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麻雀ぐぅ~ぐ

7月27日(火)晴れ時々雨

2021.07.27 07:04

こんにちは。麻雀ぐーぐです。


どうも。リーチの人です。今日こそ前置きなしに昔話を進めていきましょう。


いつの間にかシリーズ化してきていてその続きの記事となるので、興味がある方は過去記事から漁って下さい。リンクの貼り方とかよくわからん。4月16日にスタートの記事を書いているはずです。


まあでもたいした話ではないのでスルーして頂くのが懸命かと思います。当ブログのファンという奇特な方のみ、例によって暇で暇でどうしようもないというときにでも読んで頂ければ幸いです。


まずは前回のあらすじから。


「高校卒業後、就職し1人暮らしを始めたリーチの人。年功序列制度に納得がいかず会社を辞め、パチ屋のアルバイトを経てパチスロ生活をスタート。順調に勝ち続けたが次第にその生活に疑問を抱き始めるのであった・・・。」



・・・では続きをどうぞ。



パチスロで生活していた僕は誰が見ても明らかなほど自堕落な生活を送っていた。

昼過ぎに起き、夕方頃からパチンコ屋で1、2万程度稼いで満足し、ビールを飲んで寝る。


何か自分がやりたいことが見つかるまで適当に暮らそう。

そう思いつつ、深く考えもせずに始めたパチ屋のバイト、そしてパチスロ生活だったが、そう簡単にやりたいことなど見つかるわけもなく、時は無駄に過ぎていくばかり。


このままではいけないと、一時期、深夜の居酒屋でバイトをしてみたりもしたが、状況は何も変わらない。


高卒で入った会社を3年で辞めて、それから1年が過ぎた頃には、大学生だった仲間達も就職をし、それぞれの道を歩んでいく。


働きもせずにダラダラと過ごしていただけの僕は1人、周りから完全に取り残されていった。


どうにかしてこの生活を変えなくてはならない。

とにかく何か新しいことを始めなければならない。



先の見えない未来に言いようのない焦りを感じ始めていた僕は当時流行っていた派遣会社に登録をしに行った。

とくに深い理由があったわけではない。高校のときに多少学んで得た知識を武器に、IT系の案件を狙った。

ITバブルは弾けた後だったが、なんとなくIT系という響きにお金の匂いを感じた。


数週間の研修を経て、晴れてNTT系列の某企業へ就職が叶う。

ちょうど人員に不足が出たところだという。運が良かった。


業界未経験ながら、高校時代に取得した資格が活きたか、初めの給料は月に25万とそれなりだった。自らの知識と技術を磨いてステップアップしていけばすぐに給料は上がっていくはず。

久しぶりのスーツに袖を通した僕は、じわじわと満ち溢れていくやる気に心地良さを感じていた。


しかし、そんなやる気はすぐに砕け散ることとなる。


派遣会社の推薦で要経験者枠に無理矢理入れてもらった会社で、まず辛かったのは会話が理解できないことだ。飛び交うIT用語、意味不明の言葉の連続。

仕事どころではなかった。とにかく必死で勉強した。


数か月が過ぎ、付け焼刃ながら知識をできるだけ頭に詰め込みどうにか簡単な仕事を任されるようになったとき、そこで初めて、ある同僚とのあまりの知識の差に気付き愕然とした。


僕の質問に全て答えられることなど当たり前。

彼にはIT技術に関してわからないことなどないんじゃないかとさえ思えた。


だが、本当に驚いたのはひょんなことから彼の月収を知ったときだった。

僕よりいくつか年上の彼の給料は、僕よりも少なかった・・・。


その彼に聞いたことがある。その知識と技術があるならもっともっと上を目指せるじゃないか。どうしてそんな少ない給料で働いているんだと。


彼の答えはこうだった。

別にお金の為に働いている訳ではない。この仕事が好きだし、ここの環境も気に入っているからここで働いているだけだ。


衝撃的だった。


若かった僕は、そんな考えの人間に出会ったのは初めてだった。

仕事をお金を稼ぐための手段としか捉えていなかった僕は、なぜか強い敗北感を味わった。


僕はこのフィールドで彼には一生勝てない。


前の会社を辞めた辺りからだろうか、パチスロで簡単に稼ぐ術を知ってしまったせいだろうか。

いつからか僕は働くことが嫌いになっていた。

それでもお金の為にと割り切り、努力をすれば上を目指すことは可能だったかもしれない。


しかし、僕にはできなかった。

僕は彼のようにコンピュータは好きではなかったし、彼のように楽しそうに働くことはできなかった・・・。


何か自分の好きなことを仕事にしたい。自分がやりたいことを見つけなければならない。

結局この会社に入る前と同じだった。振り出しに戻ってしまった僕は途方に暮れていた。



・・・株式投資に出会ったのはそんなときだった。

きっかけは同じ会社で働く派遣社員の先輩。


以前から株に興味を抱いてはいた。

高校生のとき、自由なテーマを選んで研究するという授業があった際には、周りが無難な題材に挑む中、一人、株の値動きについて研究した。


ただ、お金がなければ株の売買などできない。あれは金持ちの為のギャンブルだ。

そう考えていた僕は自然と自分から株を遠ざけていた。


僕より三つ程年上の先輩が会社で株の値動きをチェックしていたときは、「おっ」と思っただけだった。

だが、実際に売買していると聞いたときは少し驚いた。


コツコツと給料を貯めて用意したという数百万円の資金で運用をしているという。

一気にその先輩に興味を持つようになった。会うたびに株の話をした。


取引手法については、数か月単位というある程度長いスパンでチャートを見て右肩上がりの銘柄を買い、チャートが右肩下がりになったら売る、という至ってシンプルな手法だった。


証券口座はどうやって開設したのか、今はどの銘柄を保有しているのか、実際に取引画面を見せてくれないか、次に狙っている銘柄はどれなのか。


優しい先輩は全てに答えてくれた。

だが、僕にはひとつだけ不満に思うことがあった。


先輩は僕が一緒になって次はこの会社がいいんじゃないかといくら薦めても、その銘柄だけは頑なに買わなかった。


考えてみれば当たり前だろう。ど素人に薦められるまま買って損でもしようものなら、目も当てられない。

もしかしたらそれで人間関係が崩れてしまうのを嫌ったのかもしれない。


そんなことすら考えられなかった若かりし頃の僕は、薦めた銘柄のほとんどがその後も右肩上がりで推移していくのを見るにつれ、どんどん不満を募らせていった。


なぜ僕の薦める銘柄を買わない。ほとんど上がっているじゃないか。

その頃の僕は先輩の株取引に対して、自分が株の売買をしているかのような錯覚に陥る程に入れ込んでいた。


そんな折、株価チャートをチェックしていた僕は、その後の僕の人生を大きく狂わすこととなる運命の銘柄と出会う。


「任天堂」


ゲームにそれほど関心がなくてもほとんどの方が知っている会社だろう。

当時、ニンテンドーDSを発売し、そのすぐ後にWiiを発売していた。


ソニーのプレイステーションの進化とともに冷めていった、ゲーム大好きっ子だった僕のゲームへの愛着。

DS、Wiiを初めてプレイしたとき、僕と同世代の多くの人間が失ったゲームへの熱を、このDSとWiiが取り戻すのは間違いないと思った。


発売直後から株価も順調に右肩上がり。


僕はこれが最後のつもりで先輩に強く強く薦めた。

「絶対に上がると思います。」


・・・が、やはり僕の提案は受け入れられなかった。


悔しさを募らせた僕は遂に行動にでる。

先輩が買わないのなら自分で買えばいい。


パチスロで稼ぎながら、その日暮らしのだらしない生活をしていた僕に当然貯金などほとんどなかった。

誰かに借りようにもあてがない。


そこで、思い切ってサラ金から借りることを思いついた。

どうせ任天堂の株価は上がり続けるんだから、数か月後に売却してすぐに返せばいい・・・。


そのあとの行動は早かった。

アコム、プロミス、レイク、アットローン、ノーローン・・・、10社以上に借り入れの申し込みをした。

同時に株の取引口座開設も申し込む。


僕は焦っていた。審査を待っている間にも株価は上がり続けている。

早く。早く。


しかし、結果は非情だった。

派遣社員として働き始めたばかりの安月給の男を金融会社がそう簡単に信用するはずがなかった。


1社につき平均で50万円、合計で500万以上の借り入れの申し込みをしたが、借り入れることができた金額は全部でたったの120万。

任天堂の株を買うのに必要な額はそのとき既に300万円を超えていた。


僕はその後、半年以上に渡って上がり続ける株価を黙って見ていることしかできなかった・・・。




・・・はい、ちょっとさすがに長くなってきたのでまた次回に続きます。


次回、リーチの人、デイトレードに挑戦?借金、そしてカジノで一発勝負。え?最終的にはFX!?

乞うご期待。


では、相変わらずくだらない長編ブログを1記事書きあげたところで、本日も皆様のご来店をお待ちしております。