仏王処刑7-第1回連盟祭
2021.07.23 11:01
1790年7月14日、今日のパリ祭の原型である「連盟祭」が挙行された。この式典で司教タレーランは軍旗を祝別し、ミサを執り行った。ラファイエットは、祖国の祭壇に上り、「国民と王と法」のためにと宣誓した。参集した5万の連盟兵も剣を抜いて、それを誓った。
国王ルイ16世も祭壇に行かずに宣誓し、憲法を護持すると誓った。アントワネットは、国民衛兵の服を着せた王太子を見せて大喝采をもらった。ラ・ミュエットの庭園では、2万2千人分の食事が饗された。そしてその数日、国王は各地の連盟兵を閲兵もしたのである。
後に国王派となる革命家バルナーブは、もしここで国王がこの状況を利することができれば、と述べる。しかしルイは内戦になるのを望んではいなかったし、まだ立憲議会とうまくやれると思っていた。機を見るだけでなく、自ら作ってしまうナポレオンなら主導権を握ったかもしれないが。
ルイの願いむなしく、憲法唯一主義の議会は、すべてを国家に集める論理を走らせて、突っ走っていく。啓蒙は光である。それに照らされれば、皆新しく生まれ変わるはずだった、いやいや現実に起こったのは分裂と内戦だった。