もどっておいで私の元気!
http://okabeakemi.com/blog/?p=4457 【相手から拒絶されたと思うと、、】、より
哀しみ
あなたの哀しみの深さが人の心を癒してゆく あなたの痛みに満ちた人生が人の痛みを溶かしてゆく 闇の深さを知っているあなただからこそ 人を闇の中でさえ憩わせてあげられる
癒しは かわりの中で生まれる「いのちの喜び=出会いの奇跡」哀しみの深さが こんないも深く大きな人生の喜びを運んでくれるのなら人生に無駄な月日なんてあるはずもない
あなたの辛かった人生が 人とつながること 生きることの深い喜びを味わうための
「大きな大きないのち」からのプレゼントだったのだと今自分の人生をイキイキと生き始めたあなたを見て思う『もどっておいで私の元気!』(岡部明美著・善文社)より
この詩を書いた時、私の実感では、タイトルは、「悲しみ」ではなく「哀しみ」だった。
「悲しみ」と「哀しみ」がどう違うのかという辞書的定義ではなく、それはその時の私の感性の実感だった。個人の「悲しみ」の感情を感じ尽くした後に表れてきたものが「哀しみ」だった。以前の私は、「悲しみ」の感情を感じることがすごくつらかった。
「悲しい」という感情を感じてしまうと、心が折れてしまいそうで、自分を支えていられなくなりそうだった。
泣いたって始まらない、泣いてる暇があったら今目の前で起きている混乱やトラブルを解決するのが先決でしょうとばかりに生きてきたから、子どもの頃から。
「感じない」ことでなんとか生き延びてこられたのに何を今更と自己探求の初期の頃は感情を感じることに抵抗した。
でも「感じる」世界に入っていったら「こんなに怖かったんだ、私」「こんなにイヤだったんだ、本当は」「私、本当はこんなに怒ってたんだ」「こんなにつらかったんだ、私」といった生ましい感情に出会うことになった。
そういう体験を重ねる中で、「感情には層がある」ということにも気づいていった。
怒りの下には、悲しみがあったり、無力感があったり、罪悪感があったり、絶望があった。
心というのは本当に深い深い海のようだと思った。
個の「悲しみ」の内奥にある慈悲心 心の奥深くにあったどんな感情も、感じることを許して癒していくと、個の「悲しみ」の内奥にある慈悲心が宿っていることを知る。
それは、人が人として生きることへの「哀しみ」への共感にもつながるものだ。
「哀しみ」には、切なさや、愛おしさといった他者への慈悲の眼差しが含まれている。
自分から遠いところで生きている
心の痛み感じないようにして生きてきた人間は、自分から遠いところで生きてしまうことや、自分の無邪気さや繊細さや優しさやほんとうの強さまで置き去りにしてしまうことなどあの頃は全くわからなかった。
本当の自分を生きたいと思ったら、まずはなかったことにしてきた本当の感情に出会うことだった。
置き去りにしてきた小さな自分をもう一度抱きしめてあげることも含め。
そして子ども時代の幼い知覚、認識で、間違って思い込んでしまった自己イメージや人間観や世界観を再編集する心の作業が必要だ。
この人生の再編集は、人を新しいステージに連れていく。そして振り返って「来た道」を眺めてみると自分も人も、その時、その時で精一杯だったこと、その時には、そのやり方しか知らなかったのだし、そうするしかなかったのだし、それでもなんとかここまで生きてきた自分への感謝や他者への感謝が自然にあふれてくる日がくる。
そして、本当はこう在りたい、こうしたい、こう生きたい、これがやりたかったんだ、
という自分に出会っていく。
「分離から統合の時代へ」というキーワードを最近目にすることが多いと思うが、まずは自分自身の内側の分離、葛藤を再統合することだと思う。
それは自分の人生の再編集から始まる。そんなことを連載している。
前回のブログ
インナージャーニーへの誘い My Journey of Finding the True Self
親を精神的に頼れない
自分が子供時代にちゃんと子供をやってこなかったということが、大人になった自分の人間関係や生き方にこんなに影響を与えていたなんて思いもしなかった。
親を精神的に頼れないと思い込んでしまった私は、「自分のことは自分で解決するしかないんだ」「頼れるのは自分しかいない」という信念を、かなり小さいうちに持ってしまったのだ。
私は愛されていない
私の記憶は、どんどん過去に遡っていった。もう思い出すこともなくなっていたことがワークをやっていると、ふと鮮烈に浮かび上がってくることがよくあった。
確か、小学校三、四年の頃だったと思う。
夜中に目を覚ますと、遊びにきていた母の友だちと母が話していた。
その時の母の言葉にショックを受けたことを思い出した。
「母親っていうのは、やっぱり息子がかわいいわね。末っ子は特にかわいい」
私は、この母の言葉にすごいショックを受け、私は、母に愛されていないのだと思い込んでしまったのだ。
自分で立つしかなかった。
私は、あの時、母に認めてもらうために、愛されるために母の助けになることならなんでもしようと心に決めたのだと思う。
私は、母に愛されたくてしつかりものの長女をやり、いやな顔もせずに愚痴も聞き、勉強をし、クラス委員をやり、運動会でもいろいろなコンクールでも一等賞をとるためにがんばったのは、すべて母にほめてほしかったからなのだと思った。私は、母の”自慢の子”になりたかったのだ。
相手から拒絶、拒否されたと思うと私は、高校、大学時代、ボーヴォワールや、明治時代の「青鞘の女たち」の生き方に大きな影響を受け、女性解放運動などのフェミニズムに密かに傾倒していたから、そのせいで独立心、自立心が強くなったのだとずっと思い込んでいた。
しかし、フェミニズムの影響以前にすでに親との関係の中で甘えそこなったために、自分で立つしかなくて、そのために妙に自立心、独立心が強くなったのだということに気づいたのだ。
私は、本当は親に甘えたかったのだ。甘えられないことがすごく淋しかったのだ。
親に無条件に甘えていたのは、末っ子の弟だけだった。実際、末っ子の弟は、憎めない性格でかわいい子だった。
私と年子の弟は親に甘えそびれてしまったのだ。
年子の弟が生まれた時、私はまだ自分も乳飲み子だったのに母が乳首に唐辛子を塗って
「弟が生まれたから今日でおっぱいは終わり」と一回言っただけで、二度とおっぱいを要求しなかった子供だったらしい。
母は、そのことを「明美は聞き分けがいい。手がかからない」と人に自慢話をするようにして話していた。
私はその話を聞く度にいつも淋しくなった。
私には、一度相手から拒絶.拒否されたと思うと瞬時に心を閉ざしてしまい、
もう二度と自分の欲求(ニーズ)や、気持ちを言わなくなるというパターンがあるのだけれど、
それはすでにこんな小さい頃から始まっていたのだ。
自立の仮面の下に
私は、おそらく無意識に、親の手をわずらわせない子供でいることで親からほめてもらえるということを学習していったのだろう。
でも、ワークで、子供時代自分がどんなに淋しかったか、どんなに親に甘えたかったかという感情が突然あふれてきたのだ。
大人になっても、人は、「未完了の感情」とか「未完了の体験」というものが記憶の中に残っていて、それは表現されること、癒されることを待っているというのはこういうことだったのかと思った。
子供時代というのは親への依存期なわけで、その時期にちゃんと親に甘えて、抱きしめられて、守られてという安心感の体験がないと、人は心の奥に脆さを抱えてしまうのではないだろうか。
私の自立心、独立心の柱は確かに脆かった。
シロアリにすぐやられてしまうくらいに頼りない柱だった。
自立の仮面の下に、私は、依存心や不安や脆さを隠していた。
一見、強そうに見える人、理性的に見える人、虚勢を張っている人、猛々しい人、反対に、あまりにも善い人、明る過ぎる人というのは、もしかしたら、自分のそんな脆さや弱さや淋しさを一生懸命隠し、自分の悲しみを頭で納得させることで必死に生きてきた人たちなのではないだろうか。
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【岡部明美 朗読Vol.03】
タイトル:哀しみ