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「宇田川源流」 留学生の入国審査基準厳格化というニュースから見る「日本文化の本当の発信」をどうするのかという問題

2021.07.28 22:00

「宇田川源流」 留学生の入国審査基準厳格化というニュースから見る「日本文化の本当の発信」をどうするのかという問題


 留学ということに関して、日本では様々な意見がある。私も自分でも保守系であろうという感覚は自覚しているのであるが、しかし、留学や留学できている外国人、それが普段政治的に対立している国の人々であったとしても、その人々のことを否定する気はない。私自身は日本という国に自信があるので、日本という国を知った外国人は間違いなく日本を好きになるはずであると私自身思っているのである。そのために、敵対国であっても、現在戦争していないのであれあ、別段その人間を必要以上に排斥する必要はないと考える。

 もちろん、その人間がスパイであったり何か工作をしている、または犯罪を行っているという話であれば別である。当然に、そのような犯罪を行う人物は、そもそも日本になじめていないということを示している。実際に、「生活に困っているから、万引きをした」ということ自体が、「生活に困って周辺の人々に助けてもらえることがないほど、近所の人々とのつながりが希薄である」ということであり、そのこと自体が、日本の文化そのものとは全く乖離しているということに他ならない。日本の文化に親しみ、そして日本の文化をよくわかっている人であれば、誰かが助けてくれる文化である、近くの困っている人を見てみないふりができるような人ではないということをよくわかっているはずであろう。そうではないということで、その外国人は日本の文化に馴染んでいないのである。

 さて、その意味で「留学」というのは大事であるし「留学生」はその窓口であるという感覚がある。

 日本における留学の文化は古い。記録に残る限り、卑弥呼が魏の国に使いを出しているが、当然に今のような「旅行」といっても飛行機などがあるわけではないので、当然に見聞するところも大きい。その後聖徳太子が始めた遣隋使から菅原道真が廃止した遣唐使まで、勉強をするということで留学生が何人も行っているのである。その留学生の活躍により、日本の平安時代までの文化の基本は成立している。

留学生の入国審査基準厳格化

 政府が、国内の大学に留学する外国人の入国審査基準を厳格化し、今春から本格的に運用を始めたことが分かった。日本の大学で軍事転用が可能な先端技術を研究する場合、学歴や職歴のほか、必要に応じて留学や研究に関連して資金提供を受けている団体や企業についても、大学側が出入国在留管理庁に詳しく報告するよう求めている。経済安全保障の観点から疑わしい人物と判断すれば、ビザ(査証)の発給を認めないことも検討する。

 複数の政府関係者が明らかにした。中国を念頭に、軍事転用可能な先端技術の流出を防ぐ狙いがある。同庁は国家安全保障局(NSS)を中心に外務、経済産業両省などとも連携する。

 従来、大学が同庁に提出するのは留学生受け入れの承諾書や、最終学歴を記した履歴書などに限られていた。新たな運用ではロケットの素材や人工知能(AI)などを研究する留学生の過去の学歴や職歴、出身組織や契約関係など詳細な経歴を書類で提出させる。

2021年07月20日 05時00分 読売新聞

https://news.nifty.com/article/domestic/government/12213-1159612/

 明治以降も「留学」はかなり多く出ている。実際に、留学するだけでは間に合わず、陸軍はドイツ陸軍参謀のメッケルを呼び軍の顧問としている。基本的に、それ以前フランス製群からプロイセン(現ドイツ)の軍政に変えたので、そのことを一斉に変えるということで講師を呼んだのである。これは軍隊だけではなく、北海道大学には「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク教授が来ている。これも講師を呼んで外国の技術だけではなく、外国の学ぶ姿勢を学ばせたのである

 このほかにも、多くの軍人や政治家、官僚、学者が、様々な国に留学して明治以降の日本を作ったといって過言ではない。伊藤博文らがプロイセンに言って大日本国憲法ができているし、民法典はフランス民放のボアソナードが「民放の父」といわれている。なお、民放ができたことによって「民放出でて忠孝亡ぶ」というようなことが言われていた。法制に関しては、金子堅太郎がハーバード大学を主席で卒業しており、彼が生きていれば戦争は起きなかったのではないかといわれるほど、アメリカのエスタブリッシュメントといわれる人々に影響力があった。

 さて、これらは何を意味しているのか。日本は現在は先進国、大国として、その内容を学びに来る人が多い。その人々に「技術」だけではなく、「日本の精神」「日本の文化」などを教えなければならない。平安時代の留学生が仏教だけではなく、文化や生活習慣などを、また、明治期の留学生が、外国から様々な文化を学んだものと同じである。このことを、広めなければ、単純にどこかの国のように結果だけ盗んでゆくような国が出てくることになる。また、どちらが起源などと無益な争いを始める、頭の悪い国が出てきてしまうのである。

 さて今回の措置は「留学生の入国を厳格化する」ということを言っている。実際に、「厳格化する」ことは悪いことではない。それだけ「スパイ」など、文化を学ばずに結果だけを盗みに来る人が多いということに他ならない。しかし、同時にそのことで文化を学び日本の良さを広めることを少なくしてはならない。

 まずは、日本における留学生教育ということは何かということを、もう一度考えなおし、その教育システムや教育カリキュラムをしっかりと考え直す必要がある。日本を好きになるというのは、そのまま「母国に戻って日本人になり替わって日本を教えることができる」ということであり、当然に「技術」ではなく魂を教えるべきではないか。そのようなことを行うカリキュラムを作るべきであると考える。逆にそれができていなければ、厳格化されても仕方がないのかもしれない。単純に、「アルバイトのために労働学士として来ている」とかでは話にならないのである。そのような状況の自浄作用になれないようであれば留学生制度は徐々におかしな方向に行ってしまうのではないか。