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ZIPANG TOKIO 2020「『赤神神社 五社堂』 鬼が積んだ999段 国宝・重要文化財 秋田県男鹿市」

2017.02.02 08:00


国宝・重要文化財 赤神神社五社堂は石段を登りつめた標高約180mのところに建っており、山中に同形式の五棟の社殿が並び建つ様子は壮観である。赤神神社五社堂、左より十禅師堂、八王子堂、赤神権現堂、客人権現堂、三の宮堂。

男鹿半島の西端の本山は、赤神権現を信仰する修験道場として開かれました。赤神神社はこの一郭をしめ、秋田藩主佐竹氏の厚い保護を受けてきました。  五社堂は、中央に正面入母屋造、妻入の赤神権現堂をおき、この両側にやや小規模の同形式の堂を二棟づつ並べている。各堂とも要所に彫刻を施して装飾してある。  赤神神社五社堂は、同形式の五棟の堂が並び建って壮観であり、細部には秋田県の近世社寺建築にみられる地方的な特色をよく示していて、大変に資料的価値が高い建築である。


五社堂は赤神神社の本縁とされており、中央堂に主神として赤神を祀ったの で、赤神神社の名称になったとされている。 建保四年(1216)別当円転が霊夢に感じて鎌倉の右大臣源実朝公に請願、 円転に命じて叡山山麓の山王上七社を勧請したもので二社廃れたので五社に 配祀されたとされている。 各堂の名称は向かって左から、「十禅師堂」「八王子堂」「中堂」 「客人(まろうど)権現堂」「三の宮堂」と呼称されている。また、この 五社堂は建立、再建、修理の年代がよく解るため、近世社寺建築の編年上重 要な建物とされている。現存の五棟の社殿は江戸時代の中ごろ(1710年 宝永7年)に建てられたものといわれ、向拝、屋根、柱、組み物などに珍しい 工夫がみられる。平成10年10月1日より3年6ヶ月、平成の大修理が行わ れた。

構造及び形式等: 桁行二間、梁間三間、一重、正面入母屋造、背面切妻造、妻入、向拝一間、 唐破風造、鉄板葺


国宝・重要文化財 赤神神社五社堂(赤神権現堂)内厨子堂内に置かれた厨子で、室町時代の作。 古建築の少い秋田県下では特に重要なものである。


赤神神社五社堂(中央堂)内厨子

赤神神社の創立はきわめて古く、貞観二年(860年)に慈覚大師(円仁)が寺院を建て、鎌倉時代の建保四年(1216年)に源実朝が堂社を比叡山(ひえいざん)に模して造営したといわれている。厨子は五社堂の中央堂内にあり、室町時代末期の時代的特性をよく伝えている。


国指定重要文化財 数多き伝説と今に残る神話の足跡 赤神神社 五社堂

五社堂への石段には地元では有名な言い伝えがある。 およそ2000年の昔、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきた。コウモリは5匹の鬼に変わった。武帝は5匹の鬼たちを家来として使ったが、1年に一度正月を休みにさせた。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになった。困った村人たちは、一夜で千段の石段を築くことができれば1年に1人ずつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りてこない、という賭けをした。鬼たちは精魂を尽くして積み上げあと一段!正に完成寸前、というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちはあきらめて、約束どおり山奥へと立ち去ったといわれている。

この鳥の鳴き声は、モノマネの上手な村人が石段完成を阻むために鳴き真似をしたとか、いつも鬼に馬鹿にされている天邪鬼が腹いせに鳴き真似をしたとか言われている。 鬼が来なくなって何か心寂しく感じた村人たちが、年に一度正月15日に鬼の真似をして村中を回り歩く様になったのが、あのナマハゲの始まりだと言われている。鬼が積み上げた999段の石段を言い伝えを思い浮かべながら歩いてみてはいかがでしょう?


石段を完成させることのできなかった鬼は憤慨して千年杉の大木をひっこ抜き、逆さに立てたといわれている。五社堂境内の社務所に保存されているのが、それであると言われている。


鬼が築き上げたという999段の石段を登ると赤神神社五社堂が見えてきます。祀られているのは5匹のなまはげで、両親と子供3人だといいます。 赤神神社の赤神とは、前述の漢の武帝のことだと言われています。男鹿には赤神や鬼に関する言い伝えや神話が数多くあります。「男鹿の赤神と津軽の黒神のけんか」もそのひとつ。 また、そばには覗いたものの余命をあらわすとされる「姿身の井戸」や「御手洗の池」などの不思議なスポットがあります。

「姿見の井戸」 赤神神社

東屋(四阿)の姿見の井戸

覗いたものの余命をあらわすとされる「姿身の井戸」また、井戸の中を覗いてみて、自分の姿が映らなかったら、 3年以内に命を落とすとの言い伝えもある。


他にもある「姿見の井戸」高野山 奥の院

その昔、病を患った扶閑[すけずみ]中納言の夢の中に弘法大師が現れ、「我が山の霊水を飲めば病は速やかに治りましょう」と告げられました。そこで中納言がこの井戸の水を飲むと、たちまちに痛みが止まり、井戸には「薬井」という名前が付けられました。

江戸時代にはこの井戸をのぞき見て、自分の姿が水に映らなければ3年以内の命であるという説が広まり現在のように「姿見の井戸」と呼ばれるようになりました。

東京都練馬区にある長命寺

井戸をのぞきこんだときに、自分の顔が水面に写れば長生きできるという言い伝えがある。


福岡県糟屋郡須恵町の若杉山の中腹、左谷山建正寺

天台宗の開祖:最澄が晩年に掘ったと言われる独鈷水(おこうずい:霊水がわき出す井戸)として知られ、横のお堂に安置されている伝教大師座像(町指定文化財)も、この井戸に自分の影を写して刻んだものだと言われている。


「男鹿の赤神と津軽の黒神のけんか」とは

ここは赤神神社五社堂の「赤神」にまつわる伝説に関連しています。 - 昔、陸奥国の津軽の竜飛に「黒神」という雄々しく頼もしい神様が住み、羽後国の男鹿には「赤神」という情深い優しい神様が住んでいました。そして二つの国の境にある十和田湖には、とても美しい一人の女神が住んでいました。 いつしか、女神をめぐって赤神と黒神は恋争いとなりました。激しい戦いが続くが決着はつきません。この時、勝負の行方を見物しようと八百万(やおよろず)の神々は津軽の岩木山に集まっていた。黒神の肩を持つものは右側、赤神に好意を持つものは左側へと寄ったところ、黒神を支持するする方が多かった。岩木山の右肩が低いのはこの時、大勢の神々たちに踏み潰されたためである。

岩木山は、津軽平野南西部に位置する二重式火山で、山容は円錐形、山頂は三峰に分かれ、標高は1625mと青森県内で一番高い山です。 山麗には温泉が湧出し、昭和41年に8合目まで津軽岩木スカイラインが完通しました。

十和田湖

赤神の軍師が突然の死を迎えた事で、形勢は一気に黒神側に傾いた。追い詰められた赤神は空寂(くううじゃく)という穴に隠れ篭ってしまう。勝ち誇った黒神は十和田湖に駆けつけたが、肝心の女神の姿が見えない。実は女神は、赤神と共に空寂の窟に隠れていたのだ。それを知った時の黒神の溜息で蝦夷(北海道)が津軽(青森)離れてしまった -

津軽の龍飛崎。岩が雄々しく黒色をしている

写真中央には、女神と赤神が隠れた「空寂の窟」が見える。

女神と赤神が隠れた「空寂の窟」が、この孔雀(蒿雀)の窟として残っています


今でも、津軽の龍飛の方に行くと岩が雄々しく黒色をしているのに対し、男鹿の岩が大方赤味を帯びていて比べると穏やかな形をしています。 そして、この話の中にある「空寂の窟」が、この孔雀(蒿雀)の窟として残っています。更に、この窟には鬼が住んでいるので船を入れるとき舷を叩く、また窟の深い奥底には一つの石の扉があって、その扉を開くと、雪のように白い女性が立っているという伝説も残っています。伝説の舞台としてこの奇勝な場所をご覧になれば一層その魅力に感動できることと思います。

昨年7月23日をもって建立八百年をむかえた赤神神社五社堂。2017年1月新たな年を迎え.五社堂の中央に鎮座する赤神様が男鹿の人々を様々な災難から守っています。


「滋覚大師 円仁」ゆかりの比叡山延暦寺「寺根本中堂」と「横川中堂」を紹介いたします。

比叡山 琵琶湖からの眺め


比叡山延暦寺 根本中堂(国宝)


延暦七年(七八八)、伝教大師が比叡山に初めて鎮護国家の道場として建立されたのが根本中堂の始まりで、比叡山の総本堂です。  現在の建物は寛永十九年(一六四二)、徳川家光公により再建された比叡山様式の特色あるお堂で、ご本尊は伝教大師自作の秘佛薬師如来を祀り、内陣では毎日国の安泰と国民の繁栄を祈って、護摩が修せられ、宝前には有名な「不滅の法灯」が輝きつづけております。 上の文章は根本中堂の門前に掲示されている説明板をそのまま再録しています。


比叡山延暦寺 横川中堂


懸崖に建つ舞台造の朱塗りが印象的お堂は首楞厳院(しゅりょうごんいん)又は根本観音堂とも呼ばれ、横川の中心となる大きな建物で、慈覚大師円仁が伝教大師の教えに基づいて嘉祥元年(848)に創建しました。円仁の遣唐船の形を模した船形の屋根になっています。
横川中堂は新西国霊場第十八番の札所でもあり、ご本尊には重要文化財に指定されている聖観世音菩薩がお祀りされていて、除災招福のご利益がいただけます。



鎹八咫烏 記



協力(順不同) 男鹿市観光商工課 〒010-0595 秋田県男鹿市船川港船川字泉台66番地1 TEL 0185-24-9141(DIN) FAX 0185-23-2424(代表) 株式会社 男鹿なび 〒010-0511 秋田県男鹿市船川港船川字海岸通り2-12-8 TEL:0185-23-2465 FAX:0185-24-5044  

一般社団法人 男鹿市観光協会 〒010-0511秋田県男鹿市船川港船川字新浜町1-1 TEL0185-24-4700 FAX0185-24-5700
比叡山延暦寺
日原もとこ氏
東北芸術工科大学名誉教授、アジア文化造形学会会長、風土・色彩文化研究所主宰