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「燃えていく人」を見たとき「あなた」はどう思いますか?拒食と不眠に悩んだ少年のお話です。

2021.07.11 11:34


 

心穏やかなあなたへ 

 

 題名を見て驚かれた方も多いと思います。今日は、「燃えていく人を見てしまった少年」のお話をさせていただきます。

もしあなたが、

「燃えていく人を目の当たりにしてしまったら、その後どうなると思いますか?」

 当事者になってみなければわからない。想像がつかない。という方が多いと思います。

燃えていく人を見た少年は小学6年生です。この少年は、大人になってもこの悪夢にさいなまれます。少年はあることをきっかけにストンと死に対する恐怖が消え、生かされていることに気づき始めます。

そして少年は、テレビ・新聞・雑誌に取り上げられました。少年に一体何が起こったのでしょう?

良かったら、お読みいただけると嬉しいです。

 

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 「 一度死んだ男の子 」

 戦後間もない貧しい日本。食べる物も少なく皆、生きることに必死だった時代です。赤ちゃんは、自宅へ産婆さんを呼んで出産します。大きな桶に湯を張り、生まれてくる赤ちゃんを迎えるのです。 

ある宿場町の一角で、予定日を一ヶ月も過ぎているのにまだお腹にいたいとダダをこねている赤ちゃんがいました。

 


 

 1948年5月2日、

大きな大きな男の子の赤ちゃんが生まれました。出産予定日を一ヶ月も過ぎていますから、髪は伸び、体は他の赤ちゃんよりもひとまわり大きく、ずっしりとしていました。見た目とは裏腹に赤ちゃんは、ぐったりとして、全身紫色です。息はしていませんでした。

 

赤ちゃんは、逆子だったのです。産道で腕が引っかかり時間がかかってしまいました。このことが原因で窒息死したのでした。産婆さんは、死産だと夫婦に伝えました。夫婦にとって、初めての子どもでした。死産だと聞いた家族は落胆の色を隠せませんでした。

 

突然、赤ちゃんの祖母が、立ち上がり焼酎をもってきて焼酎を口に含みました。祖母は、赤ちゃんの両足首つかみ逆さ吊りしたと思うと、赤ちゃんの全身めがけて「ぶっ~!!」と焼酎を吹きかけ、体中を手でバチバチ何度も何度もたたきました。

 


 

「おぎゃ~おぎゃ~。」

 

するとさっきまでぐったりとしていた赤ちゃんが、堰を切ったように大声で泣きだしたのです。生死の淵から、息を吹き返した赤ちゃんは「勝巳」と名づけられました。 

 

 

 「 炎の中の祖父 」 

それから12年の時が過ぎました。勝巳は、大きくたくましい少年に育ちました。近所でも有名なイタズラっ子です。母親の日課は、イタズラをした家へ謝りに行くことでした。どれだけ母親が怒っても素知らぬ顔の勝巳は、「鬼っ子」と呼ばれました。


 

勝巳の母方の祖父がその年、この世を去りました。葬儀が終わり皆が悲しむ中、祖父は火葬場へと運ばれました。 

当時は、設備が整った火葬場はあまりありませんでした。燃やすだけの場所のようなところです。そうとは知らず勝巳は、火葬場で祖父が燃やされているところを覗き見てしまったのです。

炎は容赦なく祖父を飲みこんでいきます。着物が燃え、全身がだんだん黒くなり形が変わっていきました。勝巳を抱きしめてくれた胸も包み込んでくれた腕も黒く縮んでいきます。あたりには、祖父の燃えていくなんとも言えない臭いが立ち込めていました。 

 

 「死んだらこれで終わりなのだろうか?いつか自分自身も、ああなってしまうのだろうか?」 

 

 祖父が他界した悲しみに加え、祖父の燃えていく様子をまじかに見てしまったショックで、勝巳は食べることも眠ることも出来なくなりました。

勝巳は何をしていても、燃え盛る炎に包まれていく祖父の光景が脳裏から離れませんでした。

「眠らなきゃ。」

そう勝巳が思えば思う程、

「このまま目をつぶったら、死んじゃうかもしれない。死んだら、おじいちゃんみたいになってしまうんだ・・・・。」

という恐怖が湧いてきます。

眠ることも、食べることも出来なくなった勝巳は、以前のように屈託の無い笑顔で笑う事も近所でイタズラをし遊びまわるようなこともしなくなりました。今までの事を何もかも忘れてしまったかのように、勝巳は部屋の片隅で一人、どこを見ているわけでもなくじーっと暗く重い表情で過ごすようになりました。 

 


 

 「 勝巳を大きく動かした先生の一言 」 

心配した両親が、近所の病院へ連れて行きました。診察を終えた医者は、

 

 「この薬を飲むとね、とってもよく眠れるんだよ。」

 

 と言ってある薬を処方してくださいました。勝巳は、その日から眠れるようになりました。勝巳が、薬を飲まなくても眠れるようになった時、薬はただの胃薬だったと聞かされました。

 

「眠るための薬じゃないのに、僕は眠れた・・・・。こんな不思議なことが起こるのだろうか?」

 

勝巳にとって、このなんとも不思議な経験は、勝巳の人生を大きく動かしていくのでした。

 

 

 「 ぬぐえない記憶 」 

勝巳は中学生になりました。剣道部に入部しましたが、毎日の稽古は辛く厳しいものでした。勝巳は、部活の疲れから自然と眠気が来るようになり、お腹も減るようになりました。

けれども、勝巳は落ち込んだり悔んだりすると決まって「炎の中で燃えている祖父の記憶」に苦しめられました。

 


これは、勝巳が大人になり、教員になっても続きました。

 

 「人が生きる意味とは何だろうか?人は死んだら、祖父のように終わるだけなのだろうか?」 

 

 勝巳はいつも、心のどこかで答えを追い求めていました。

 

 

 「 本当に、そうなんですか? 」

 

 教員生活を送る中、勝巳は上司からの推薦もあり、岐阜県教員代表として「国立上越教育大学大学院」で心理学を学ぶことになりました。 そこで、「峰岸教授」と出会います。給料のほとんどを書籍代につぎ込み、家の中は本で埋め尽くされた「本の虫」のような教授でした。

峰岸教授は、幅広い分野の知識を持ち何を聞いても答えることが出来ました。勝巳は、峰岸教授に挑むように毎日の峰岸教授に会いに行きました。峰岸教授は、熱心に通う勝巳の話を聞きながらいつも必ず勝巳に問うのです。

 

 「あなたのいう事は、確かにそいうかもしれません。けれども、本当にそうなんですか?」 

 

念を押してもう一度、 

 

「あなたのいう事は、本当に正しいのですか?」 

 

「本当に、そうなんですか?」との言葉は、30代の勝巳には深く深く刺さりました。

 

「一つの物事を鵜呑みにしない。」

「多角的な方向から物事を見る。」

「一文字一文字を大切に扱う繊細さ。」

 

を育ててくれた峰岸教授との貴重な時間は、勝巳の人生の根っことなりました。

 後に、勝巳は、二冊の本を出版することになります。この時、峰岸教授の教えの通り勝巳は、実直にありとあらゆる面からその正しさを追求し誰が見ても納得のいく検証を繰り返し著書を出版します。

 

 

 

 「 過去の自分 」 

 

勝巳は大学院を卒業し教員として働く中、「登校できない」「ピーマンが食べられない」「バスに乗れない」子どもたちの姿に過去の自分自身を重ねました。

勝巳は、拒食や不眠に悩み苦しんでいた自分を助けて下さった医師のように「自分にも、子どもたちを助けることは出来ないだろうか。」と考えたのでした。 

 

 そこで勝巳は、日本催眠学の最高峰である「成瀬悟策医博」に学び資格を取りました。

 

 学校心理士認定運営機構認定「学校心理士」 

学校心理士認定運営機構認定「ガイダンスカウンセラー」 

 

 勝巳は、59歳までの教員生活で、悩める児童生徒約2500名に教育相談の一環として教育催眠を使い、子どもたちの悩みを解決していったのです。

 

 

「 誹謗中傷と圧力 」

 

 「教育催眠」は、文部省から推奨され、稲垣先生に頼ってくる親御さんが大勢いました。しかし、催眠に対する偏見を持った親御さんの圧力も相当強いものがありました。それでもひるまない勝巳の姿に、否定的な噂を流し、教育委員会へ圧力をかけた団体もありました。

けれども、どれだけ批判をされても勝巳の心は変わりませんでした。勝巳の中にはいつも思い出す光景があったのです。絶望の淵にいた幼い勝巳に「この薬を飲むとね、とってもよく眠れるんだよ。」と胃薬をくれたあの医師の姿でした。

 

「私には、全ての人を救う事は出来ない。けれど、困っている子どもが助けを求めたなら、手を差し伸べたい。私のできることをしたい。」

 

批判されるたび、勝巳はそう言って心を奮い立たせたのでした。


 

「 勝巳の正体 」

 

 勝巳は、教員時代多くの人の悩みを教育催眠で解決してきました。けれど、セッション中ある一人のクライアントの不思議な発言から、霊的な世界への扉を開けてしまったのです。 ここまでくると、もうお分かりの方も多いと思います。そうです。この「勝巳」のお話は、SAM前世療法を創始した稲垣勝巳先生のお話です。

 

さあ、稲垣先生は、どうやって死への恐怖を拭い去ったのでしょうか? 

 

 

 「前世との出会いを体験してからの年表」

 

(詳しいことは、著書『前世療法の探究』 春秋社、2006 『生まれ変わりが科学的に証明された!』ナチュラルスピリット社、2010 に綴られています。) 

 

2005年  

 『 前世療法の探究 』 出版   

 ヒーリング能力を神から送られる  

 新聞に取り上げられる

 アンビリバボー取り上げられる 

 

 2007年  

 霊信が1か月にわたり22通送られる  

 霊信により「魂の仕組み」 がわかる 

「魂状態の自覚」を探る

 「SAM前世療法」の誕生

 

 2010年  

 雑誌「ムー」特集される  

 アンビリバボーに取り上げられる

『 生まれ変わりが科学的に証明された!』 出版

 ハワイで「ラタ・ラジュールの事例」が放映される  

 

 「タエの事例」 「ラタ・ラジューの事例」と「死の恐怖からの解放」

 

 稲垣先生は 、「タエ」の事例で、「火山の噴火」や「タエの村」を現地まで出向き調べました。

「 ラタ・ラジュー」の事例では、クライアントは、ネパール語を知らないが、前世が話すネパール語が本当に通じるのなら、実際にネパール人と対話ができるだろうと「ネパール人を連れてきて会話をさせる」という実験をしました。 

「 ラタ・ラジュー」が語る、「池や村」の現地調査を信頼のおけるネパール人に依頼をしました。これらは、全て稲垣先生の実費で行われました。

 

 「死後の世界はある!!」とどれだけ言われても 「科学的実証」が無い限り稲垣先生は信じることができなかったそうです。 稲垣先生の根底にあったのは 少年時代「楔」のように撃ち込まれた記憶です。 そして、いつも心が答えを追い求めています。

 本当に死後の世界はあるのか? 

 死んだら終わりではないのか? 

 イメージやあいまいなものではなく 確実な証拠が欲しい!!

 安心したい!! 

 

 そんな思いから 緻密なまでに自分自身の疑問をつぶし、 嘘偽りはないか検証しました。

 

 

 「タエの事例」 「ラタ・ラジューの事例」は 、科学的に証明された事例です。稲垣先生にとって 初めて「生まれ変わり」を信じられる手がかりとなったのです。暗闇に 一点の光が差し込んだ 瞬間でした。

 

「揺るぎない行動力」と 「緻密な検証」によって 「前世」があることを稲垣先生ご自身が確信したとき、死への恐怖は自然と消えていたそうです。

 


 

 「前世」があると確信した稲垣先生は、確実に「前世」を顕現化させる方法を考え始めました。

 

「催眠学」に 基づき

「 標準催眠尺度」で確認し、

 「魂の状態」に導く 

 

世界初の「 SAM前世療法 」 が創始されました。

 




SAM前世療法 北陸【富山 石川 福井】

宝田昌子

メール samzennse@gmail.com

 LINE ID samzennse24

住 所 : 富山県高岡市能町南一丁目 81-10 

(8号線沿い・サンコースーパー近く)



 

via マスターSAM前世療法士 宝田昌子

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