加藤市朗
2021.02.21 04:35
追悼文
加藤市朗
「方舟」は師系を持たない、が明らかに木村丹乙は私の師であった…。
私が方舟同人として作句するようになったのは2000年の三月号からである。そしてすぐ「句会報告」を書かされ翌月には「方舟鑑賞」を書かされた。丹乙氏は私には容赦しなかった。女性にはやさしく男性には厳しかったものと見える。
二回ほど投句を作り直させられた…一つはアボーションクリニックの前に座って祈る尼僧の句。もひとつはイスラムの聖戦(ジハード)の句。政治的に不適当なのであった。方舟の廃刊近くには殆ど毎号鑑賞文をかいた。終いには「感動すら覚える」との賛辞を頂いた。俳句も何度か巻頭に抜いて頂いた。
時には「このクソジジー!」と思うこともあったが結局、彼は私の長所も短所も見てくださっていたのだとおもう。友人を持たない私にとって丹乙、津貴子夫妻のメタッチェンのお宅へ伺うことは心楽しいことであった。お二人ともどんなお酒でも楽しんで飲まれた。お二人ともカラオケなどなかなか上手であった---寂しい。
追悼句
手を振って春を去りゆく複葉機
市朗