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命の源・水のハンドリング

2018.07.23 02:56

https://www.kubota.co.jp/globalindex/backnumber/water/water_prologue/index.html  【命の源・水のハンドリング】 より

 21世紀は「水の世紀」といわれている。この言葉から、豊富な水資源にあふれた明るい未来を連想してはいけない。この短いフレーズは、人口の爆発的な増加や急速な都市化による環境破壊や水質汚染、さらに地球温暖化などが原因で地球の水不足が深刻化し、水資源獲得をめぐる争いが世界各地で頻発する暗い未来を包括する概念として使われているのである。

  先人たちの文明は、常に水とともに栄えてきた。人類は水とともに歩んできたといってもいい。石油がなくても代替となる燃料やエネルギーの研究は進み、実用化は近い。しかし、水がなくなれば私たちは生きていけない。限りある天然資源である「水」をいかにコントロールし、自分たちの手で「命」を守っていくにはどうすればいいのか。暗い影で覆われた水環境の未来図を書き換えるためにも、人と水との関係を見つめ直したい。

世界の水問題とクボタ

「20世紀の戦争が石油をめぐって戦われたとすれば、21世紀の戦争は水をめぐって戦われるであろう」。当時世界銀行の副総裁であったイスマイル・セラゲルディン(⇒Ismail Serageldin Website)氏がそう警告したのは、1995年だった。それから10年以上が経ち、世紀をまたいだ今、セラゲルディン氏の警告は現実になろうとしている。水資源が枯渇している実態と、拡大を続ける水ビジネスの現状に、クボタの水事業の歴史と展望を重ねた。

世界の水危機とは

 いうまでもなく、水は限られた資源である。地球は「水の惑星」とも言われるが、WMO(世界気象機関)(⇒国際研究計画・機関情報データベース>WMO)によると、地球上に存在する水の97.5%が海水で、淡水は残り2.5%。しかも、その2.5%の大半は極地や氷河の氷で、それ以外の水の多くも水蒸気や雲といった形で大気中にある。私たちが利用できるのは川・湖・降雨などの表流水と呼ばれる水で、それは地球上に存在する水のわずか0.01%に過ぎない(図1)。

 一方、20世紀のはじめに25億だった地球の人口は増え続け、60億人を突破した。国連の予測では2025年には80億人に達するとされている。人口の爆発的な増加は地球規模の環境破壊や水質汚染などを招き、そうした要因が貴重な水資源をさらに減少させる悪循環を止めるための有効な手立てを、今の私たちは持てずにいる。

 水問題にかかわる国連機関と国連条約事務局が共同でまとめた『世界水発展報告書』(注1)によると、人口増加や水質汚染・地球温暖化などが原因で、地球は今世紀半ばに深刻な水不足に直面、影響を受ける人口は、最悪の場合60カ国・70億人に達するという。

〈図1〉地球上の水の量

〈参考資料〉地球上の水の量

〈図2〉安全な飲料水を手に入れられる人の割合

 さらにWHO(世界保健機関)のデータは、世界には安全な飲料水を利用できない人たちが11億人、下水道などの衛生施設を利用できない人たちが24億人もいることを指摘している。その9割以上がアジアとアフリカに集中しており、こうした水の配分をめぐる貧富の差もまた、世界の安定を脅かし、「戦争」を誘発しかねない要因である(図2)。

 巨大河川が国境をまたぐ地域では、水資源の分配をめぐって国際紛争に発展するケースも珍しくはない。例えば、インドとパキスタンの間にはカシミールの領有権を巡る紛争があるが、カシミールはインダス川上流に位置し、その水源が両国にとって譲れない権益であることも紛争を長引かせている。

 そして天然資源としての「水」の希少価値が高まれば高まるほど、石油と同様の市場原理が生まれるのもまた、必然的な現象かもしれない。

(注1)世界水発展報告書

世界の水資源の全体像(直面する状況や必要な対応など)を紹介した報告書。第1版の『Water for People, Water for Life(人類のための水、生命のための水)』(⇒PDFダウンロード)は、23の国連機関と国連条約事務局が作成し、2003年3月の「第3回世界水フォーラム」で発表された。その後、2006年の「第4回世界水フォーラム」(⇒外務省>第4回世界水フォーラム)では、第2版となる『Water, a shared responsibility』(⇒Executive Summary PDFダウンロード)が発表され、世界の水の状況を再評価している。

アンコール・ワットを抱える国の「水事情」

 カンボジアという国に対し、日本人の多くは複雑な印象を抱いているのではないか。

 ポル・ポト派による大虐殺、キリングフィールド、内戦が終わってからも地中に埋められたままの地雷――。そうした血に染まった悲しい過去を連想させる半面、世界遺産に登録された「アンコール・ワット」を中心とする多くの遺跡群は、人間の叡智の奥深さを時代を越えて伝えてくれる。安易な表現をすれば、さまざまな形で光と影が交錯しているのがカンボジアという国なのかもしれない。

 豊富な水資源に恵まれながら、国家レベルでの対策が遅れている上水道整備も例外ではない。首都・プノンペンは多くの市民が水道を生活用水として使えるようになったが、「アンコール・ワット」の街として世界に知られるシェムリアップは観光地として急発展を遂げたゆえに、深刻な問題に直面している。

 安全で衛生的な「水」をめぐるそれぞれの光と影は、われわれに何を語りかけるのだろうか。暗い過去をひきずりながら、ゆっくりと、時に急ぎ足で復興が進むこの国の水道事情を現地で探ってみた。

カンボジア(CAMBODIA)全図

数日前の雨で冠水していたシェムリアップの市街地——人々は慣れた様子で行き交っていた

 ついさっきまで激しい雨が降っていたのだろうか。空は青いのに、舗装されていない路地は赤茶けた水に覆われていた。あふれた水は道沿いに並ぶ露店やホテルの駐車場、ガソリンスタンドにも流れ込んでいる。これが日常の風景なのか、スクーターは水しぶきをあげて走り、人々は足首まで水に浸しながら歩いている。世界遺産「アンコール・ワット」の観光拠点として知られるシェムリアップを訪れたのは10月の末、ちょうど雨季が終わるころだった。

 幹線道路である国道6号線沿いに、高級ホテルが整然と並んでいる。道路が冠水しているのは、下水道の整備が遅れているからか。今回の取材はシェムリアップの上水道整備の現状を知ることが目的だが、街をぐるっとひと回りしただけで、さまざまなインフラ整備が遅れている現状を目にすることができる。

 クボタのポンプ海外部でバンコク分室長の梶野伸夫が初めてシェムリアップを訪ねた6年前、すでにホテルの建設ラッシュは始まっていたという。

「観光客が増え、ホテルはどんどん建設されていたのですが、水道はまだきちんと整備されていませんでした。ライフラインのなかでも、水は人の生活のなかで一番大切なもの。カンボジアの水事情はさらなる改善が必要な状況でした。日本政府の援助対象になる可能性もあると思い、海外での水事業展開のポテンシャルとして意識していました」

 当時、シェムリアップには1960年にフランスの援助で整備された浄水場(スロークラム浄水場)が稼働していたが、処理能力が低く、1,200㎥/日の水しか供給できなかった。水道を利用できるのは500世帯だけで、世帯普及率はわずか10%。住民たちは井戸を堀り、不衛生な地下水をポンプでくみ上げて生活用水に利用していた。

 梶野の予想したとおり、日本政府は無償資金協力(ODA)でシェムリアップの上水道整備に乗り出すことになる。ゼネコンの間組が受注し、クボタはポンプやバルブなどの機器類、ダクタイル鉄管などの配管設備、送水量や水質を適正に管理する監視システムを納入した。

 カンボジアへ発つ前、現地で作業にあたっていたクボタ枚方製造所のポンプエンジニアリング部設計第二課の粕渕昌巳・河本昭の両氏に話を聞いたところ、最も特徴的だったのは地盤沈下対策だったという。

「取水源をめぐっていろんな議論がありましたが、地下水から取水することが決まると、地盤沈下の問題がクローズアップされました。当時からホテルが地下水を無秩序にくみ上げた影響で地盤沈下が進み、アンコール・ワットなどの遺跡群に被害がでることが懸念されていたのです。シェムリアップの人たちに安全な水を安定して供給するために、地下水位監視装置が盛り込まれていたことが特徴的でした」

ポンプ海外部バンコク分室長

梶野 伸夫

クボタ枚方製造所 ポンプエンジニアリング部設計第二課

粕渕 昌巳(左)/河本 昭

敬虔な仏教徒が多いカンボジアらしく、浄水場の起工式には僧侶による祈祷が行われた

カンボジア王国の象徴として国旗にも描かれるアンコール・ワット――見るものを圧倒する巨大建造物は積み上げられた石の芸術だ

 アンコール・ワットなどの遺跡群は、土の上に石を積み上げてできている。総量で数百tにもなる寺院がその威容を長くとどめておくには、強固な地盤が必要になる。だが、次々に建設されるホテルが井戸を掘って地下水をくみ上げた影響で地盤沈下が進み、遺跡群への影響をユネスコなどが指摘していた。ホテルの多くは地下30mから40mの水脈から無制限に取水しており、敷地内に10基の井戸を保有しているホテルもあった。

 新しい浄水場の建設にあたり、コンサルタント会社による綿密な調査が行われた。今回の地下水開発においては、二つの問題をクリアした上で「持続可能」な揚水計画を策定する必要があった。一つは、井戸を掘り、地下水をくみ上げること(揚水)によって、アンコール・ワットなどの遺跡群周辺域の地盤が沈下しないかどうか。もう一つは、揚水によって地下水が低下し、井戸の水が枯れてしまわないか、ということであった。

 さまざまな調査データに基づいて検討が重ねられた結果、1,100㎥/日の取水能力を持つ井戸を計8基設置、浄水場全体の供給能力を8,800㎥/日と設定することになった。井戸の深さは59m。地盤沈下をおこさないよう、地下水をくみ上げる井戸の水位監視装置もクボタが納入した。

「8基の井戸のうち、3基に水位をモニタリングするための水位計、センサーをとりつけました。地下水位がどれくらい下がっているか、運転操作室のコンピュータで常にチェックできるようにしたのです。長期間にわたって水位の変遷を監視し続ける。そのことの重要性を現地のスタッフたちに意識してもらうことも大切なことでした」と、河本は言う。

 浄水場が稼働を始めたのは2006年。当初の計画では2008年に世帯普及率を65%に引き上げるのを目標に掲げており、河本と粕渕は「今後は増え続けるホテルにどうやってきちんと水道を利用してもらうかが、事業のポイントになると思っていました」と振り返った。

 立ち上げから2年。シェムリアップの浄水場は今、当初の目標を達成しているのだろうか

膜技術の進歩と水

――「地下水活用システム」に見る水の高付加価値化への取り組み

 日本の水道が今、大きな転換期を迎えている。原水である河川や湖、地下水などに含まれる濁りや雑菌類を除去するろ過膜の技術開発が急速に進み、塩素消毒に依存してきた従来の水道のあり方が少しずつ姿を変えつつあるのだ。これまでの上水道整備は地方自治体主導だったが、コスト削減などを理由に独自で地下水を活用する企業も増えてきた。こうした動きに通底するのは、限られた水資源をいかに有効に使うか——という人類に突きつけられた永遠の命題である。上水道整備の新たな主役として期待されるセラミック膜の現状を追いながら、身近な「水」のあり方を改めて見つめ直したい。

 神戸市西区で神出(かんで)病院と老人保健施設たちばな苑、西神看護専門学校を経営している医療法人財団兵庫錦秀会では、2008年の春から地下水をクボタのセラミック膜で処理し、従来の上水道と併用する形で利用している。

 現地を訪れると、正門のすぐ近くに原水槽や膜ろ過装置などの水処理プラントがフェンスに囲まれていた。このプラントで膜処理された高度な処理水は少し離れたところにある受水槽に運ばれ、従来の上水道と一緒になったうえでそれぞれの施設に供給される。神出病院のベッド数は465床で、利用する水のほとんどは患者や施設入所者の入浴に使われるという。

 なぜ、従来の上水道だけでなく、地下水を活用するシステムを導入したのか。

「災害対策とコスト削減の両方の目的がありました」と、兵庫錦秀会・法人本部の網田幹彦事務部長が語る。

 医療施設にとって水は最重要の命綱だが、従来の形で公共の上水道を利用している限り、災害への危惧が常につきまとった。懸念されるのは、多くのライフラインが寸断された阪神大震災のような大災害(⇒GLOBAL INDEX「より高度な耐震化へ」)だけではない。近隣で行われていた土地の掘削作業中に水道管のパイプが破裂、汚水が上水道に流れ込むトラブルに見舞われたことが3年前にあった。

医療法人財団兵庫錦秀会 神出病院

水処理プラント(写真左)で高度処理された地下水は、受水槽(写真右)で従来の上水道と一緒になる

兵庫錦秀会・法人本部 事務部長 網田 幹彦さん

阪神・淡路大震災では、各地で上水道の管路が寸断され、災害時の水の確保の重要性が再認識された(写真:日本水道協会提供)

 このときは汚水が病院の貯水槽にたまったため、いったん貯水槽を空にして清掃し、改めて給水を受けるまで丸一日かかった。入院患者らに影響がでないよう水道局からタンク車が出動、ポリ容器に水をためて応対したが、施設の水供給を公共水道だけに頼っている現状に対する不安は、関係者の意識に強くすり込まれた。

 そしてもう一つの理由であるコスト対策については、水道局の料金徴収システムの問題が根底にあった。

 日本における水道事業は、地方自治体(地方公共団体)によってサービスの供給が行われている。その多くの水道事業者において、水道料金は基本料金と従量料金の二部料金制となっており、従量料金については、使用料の増加に伴い単価が高額となる逓増料金体系がとられている場合が多い。(⇒内閣府>水道料金の仕組み)例えば、神戸市の水道料金は1カ月の使用量が40㎥までなら1㎥あたり125.25円だが、使用量が200㎥を越えると、1㎥あたり265.5円にはね上がってしまう。(2009年1月現在)

「厳しい経営状況のなか、省エネに関しても、ガスや電気はすでに徹底しつくした感がありました。いうまでもなく、私たちの仕事で最も重要なのはマンパワーですから、人件費を削るわけにはいきません。私たちの施設は大量に水を消費します。水道料金のコストをどう抑えるかが、重要な経営課題でした」と、網田事務部長は打ち明ける。

 市の水道局の担当者と話をすることもあったが、もちろん料金体系が変わることはない。そんな時、施設のメンテナンスを委託しているミヤコメンテナンス(株)の担当者から「井戸水の利用を検討されてはどうか」と打診された。

 地下水を活用するシステムを稼働させるには、ユーザー以外に、ハード、メンテナンス、水質分析を担当する3者が必要だ。(図1)クボタはハードの中心部であるセラミック膜ろ過装置の供給を請け負うが、それ以外の要素を受け持ったのが(株)アクリートだった。アクリートは、クボタの30年にわたるビジネスパートナーであるサニコングループが2006年に立ち上げた新会社である。

 今回の地下水活用プロジェクトでは、プラント設備の設計、井戸採掘、水質調査、施工はすべてアクリートが請け負い、兵庫錦秀会はアクリートから高度処理された水を買う形になる。ユーザーに初期投資の必要がないこうした地下水活用システムは、水事業における新たなビジネスモデルとしても注目され始めていた。

新たな海外拠点から

――インド・ダクタイル鉄管合弁会社設立プロセスを追う

 水道事業が国境を越えて広がっていくなか、クボタはインドで水道パイプ用のダクタイル鉄管を製造・販売する合弁会社を設立した。インド最大の財閥タタ・グループの中核企業であるタタ・スチールの子会社「タタ・メタリクス社」などとの共同出資による海外拠点である。クボタの新たな挑戦は、急速な経済発展の一方で水インフラの整備が遅れているインドに、どのような形で貢献できるのだろうか。合弁会社設立までのプロセスを追いながら、今後の展望をレポートする。

取締役・鉄管事業部長 宇治 耕吉

〈図1〉クボタ鉄管輸出量の推移

 取締役・鉄管事業部長の宇治耕吉が初めてインドに足を運んだのは、2006年。産業・インフラ事業本部(当時)内に立ち上げられた「水のグローバル化推進プロジェクトチーム」の調査活動の一環だった。

 これからの鉄管事業は、海外市場での展開を強化していく——。そんなビジョンを掲げてプロジェクトが始まった背景には、日本からの輸出をメインに展開されてきた鉄管の海外事業が大きな壁に突き当たった現実があった。

 クボタのダクタイル鉄管の輸出事業は80年代に最盛期を迎え、中近東の水道パイプラインを中心に、国内事業と匹敵するほどの出荷量を誇っていた。だが、1985年のプラザ合意以降、円高が急激に進んだのに加え、オイルダラーで拡大の一途だった中近東の国々の開発ラッシュが一段落ついた影響で、輸出量が少しずつ減少してきた。(図1)

 その間、中国でも鉄管メーカーが誕生したり、インドでもダクタイル鉄管を作るメーカーができるなど、日本からの輸出だけではコスト競争力の面でも限界があった。

 海外に生産拠点を構える構想はこうした80年代後半から浮上しており、パートナーとして中国企業を対象に調査を進めたこともあったが、結果的に計画は前に進まなかった。

「中国企業との合弁は資金回収の問題をふくめ、いろんな壁があった」と、宇治は振り返る。「われわれの商品である水道用の鉄管は、購入を決定するのは水道事業をやっている『官』の世界。国の事情、政策によって左右される。(⇒GLOBAL INDEX「水問題への提言ー北京市・上水道事業プロジェクト」)そういう面でも中国はマーケットとして判断が難しかったのです。それに国内事業も堅調な業績をあげていて、どうしても海外でやらなければいけないという切迫感も我々に不足していたのかもしれません」

 それから20年近い歳月が流れ、「水のグローバル化推進プロジェクトチーム」を立ち上げたのは、水道事業の世界市場が巨大化するなか、海外の生産拠点確保が鉄管事業を拡大するための必要不可欠な要素になったからだ。中国も含めた有力候補地を改めてリサーチすることになったが、宇治は最初からインドをターゲットとして意識していた。

「水道用のパイプというのは、必ずしもダクタイル鉄管でなくてはいけないというわけではありません。鋼管やプラスチック管、コンクリート管もある。耐食性があり、強靭な鉄管を使う水道の文化、経験がその国にあるかどうかが、鉄管事業を成功させる大きなキーになります。中国もそうなのですが、インドもまた鉄管を使う文化を持つ国だったのです」

輸出されるクボタのダクタイル鉄管

中東で敷設されるクボタのダクタイル鉄管(カタール)

インドでは水道用パイプは鉄管が主流だ

 さらに、インドは鉄管の原料となる鉄鉱石が豊富に採れる。生産拠点として考えれば、慢性的な水不足に悩む中近東や他のアジア諸国への輸送コストを考えても、魅力的な国だった。

水の温もりを未来に

 ジャーナリズムやビジネスの世界では「鳥の目」と「虫の目」という表現がよく使われる。世の中で起こった事件や現象を切り取るとき、あるいは事業を展開するときには空を飛ぶ鳥のように全体を俯瞰した目と、地を這う虫のように細かく身近なものを見つめる視線を忘れるな―という教えである。

  私たちは、鳥の目で地球全体の水問題を長期的な視野でとらえ、その一方で虫の目も忘れず、人々の暮らしに密着した水のあり方と変化も見つめた。2つの視点から浮かび上がってきたのは、限りある水資源の尊さと、時に圧倒的な自然の営みの前に無力でありながら、それでも「水」がなくては生きられない人類の残酷な宿命と、それに抗う英知である。爆発的な人口増加や経済発展、地球温暖化などに伴う深刻な水不足が技術の進歩をうながし、その技術が人々の生活を変えていく。

  コレラ対策から始まったクボタの水事業の歩みは、まさにその積み重ねである。小さな一歩が、社会にどんな変化を生み出すのか。取材をしたクボタや関係会社の社員、現地スタッフらに共通していたことは、「水」の事業に関わることへの責任感と、仕事を通して人間の命を見つめるあたたかい眼差しだ。ふだん感じることのない「水」の温もりを彼らから教えてもらったと言うと、美辞に過ぎるだろうか。今回のレポートで感じた温もりが、「水の世紀」をうまくコントロールしていくための大きな力になるような気がする。

「水のエンジニアリング」で未来を拓く

――益本 康男社長インタビュー

クボタの出発点でもある鋳鉄管

1905年(明治38年)ごろの当社鉄管出荷場

※「日本工業要鑑 明治40年版」より 大阪府立中央図書館所蔵

——まず最初に、クボタの水事業に対するこれまでの流れからお伺いします。

 クボタと“水”の関わりは創業期からです(⇒クボタ>企業情報>沿革)。1893年(明治26年)に鉄管の製造を開始し、当時の技術では難しいといわれた合わせ目のない鉄管の製造(注1)に成功したのが、1900年(明治33年)です。ちょうどこの年、政府が水道事業に対する国庫補助を拡大したため、クボタの鉄管は多くの水道事業者から受注を受けました。これが“水”に関わる事業の始まりといえます。水道事業を通じてライフラインを充実したい。安全、安心な水が飲める国にしたい。クボタの歴史はそうした思いを背景に、鉄管を製造する水道事業から始まったのです。まずは鉄管で水を「配る」という役目を担った後、今度は水を「止める」ためのバルブ、「送る」ためのポンプといった製品が付随的に発生していきました。事業としては、鉄管・合成管・ポンプ・バルブなどに加え、浄水処理、下水処理、廃水処理など水の処理技術とそのエンジニアリング技術、さらに浄化槽や排水特殊継手などの技術、そして国内外での事業展開というように「水問題へのアプローチ」(⇒GLOBAL INDEX「水紀行21」)は多面的に展開していきました(⇒「当社製品の変遷」PDFダウンロード)。

——そうした流れのなかで、いくつか大きな節目もあったと思います。

 社会との関わりということで考えると、まずはやはり創業期でしょう。明治初頭にコレラ等の伝染病が流行し猛威を振るいました。多くの人々が亡くなっていくなか、伝染病対策のための水道設備の整備は緊急を要する課題でした。当時、水道の主要資材である鋳鉄管の多くは英国などから輸入したものでしたが、これを国産でつくろうと決意し、事業を起こしたのがクボタの創業者・久保田権四郎でした。クボタの水道事業の始まりですね。

 次の節目は「水を配る」事業が完成形に近づいてきた30年ほど前からでしょうか、大気汚染や水質汚染といった公害問題から「環境」という新たなテーマが浮上してきました。クボタも昭和46年に環境装置事業本部を立ち上げ、水関連としては、下水処理施設に使用される装置などの自社開発を進めました。すなわち、使用された水を再びきれいにする事業に力を入れるようになったわけです。さらにそこから浄化槽や汚泥処理といった事業に拡大し、こうした流れから浄水処理から排水処理まで行う、「水一貫のクボタ」ができたのです(⇒クボタ>上下水エンジニアリング事業部)。

クボタ創業者・久保田権四郎

1973年(昭和48年)の窒素除去装置付きし尿処理施設(青森市納入)

〈図1〉「合わせ型立吹法」と「立込丸吹鋳造法」の違い

(注1)

当時開発された立込(たてごめ)丸吹鋳造法は、中子(なかご)をピット内に立て、別途に立てたまま造形した筒状の外型をかぶせて、上部から注湯する「立吹き」方式が特長。この方法は、従来の合わせ型や横吹きなどで生じやすい鋳巣(いす)や偏肉など耐圧上の懸念を一挙に解決し、「合わせ目のない鉄管」を作る合理的な鋳造法であった(図1)。