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われらの子ども

2021.07.30 10:34

  本書のタイトルになっている「われらの子ども」というのは、よその子供が困っていたり、悪さをしている時に見てみぬふりをするのではなく、ちゃんとしたケアをしてあげたり、指導をして社会全体で子供たちを育てていこうとする市民(大人達)の連帯意識といったものを指しています。本書の著者/ロバート・パットナムさんは、ハーバード大学、ケネディスクール教授。ニューヨーク州ロチェスターで生まれ、オハイオ州で育った政治学者です。(米国の社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)の衰退を論じた前著「孤独なボウリング」は、《朝日新聞 ゼロ年代の50冊2000~2009》にも選ばれました。)

  パットナムさんは本書でも、自分が子供時代に育った50年代のオハイオの街は前述したような大人たちの連帯感、つまり、みんなで子供たちをケアしようという意識があった街だった、と話しています。しかし、残念ながら、アメリカでは(そして日本でも)そういった連帯意識は徐々に薄れつつあり、その一方、社会における経済格差の広がりから子供の教育は今、深刻な問題を抱えている、という問題提起をパットナムさんは本書において論じています。アメリカでは、一つの通りを隔てた向こうは裕福な住民が住むエリア。その通りの反対側では、日常的に犯罪、暴力、売春が日常的に蔓延し、地元のギャングたちが拳銃で地元の住民を脅かすエリアという二極化した街が徐々に広がっているのです。

  グローバル化した世界において、二極化へ向かう経済格差の広がりがいろいろな国で問題になっていますが、このような「経済格差」が今、アメリカでの子供の教育を考える上で何よりも一番の問題になっているのです。パットナムさんによるとアメリカでは、これまで人種間における格差がよく言われていましたが、今では同じ人種の中にも持てるものともたざるものが極端化していて、(今問題になっているのは人種間による格差ではなくて、)アメリカ社会では、人種を問わず少数の持てる者と多数の持たざる者との経済格差の広がりの幅が大きくなっています。

  換言すると、一番の問題は、「富める環境でも貧しい環境でアメリカ人は自らの出自に関係なく、一人一人が社会の高層へ上るチャンス(機会)は平等にあり、自らの努力により社会的に上昇するチャンスはある、」というアメリカの(伝統的)価値観が今の格差社会では、通用しにくくなっているということです。本書では、いくつかの問題提起を行い、その問題を考察するため一つの街で、富める環境と貧しい環境において同じような構成、年代を持つ家族を選び、サンプルリングし、長時間にわたるインタビューを行い、しっかりした研究から現代の子供教育に関する考察を行っています。

  ここでは詳しくは書きませんが、パットナムさんの記述の裏にあるパットナムさんの正義感、その正義感に溺れないで、適切で、地道で、時間をかけたスタッフ達との研究により、現代社会における「格差」の是正が必要であるということがとても説得力のあるものになっています。うーん、、パットナムさんのように、社会的弱者である子供達に温かい目を向け、社会を良くしていこうという哲学を持ち、自分の主張をより説得的なものにするため適切な研究を時間をかけ地道に行う我慢強さを持つ良識ある知識人を育てたアメリカという国の懐の深さを感じました。

  アメリカ同様、グローバル経済化の影響を受ける日本においても、この本書におけるメッセージは十分に説得力があります。お子さんを持つすべての親御さん是非一読をお勧めしたい一冊です。 では、最後にみなさんに質問です。どうして「子供の教育」には社会的な連帯意識が必要なのしょうか? それは、子供が適切な教育を受けられず、大人になっても問題を抱え社会に貢献できないような社会は、(子供が適切に成長できる社会と比べ)国レベル考えた時の経済的損失が巨額なものになるからです。つまり、子供が学校へ行かず不良になる、犯罪を起こすだと、少年を更生するための施設やそこの人件費がかさみます。通常なら大人になれば会社へ行き、仕事をして国の生産性に寄与しますが、働く意欲がなかったり、犯罪など起こせば、更に本人を更生させる費用がかかります。また、(義務)教育を受けない人の労働生産性は低いことは、周知の通りです。(どんな貧困にある子供でもやはり他人だとは思わず、「われらの子ども」と思うことが大切なんですね。。。)