ここ掘れ、ワンワン! 【犬山城シンポジウム ルポ】 Vol.3
犬山城シンポジウムのルポ。第3弾。
と、その前に。
第1弾、第2弾をまだ読んでないよーという方は、
こちらをチェックしてください!
では、今回は3回目。
『ここ掘れ、ワンワン!』
とふざけたタイトルでスタートです。
前回に引き続き、発掘調査の成果についてです。
愛知県埋蔵文化財センター調査研究専門員の
鈴木正貴先生の発表です。
前回のルポは城山のことでしたが、
今回は城下の発掘調査からわかったこと。
◆ 堀の跡は、池。
まずは、堀です。
城山の東、今は
『名鉄犬山ホテル』
になっている場所。
しかも、従業員の駐車場に池があるのです。
そこが、
堀跡
だということで、絵図にもしっかり描かれているところ。
この『池』ではなく、その脇のホテル従業員駐車場の一角。
ここを掘ってみたところ、なんと!!
あまりよくわからなかったと。
で、規模とか深さとかまではわからなかったけど、
堀があったことは間違いない
らしいです。
一説には薬研堀といって、V字に掘った堀だとか。
ほんとかどうかはよくわかっていません。
しかたない。
明治以降、開発が進んで埋められちゃってるわけですから。
でも、堀は確かにあったことが、今回の発掘調査で分かりました。
こんなところ。
(写真は、たかまる。)
ちょっとわかりにくいので、
城とまちミュージアム
にある模型の写真で。
(写真は、たかまる。)
この写真の左側の堀。
このあたりが、発掘調査した辺り。
とにかく出てきたので、よかったですね。
◆ 大手枡形の堀も出てきた!
大手門があったあたり。
(写真は、たかまる。)
この辺りも掘ったら出てきました。
堀跡が。
こちらもちょっとわかりにくいので、
城とまちミュージアム
にある模型の写真で。
(写真は、たかまる。)
真ん中あたりに橋が架かってますよね。
その右上あたりと、左下辺りを掘ったところ、なんと!
堀跡があったんですって!
しかも、江戸時代以前の、おそらく戦国時代の堀跡もあったとか。
ってことは、戦国時代からこのあたりには堀を巡らせていた可能性がある。
おぉ!
なんてことでしょう。
おそらく、小牧長久手の戦いのころか。
その前の織田信長の美濃攻めのころか?
なんだか、ワクワクしてきました。
今は面影もなく、もちろん遺構も隠れちゃってますけど、
でもそんなものが出てきたなんて、
なんて面白い町なんだ、犬山は!!
ということで、一人興奮しながら話を聞いていた次第です(笑)
◆ 絵図のところ掘ったら出てきてよかったね。
今回発掘調査したのは、絵図にもばっちり描かれているところ。
推定地というよりも、はるかに精度の高い場所。
だから、掘ったんですよね。
でも、出てこなかったらどうしようという思いが
犬山市教育委員会にはあったかも。
そしたら出てきた!
良かったですよね、ほんと。
他にも、堀やら遺物やらが結構出てきたようです。
細かいので割愛しますが。
で、きっと、
犬山市教育委員会としては、ホッとしたでしょうね。
だって、絵図がたくさん残っていて、
その絵図に描かれていることが
本当だってことになってきたから。
そうじゃなかったら、あれは何なんだ?ということになりかねないし。
逆に、これだけの絵図・史料が残っていて、
しかも街並みも残っている。
しかもしかも!
天守まで現存している。
そんなところ、他にあります?
すばらしいじゃない!
と、一人大興奮ですが、
そういうのは抜きにしても、
今回の発掘調査は十分な成果を上げたと思っていいですね。
まだまだ発掘調査の範囲が狭いので、
今後も継続して発掘調査してくれることを期待しましょう!
で、今回の発掘調査で分かったこと。
それは、
犬山城は城郭として、
大変すばらしい機能を持っていた!
ということかな。
言い換えれば、
犬山城・城郭は国の史跡に値しますよ!
大変貴重な文化遺産ですよ!
ということかな。
鈴木先生の発表だけでは不足する部分もあると思うので、
他の先生方の発表も含めて、結論付けたいと思います。
だいぶ長くなってしまったので、続きは次回にします。
第4回は、城下町の話。
城下町がどのように発展してきたか?
それを山村先生が
「竪町」
「惣構え」
というキーワードで発表してくれました。
とても興味深い発表。
たかまる。的にレポートしますね!
では、また次回お会いしましょう。
2017年2月5日
たかまる。
ちなみに、
城とまちミュージアムについては、以下のリンクよりご参照ください。