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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

仏王処刑5-ルイ16世パリへ帰還

2021.07.20 11:33

1789年10月6日、早朝から暴徒はヴェルサイユ宮殿に侵入、まず中庭から近衛兵達を血祭にあげた、さすがに数が多すぎて抵抗できないのは2021年1月6日と同じである。ようやくフランス衛兵隊2分隊がやってきて宮殿から暴徒を追放した。ラファイエットはさらに遅れ「モルフェウス将軍(居眠り)」とあだ名がついた。

群衆は「王はパリへ」「オーストリア女に死を」と叫ぶ。ラファイエットは国王をバルコニーに立たせると、とたんに「国王万歳」が響き渡った。さらにラファイエットはこの機に、王妃と子供も呼ぶ。アントワネットは「どんな苦しみにも耐えます、もうためらいません」と出た。

群衆は、「国王万歳!王太子万歳!」と叫ぶ。なんと「王妃万歳!」という声まで聞こえたのだ。まあ実に気の変わりやすいものだ。この民衆を喜ばせるパフォーマンスができなかったのが、ルイの敗因といえなくもない。ともかく国王は、ラファイエットの求めに応じてパリに行くことにした。

そして3時間後、6万人の行列がヴェルサイユからパリに向かった。国王ルイ16世はフランス国民の王として、パリのチュイルリー宮殿に住むことになった。市庁舎には王座が据え付けられていた。ヴェルサイユの倉庫からは小麦や食料が運び出され、女達はおおいに満足した。