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シンガポールで見るダビデの☆

2021.12.06 02:25

ベルギーのアントワープはダイヤモンドで有名な街(日本人的にはフランダースの犬かもしれない)で、そのほとんどを牛耳っているのがユダヤ人たち。だからアントワープの街を歩いていると山高帽にもみあげがクルクルとカールしたオーセンティックなユダヤ人男性をよく見かける。

アジアに住むとヨーロッパ程に馴染みのないダビデの☆やシナゴークだけれど、小さなシンガポールの街で1819年英国東インド会社がシンガポールに商社として設立した後、様々な貿易コミュニティが到着し、島に定住し始め、そのうちの1つにはユダヤ人コミュニティもあったそうだ。

1830年代初頭のシンガポールではほんの一握りだったけれど、その後増加。

東洋のユダヤ人として知られる彼らのほとんどはインドで生まれ、彼らの祖先はバグダッドまで遡るらしい。

ドイツやヨーロッパの他の地域からやって来た別のユダヤ人グループはずっと後の事だそうで、彼らも主に貿易や商品ビジネスに従事していた。


初期のユダヤ人入植者はボートキーに住み、後にノースブリッジロード、ドビーゴート、ソフィア山、ロチョー周辺に移動したそう。

ユダヤ人街の名残だろうか、ボートキー裏手にシナゴーク通り、クラークキー裏手にはソロモン通りという名が残っている。

シンガポールには、他にも初期のユダヤ人コミュニティリーダー、著名なビジネスマン、社会に多大な貢献をした慈善家にちなんで名付けられた通りがあるらしい。


彼らの数は徐々に増加し、第二次世界大戦時期、シンガポールには800人以上のユダヤ人がいたそうだ。

戦争中、ナチスドイツは同盟の下、日本にその境界内のすべてのユダヤ人を殺すように要求したけれど、日本軍は大量虐殺を行わなかった。それにもかかわらずユダヤ人達は残虐行為を受け、シンガポールの他の人種と同様に苦しみ、彼らの多くはチャンギ・ガオールとシメ・ロード・キャンプに投獄されたらしい。


初期のユダヤ人はフォートカニング周辺に19世紀半ばに独自の墓地を建設。

ユダヤ人墓地は後にトムソンロードとニュートンロードの交差点近くのムルマリン地区に移され、オーチャードロードの別のユダヤ人墓地と共に新しいMRT駅の建設のために1985年までにクリアにされた。

↓で、ドービーゴートとノベナの駅がかつてユダヤ人墓地だったと書いてます。

現在シンガポールには2つのシナゴーグがあるのだけど、

それ以外にも、初期のシンガポールでのユダヤ人の影響と遺産を表すダビデの☆が付いた建物がある。

シンガポールで最もよく知られているのが、デビッド エリアス ビルディング。

3階建ての建物は1928年に建てられ、20世紀初頭にシンガポールに商社を設立したオーナーのデビッド エリアスにちなんで名付けられたもの。

シンガポールの建築会社スワン&マクラーレンによるもので、1920年代に人気を博した新古典主義のスタイルなデザインだそうだ。

最も目を引くのはダビデの星と名前デビッドエリアスビルディングと1928の年号が描かれたファサード。

このビルは1994年10月にシンガポールに置いて保全の対象に指定された。

この写真を撮ったのは今年の3月頃なのだけど、最近この近くを通たっら、壁に街灯が付いていたので、リノベーションが進んでいるのだと思う。

横に廻ると、かつて旅館だったことが伺える。

関係ないと思うけれど、隣の建物も出窓があったり、少し変わっているのです。

もう一つの建物はロチョ駅近くにあるエリソンビル。

2階建ての建物は、湾曲したファサードと2つの半円形のドームからなっていて、1924年に完成。裕福な地元のユダヤ人実業家でコミュニティリーダーであったイサック エリソン(1864-1928)に寄って建てられた。

独立前の時代、英国知事が日曜日に建物の上のバルコニーに座り、反対側の競馬場で開催されたレースを見ていたとか・・・・

デビッド エリアス ビルと同様に、ファサードにはエリソン ビルディングの名前、建設年、ダビデの星が屋根の上に浮き彫りになっている。

エリソン家は1989年まで建物を所有していたが、民間の開発業者に売却。

2003年にソフィア山保全地域プロジェクトの一環として、建物は保全指定に。

しかし、2016年に政府が建物の一部を取り壊し、新しい地下南北回廊を作り、再建すると発表したことで再び話題になったのだそう。

他にもオクスリーロードのリー クアンユー元首相の住居が19世紀後半にユダヤ人商人によって建てられたものだと言う。


個人的には上記2つの歴史的建物がリノベートされて、どんな風になるのか楽しみなのです。