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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

仏王処刑8-忠誠拒否司祭続出

2021.07.26 11:21

三部会のうち300名が聖職者だったが、うち208名が司祭、その大半が田舎司祭で、彼らは啓蒙主義的改革を支持していた。司教はその教区に住まずパリに住みもはや貴族化していた。対して田舎司祭は封建的特権に縁がなく、その廃止に賛成し、田舎司祭達ももっと平等なものになることを期待したのだ。

何と聖職者達は、フランス財政の窮状のために、教会財産の国有化にも賛成した。その代わりに、田舎司祭の俸給の改善が約束されたからである。フランソワ1世の政教協約以来、カトリックはフランスの国教化しており、国王が、教会を統治することに抵抗はあまりなかったのだ。

聖職者民事基本法も、教区を現実化したり積極的な意味があった。しかし聖職者を国民や県民が選び、就任にあたって憲法に忠誠を誓わせるというのはやりすぎだった。イエス・キリストも、みだりに誓うべからず、と言っている。聖職者にとって誓いとはかなり厳粛なものである。

1790年11月26日、議会は2か月以内での宣誓を強制した。ところが、全国で過半数の司祭が宣誓を拒否したのだ。宣誓拒否司祭を入れ替えるのかは国民の隅々に大変な分裂を起こす契機となった。教皇ピウス6世は、基本法に反対し、国王ルイの議会不信も、この法律が大きな原因となっている。