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縄文遺跡

2018.07.22 03:41

http://www.city.nasushiobara.lg.jp/44/001761.html 【槻沢遺跡】より

槻沢遺跡は、縄文時代中~後期(およそ4,000~5,000年前)を中心とする大集落遺跡である。ここからは多くの住居跡や袋状土壙(ふくろじょうどこう)(土中に掘られた食糧貯蔵用の穴で底が広くなっている)が発見され、また国指定重要文化財の「深鉢形土器(ふかばちがたどき)」を始め、多くの遺物が発見された。遺跡は低い台地の上にあり、すぐ南側には津室川が、そして200メートルほど北東にも小川が流れる。

遺跡の存在は古くから知られており、これまでに5回(昭和8・10・27・52年、平成3年~6年)発掘がされている。昭和52年(1977)の広域農道建設に伴う第4次発掘調査の結果、幅12メートル、長さ180メートルの範囲から竪穴住居跡31軒、土壙110基以上・敷石遺構(しきいしいこう)・配石遺構(はいせきいこう)などが発見された。土壙群は台地の中央部から西側にかけて、住居跡は台地の東側に密集しており、そこには生活する場所の規制があったようである。

多数の発見により、学術上大きな成果を得たことで栃木県の代表的な縄文遺跡に数えられるようになった。


https://mintun.exblog.jp/23102945/ 【六甲山と瀬織津姫 43 ホツマツタエ】より

保久良神社境内の磐座群 ↓について書いた頃、語り部は、磐座が渦巻き状に配置されていると

霊視した。カタカムナ文献を残したアシア族が、磐座群で宇宙を表現して祀ったものだろう…と。

境内を金網越しに撮影した磐座(神生岩)。

         磐座群が渦巻きを成すかは、一見では分からない。         

私は言った。

「本殿の奥へは勝手に入れなかったのですが、ネット情報では、そういう意見もあるようですね」

「渦巻き状の磐座は、まさに先日のブログの内容、カタカムナのウタヒ”を象ったものだと思います」

そう言えば、やはり縄文人の古伝と言われる『ホツマツタエ』の「アワ(天地)の歌」も

古代人の宇宙観を表し、四十八音が渦巻く。

語り部は言った。

「古代の人々が六甲周辺にいたのは、土地の持つ強い宇宙エネルギーが渦巻いていたからだと思います。

日本のはじまりは六甲からとされるのはその地質のためで、先住民も渡来人も、それに

引き寄せられるように、六甲を聖地とした…」

こちらは、ホツマ研究家・いときょう氏が主宰する『縄文文字を楽しく書く会』で、

資料として頂戴した ↓「フトマニの図」。

カタカムナとは一味違うが、やはり図象文字。

言霊を中心としたホツマの宇宙原理を表す。

円の中央に「アウワ」とある3つの象字は、宇宙の中心にいる創造主のことだという。

古代人は、創造神が「ウー」と息を吐くことでアウワ(ビッグバン)が起きたと考えていた。

この息から左巻きの渦「ア」と、右巻きの渦「ワ」が出現したという。これが語り部の言う「アワの歌」の渦巻き。保久良神社の磐座は渦巻きの再現か?  

さて最近、そんなアレコレを思い出させる話が、語り部から飛び込んだ。

「六甲周辺には、カタカムナ系とホツマ系、ふたつの縄文民族の流れがあったと思います。

どちらも、非常に似通った宇宙観を持っていた」初耳な話だったので、すかさず質問した。

「そういうふたつの民族が、共存していた?」

「他にも流れはあると思いますが、少なくとも2族は熊野(紀伊半島)から北上した。その痕跡が日前・国懸神宮のご神体、2枚の鏡だと思います」

紀ノ川の下流域に坐す日前宮(和歌山市秋月)は、日前神宮・国懸神宮という東西2社をさすが、西の日前神宮は「日像(ひがた)の鏡」が御神体。

いっぽう、東の国懸神宮は「日矛の鏡」を御神体とする。

神域の中央あたりの坐すのは、地主神である

名草彦・名草姫を祀る中言(なかこと)神社。

聖域の奥深く祀られる2枚の鏡は、記紀神話「天照大神の岩戸開き」に登場する

八咫の鏡に先立って造られた鏡というのが由緒だが、

語り部は、その具体的な経緯を推理した。「日前神宮の日像の鏡は、カタカムナ人の御神体、国懸神宮の日矛の鏡は、ホツマ人の御神体かと…。

縄文の同時代、ふたつの海人族がこの地で融合して、瀬戸内海から六甲山へと移動したと、私には視えます」

しばし呆然の後、私はいくつかのことを思った。

ふたつの海人族は南方から渡来した?

この地に残留した集団は名草族とも融和した?

北上集団は、瀬戸内海を渡り加古川から六甲へ?

そして、視界が晴れるような爽快感を感じた。

一対の鏡を日神の御神体として祀ったのは日前大神。

その女神を、『ホツマツタエ』では瀬織津姫という。

亦の名は、撞賢木厳之御魂天疎向津姫。

六甲山の向津姫あるいは、六甲比命とも呼ばれた。

すると今度は、難問が飛んできた。

「天疎(あまさかる)の意味は何だと思いますか?」

「天御中主神を仰いで…ですか」

ただし、次の一言が私には難解すぎた。

「だから、六甲山にレイラインは6本あるのです」