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那須野ゼロポイント

2018.07.22 03:46

宇宙への入り口 !? 北緯37度線と東経140度線が交差する「那須野ゼロポイント」

七夕やゼロポイントの晴れ渡る 

https://nasuno-totteoki.hatenablog.jp/entry/20161022/p1 【珍しい「那須野ゼロポイント」!】より

北緯37度線と那須野ゼロポイント

ゼロポイントとは、緯度線と経度線が0分0秒でピッタリ交わった地点のことで、国内で39カ所、関東では3カ所しかない。

日本は山岳地帯が多いのでゼロポイントに立つのはとても難しい。

この「栃木県那須塩原市青木ゼロポイント」は北緯37度・東経140度で、人が立ち入りできる、とても珍しい地点になるそうだ。


https://mintun.exblog.jp/237410091/【六甲山と瀬織津姫 122 猿田彦の子午線】 より

「事代主命は猿田彦神」と悟ったのは正解だったらしい。

前回の記事を読んだ語り部から、連絡があった。

「やはりそうなりましたね。事代主命は夷(えびす)神で、

猿田彦神で、大綿津見神で、塩土老翁でしょうね。また、

武庫の浦、六甲山(むこのやま)の地主神だったと思います」

「猿田彦神はアマミキヨ、やはり琉球を出た海人族は、

ここ六甲山まで北上していたことになりますかね」

ということは…と、

改めて廣田神社と西宮神社の関係に思いをはせた。

例えば、伊勢において猿田彦神と瀬織津姫が一対神で

あったように、古代、海人族の勢力圏だった六甲の地でも

その神観念は、決して変わることはなかったはずだ。

記紀により、ひとり神としての天照大神が誕生するまでは。

よって、廣田神社に瀬織津姫が祀られるならば、

猿田彦神を陰陽一対神として祀られねばならなかった。

瀬織津姫はヒメ(日女)神、猿田彦はヒコ(日子)神だからだ。

西宮神社(西宮市大社町)本殿 ※'17年5月に参拝。

由緒によれば、第一殿 西宮大神、第二殿 天照大神、

第三殿 須佐之男大神となっている。

西宮大神=夷神=戎神=後のえべッさん=猿田彦神か。

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西宮神社は創祀当時、廣田神社の境外摂社だったという。

廣田神社境内で見た古代地図によると、下の赤丸が西宮神社、

上の赤丸が廣田神社(赤丸は私の加工)、その上が甲山、

西宮神社の旧名は浜南宮。廣田神社の前浜に鎮座していた。

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思えば、廣田神社の神奈備山で神呪寺のある甲山にも、

猿田彦神こと白髭大明神が祀られていた。登山口に

立つ鳥居の横。「なぜここに?」と思ったが、地主神なら当然。

また、神呪寺の鎮守は弁財天(瀬織津姫)である。傍に、

「善女竜王」の小祠があった。こちらは空海に所縁の深い水の神。

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西宮神社に祀られる西宮大神こと夷神が猿田彦神ならば、

オセロゲームのコマが次々と裏返しになるかのように、

かつての気づきの意味も深まっていくようだ。他でもない、

六甲山と瀬織津姫をめぐる「東経135度の子午線」の話。

↓画像は西脇市役所サイトから借用した「日本のへそ」

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向津姫(瀬織津姫)が、北極星(天御中主神)を崇め、

日々昇りくる日神に向かって祭祀したはずの聖地とは、

東経135度の子午線(南北線)と東西軸の交差点で、

そこには6社の神社や磐座があると、私は考えた。

保久良神社(神戸市東灘区)、

芦屋神社(芦屋市東芦屋町)、越木岩神社(西宮市甑岩町)

廣田神社(西宮市大社町)六甲比命神社(神戸市灘区)

本住吉神社(神戸市中央区)、そして、

六甲山系からさらに北へと進めば、籠神社の奥宮

である真名井神社(京都府宮津市)も鎮座している。

祭神は、豊受大神(天御中主神)である。

その神社ごとに一対神としての猿田彦神が隠れている…と

すれば、「女神の子午線」は「猿田彦の子午線」ともなるだろう。

向津姫たちは朝になると、闇夜を割いて東方から、猿の目

のように赤々と賑々しく昇る日神を祀ったのだと思う。

その祭祀構造は、「イザイホーの子午線」とまったく同じだ。

祭場の北に設えた七つ屋で、天御中主神(北ぬ方星)と、

アカララキ(瀬織津姫)の守護のもと夜通し潔斎して、

神からの霊力を受けた島の女性たちは、やがて東の空から

赤々と昇る日神を祀る神女(日巫女)として転生したのだ。

前夕、イザイホーが始まる直前、女性たちはノロ家の

庭に飛び出し、時計まわりに7回回ったという。

「エーファイ、エーファイ」と掛け声を発しながら。

エーファイとは「神の元へ急ごう」の意味だと私は思うが、

その神とは猿田彦神=夷(えびす)神=蛭子(えびす)神。

大和神話では、伊邪那美が右回りに回って生んだ最初の子は、

不具の子「蛭子(ひるこ)」として、葦舟で海に流された。

イザイホーとは、大王としての夷(えびす)神でありながら、

蛭子(ひるこ)として流され消去されてしまった

猿田彦神を復活させる秘祭だったと、いまになって分かる。