて人間ともののけの戦いに巻き込まれていきます。

 この、『もののけ姫』に登場するたたら場のモデルは、島根県雲南市吉田町にある「菅谷すがやたたら」であると言われています。

 『もののけ姫』には、たたら製鉄やたたら製鉄に従事する人たちの暮らしに触れたセリフも出てきます。菅谷たたらにおけるたたら製鉄からこれらのセリフを読み解き、『もののけ姫』をちょっと違った角度から味わってみませんか。

映画『もののけ姫』をたたら製鉄から読み解く