斧から見た国柄
母方の祖父母の家には、電気・ガス・水道もあったが、台所には竈(かまど)があり、お風呂は五右衛門風呂で、台所の外には手押しポンプが付いた井戸もあった。
そこで、帰省するたびに、祖父母のお手伝いをして、斧(おの)を使って薪(まき)割りをした。斧も、刀も、鍬(くわ)も、餅つきの杵(きね)も、要領は同じだった。偉そうに言っているが、斧も刀も鍬も杵も、ちびっ子の私には重いから、最初は手許(てもと)が狂って、上手くできなかった。屁っ放り腰ではダメだと注意され、慣れてくると、そこそこできるようになる。
そして、薪が割れたら、その薪を鉈(なた)でさらに細くして、火起こしに使いやすいようにした。
竈や風呂釜の火起こしもお手伝いした。火が着きやすいように、丸めた新聞紙や木片などを入れて、マッチで火を着け、火が大きくなるにつれて、徐々に大きな薪をくべる。火吹き竹でフーッと息を吹き込むのだが、私の方にばかり煙が来て、煙が目に沁(し)みた。祖母から「始めちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣いても蓋取るな」を教えられた。
薪で炊いたご飯は美味しいし、五右衛門風呂は身体の芯から温まる。
現在では、このような体験をする機会がほとんどないと思うが、子供にはできるだけこのような実体験をさせるのが望ましい。生活の知恵が身に付くし、昔の人のご苦労が身体で理解でき、想像力の幅が広がるからだ。
さて、今日は、斧を通して、国柄の違いを考えてみようと思う。例によって、私の勝手な想像だから、真に受けないでいただきたい。
「父(音:ふ、訓:ちち)」という漢字は、又(手を意味する。)に石斧(音:せきふ、訓:いしおの)を持った形だから、本来は、石斧を意味したと思われる。
しかし、粗末な家を建てるにしても、石斧を使って木を伐採することから始めねばならず、それは重労働であって、一家の大黒柱である父の役目だった。また、石斧を武器にして外敵と戦うのも、父の役目だった。
それ故、石斧は、父の力と威厳の象徴であり、一人前の男の証しだったから、「父」という漢字は、専(もっぱ)ら父親を指すようになったと思われる。
そこで、「父」の代わりに、石斧を意味する別の漢字が必要になったので、石斧の刃を近づけて切ろうとする様子を描いた「斤(音:きん、訓:おの)」という漢字が生まれたのだろう。
しかし、「斤」を分銅として用いて重さを計ったので(今でも食パンを一斤(きん)、二斤と数えるのは、その名残り。)、「斤」は、重さの単位の意味になってしまった。
そこで、「斤」と「父」で、新たに「斧(音:ふ、訓:おの)」という漢字を作ったのだろう。
なぜなら、世界最古の漢字辞典である『説文解字』に、「斧斫也。从斤父聲。」(斧(おの)は、斫(き)るなり。斤(おの)に从(したが)い、父(ふ)を聲(こえ)とする。)とあるからだ(読み下し文:久保)。
斫(音:しゃく、訓:き。)は、石斧で断ち切るという意味だ。
青銅器時代になると、刃渡りが広い「鉞(音:えつ、訓:まさかり)」が生まれた。
「鉞(まさかり)担(かつ)いで金太郎〜♪熊に跨(またが)りお馬の稽古(けいこ)」という童謡に出てくる、あの大きな斧が鉞だ。
鉞は、木を伐採するための道具だが、この鉞の刃を下に向けると、「王(音:おう、訓:きみ)」という漢字になる。
『説文解字』によれば、「王天下所歸往也。」(王は、天下が帰往(かえりいぬ。帰り去るという意味。)所なり。)とある(読み下し文:久保)。
http://www.ukanokai-web.jp/ToshoShokai/setsumon_2.html
では、なぜ鉞(まさかり)の刃を下に向けると、「王」になるのだろうか。
結論を先に述べれば、鉞の刃を下に向けた形は、鉞で罪人の生首を斬り落とす斬首刑のことであって、王が刑罰権を握っていることを表しているのだ。
刑罰の「刑」は、「刀」+「井」から成り立っており、「井」は、型枠を意味する。型枠に体を固定して刀で斬るのだから、斬首刑を意味する。
時代も場所も異なるが、下記の中世イギリスの斬首刑の絵を見れば、理解できると思う。この絵は、刀ではなく、鉞を用いているので、「王」という漢字の成り立ちがより分かりやすい。
ちなみに首を乗せている型枠のことを断頭台という。
https://www.bl.uk/catalogues/illuminatedmanuscripts/ILLUMIN.ASP?Size=mid&IllID=42637
『説文解字』によると、「刑剄也。从刀幵聲。」(刑は、剄(くびきり)なり。刀に从(したが)い、幵(けん)を聲(こえ)とする。)とある(読み下し文:久保)。注を見ると、「刑者剄頸也」(刑は、頸(くび)を剄(くびきる)なり。)とある(読み下し文:久保)。
そして、「剄刑也。从刀巠聲」(剄(くびきり)は、刑なり。刀に从(したが)い、巠(けい)を聲(こえ)とする。)とある(読み下し文:久保)。注を見ると、「剄謂断頸」(剄(くびきり)は、頸(くび)を断(た)つを謂(い)う。」とある(読み下し文:久保)。
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ho04/ho04_00026/ho04_00026_0004/ho04_00026_0004.pdf
実際に刀で斬首刑が行われていたからこそ「刑」という漢字が生まれたのだが、首を斬るためには、脛骨の間に刃を入れなければならない。死体の首を切り取るのとは異なり、刀で生きた人間の生首を一刀両断に斬り落とすためには、かなりの技量を必要とする。
例えば、小説家三島由紀夫が、昭和45年(1970年)11月25日、同志である楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ、東部方面総監を監禁し、バルコニーで自衛隊員にクーデターを促す演説をした(私は、リアルタイムでテレビ中継を見ていた。)。
その直後、三島由紀夫は、籠城していた総監室で割腹自殺を遂げたのだが、介錯人の技量が足りなかったのだろうか、一度で三島の生首を斬り落とすことができなかったため、名刀「関孫六」は刃こぼれだらけで、刀が曲がっていたそうだ。三島が一度目で絶命していなかったとしたら、さぞや痛かったことだろう。。。
余談だが、TV時代劇などでは、戦闘中に敵の首や手足をスパッと斬り落とすシーンが出てくるが、フィクションにすぎない。武士は、わざわざ刃こぼれするような馬鹿なことをしない。
剣術は、極めて合理的であって、腹・背中・手足などを斬りつけても直ぐには死なず、戦闘不能にもならないから、鎧を着ても防御できない敵の首筋、脇の下、手首の裏、膝裏、股間などの動脈と腱を斬って、戦闘不能状態に陥れ、失血死させるように戦う。実に地味な戦い方で、全く見栄えがしないので、チャンバラ時代劇では派手な演出が行われるわけだ。
剣術と似て非なる剣道は、気合を入れていち早く相手の面・胴・小手に竹刀の切先を当てるスポーツであって、あんなやり方では人は斬れない。剣道初心者だった私でも、中学の体育の授業時、剣道二段の体育教師に試合で勝てたことから推して知るべし。
話を戻すと、刀で生首を斬り落とすのは難しいので、江戸時代、幕府は、代々、山田家当主である山田浅右衛門(やまだ あさえもん)を御様御用(おためしごよう)という刀の試し斬り役として雇っていた。罪人の首を刎(は)ねるので、首斬り浅右衛門と呼ばれた。首斬りの専門家だ。
安政の大獄で、吉田松陰先生や橋本左内先生などを斬首したのも、山田浅右衛門だ。
これに対して、鉞(まさかり)であれば、脛骨に刃が当たっても、骨ごと生首を斬り落とすことが可能なので、支那では、刀剣よりも鉞を用いて斬首刑が行われることが多かったと思われ、それ故に、鉞の刃を下にした字が「王」を表すことになったと考えられるのだ。
余談だが、重い鉞を振り上げて、多数人の生首を斬り落とすのは、重労働で、手許(てもと)が狂うので、フランスでは「失敗のない人道的な死刑方法」であるギロチン(機械式の断頭台)が発明され、ロベスピエールは、自国民約2万人を虐殺した。驚くことに、フランスでは、苦痛が少ないはずだということで、1981年までギロチンが用いられていたし、第二次世界大戦直前までギロチンによる公開処刑が行われていたそうだ。
現在も、斬首刑を行っているのは、サウジアラビアだ。刀による斬首が公開処刑されている。見せしめのためだろうか、動画がインターネットで公開されているが、閲覧はおすすめしない。
話が横道に逸れてばかりで、申し訳ない。
支那では、大きな斧(おの)である鉞(まさかり)が刑罰権を握る「王」の象徴だったことから、王が諸侯や出征する将軍に対して、民や兵の生殺与奪の権を与える際には、斧鉞(ふえつ。鈇鉞とも書く。斧と鉞のこと。)を下賜(かし)した。
古代日本にもこの支那の慣習が伝わっていたようで、第12代景行天皇が日本武尊(やまとたけるのみこと)に斧鉞(ふえつ)を授けた話が『日本書紀』に出てくる。『日本書紀』は、『古事記』とは異なり、漢文で書いた対外的な歴史書なので、支那人にも理解できるように斧鉞の話を書いた可能性は、否定できないし、単に景行天皇が新しい物好きだった可能性もある。
斧が正義の象徴であることは、古代ローマでも同じであった。古代ローマでも、支那と同様に、斧を用いて斬首刑が行われたからだ。
fascesファスケスと呼ばれる斧を革の紐で木の束に結び付けた物は、王の権威の象徴であり、共和政時代には、独裁官・執政官・法務官がこれをLictorリクトルと呼ばれる解放奴隷の護衛役に持たせた。
ファスケスの革紐は、鞭(むち)を表し、斧とともに刑罰権・正義の象徴であり、木の束はローマ市民の結束を表していた。
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Roman_Lictor_with_fasces.JPG
このファスケスや斧は、王侯貴族の紋章で用いられ、現在でも様々な形で多用されている。例えば、フランスの国章がそうだ。フランスのパスポートの表紙に用いられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%AB%A0
アメリカ上院議会の議長席の背後の壁上部には「IN GOD WE TRUST」(我々は神を信じる)という言葉が刻印され、両脇に金色のファスケスが掲げられている。
https://www.quora.com/In-the-US-House-of-Representatives-why-are-there-maces-on-the-wall-behind-the-Speakers-podium
リンカーン記念館のリンカーン大統領の石像の椅子のアームにも、ファスケスが彫られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B9#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Lincoln_Memorial_(Lincoln_contrasty).jpg
アメリカ連邦裁判所事務局のエンブレムにも、ファスケスが用いられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B9#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:US-Courts-AdministrativeOffice-Seal.svg
このように挙げ出したらキリがないが、ファシズムの語源であるファスケスがフランスやアメリカなどでこれ見よがしに多用されているのは、興味深い。
支那や西洋では、王と国民は、支配者・被支配者という敵対関係に立っていたので、斧で国民を威嚇し、威厳を示す必要があった名残りなのだろう。
面白いのは、 lábrysラブリュスと呼ばれる両刃の斧が、現在ではLGBTの象徴として用いられていることだ。
何にせよ、支那人や西洋人の発想には、どうも陰惨なところがある。
これに対して、前述したように、古代日本に支那の斧鉞(ふえつ)の慣習が伝わっていたが、結局、これは定着せず、日本では、斧が刑罰権・正義の象徴となることはなかった。
もちろん律令制で死刑が定められていたが、弘仁元年(810年)の薬子の変において藤原仲成が処刑された後から、保元元年(1156年)の保元の乱で源為義らが処刑されるまでの約350年間にわたって死刑自体が行われていなかった。天皇が死一等を減じて、流刑にしたからだ。平安時代、仏教の殺生禁止の影響もあって、残虐を嫌ったのだ。
また、欧米のように、刑罰権・正義を象徴する武器をこれ見よがしに掲げて、国民を威嚇するようなこともない。天皇が、国民と血で血を洗う敵対関係に立ったことは一度もないからだ。
皇室の紋章は、十六八重表菊であり、パスポートには、これをデザイン化した十六一重表菊が用いられている。また、内閣総理大臣・日本国政府・内閣府は、政府の紋章として五七桐花紋を用いている。なんと奥ゆかしく、清々(すがすが)しいことだろうか。
このように斧に着目すると、国柄の違いが浮き彫りになると思うのだが、如何なものだろうか。
<追記>
皇室の御紋章については、下記の記事が参考になる。