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『家族という名の違和感』

2021.07.27 12:48

僕が小学2、3年生の頃

休みの日に遊びに誘いに

友達の家に行った時のこと




インターホンを押すと

友達が出迎えてくれた



僕は

『今から遊ぼ!!』と言うと



友達は

『今から家族と出掛けるから

無理やねん』と言った





その時に

僕は



この子にとっての家族は

お父さんとお母さんで




この子の父親と母親にとっても

家族はその子供




つまり

”血の繋がり”が家族で

それ以外は他人


僕は“他人”なんだと

漠然としながらも

確信した





家に帰り僕は



哀しさと虚しさでいっぱいになり

声を出して泣いた



その頃くらいから




“家族”とはなんだろうと

真剣に考えるようになった




宇宙から来たのに


魂に血の繋がりはないのに


どうしてみんなの家族観は

血の繋がりなんだろう




僕はおばあちゃんに育てられた

僕にとっての母親だ

命の恩人だ



たとえ“血の繋がり”がなかったとしても

僕は育ててくれた人に

同じことを想うだろう




つまり“血の繋がり”は

固定概念ということだ




それから

僕はいろんな友達に聞いた




『君にとっての家族って誰?』




みんな当たり前のように言った

『お母さんとお父さん』







あれから

20年以上の時が流れた




20年以上も経ったのに



この固定概念は

なにも変わっていない



いまだに血の繋がりを

なんの疑問もなく信じている




その家族観が

分離を生み他人を生み出していると

いつになったら気付くのだろう








人間は自分が愛したものしか

大切には想えない



つまり

愛されるというベクトルではなく



愛するというベクトルが

家族を創るということだ




その愛するというベクトルを

身内や血の繋がりを持つものだけでなく

友達にも向けられないものだろうか

我が子を愛するように

友達や隣人を愛せないものだろうか





宇宙に意識を向ける前に


家族の価値観について

1人1人考えてほしい



当たり前とされている

考えた事もない常識から

見直してほしい