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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

2019年6月25日記事から、ディレクターズカットお届けします

2021.07.30 22:00

ノアンにいるサンドからパリにいるショパンとモーリスが何か羽を伸ばしていないか

様子伺いをしてくるように頼まれたロゼール。しかし、ロゼールはサンドに指図されたようにショパンのことをサンドに密告するのではなく、ショパンのところへ行き、サンドがショパンとモーリスが自分の言いつけを忘れてパリで好き勝手をしているのでは、と不機嫌になっているようだから、直ぐに手紙で謝っておいたほうがいいと、ショパンはロゼールから聞かされたのである。

ノアンの妄想癖の女王がお冠となれば、ショパンは一大事なのだ。すぐさま筆をとり一筆

サンドへ宛てて書いた。

「これがモーリスからの手紙です。 私たちはあなたの良い知らせを受けとりました。

あなたが満足していることを嬉しく思います。 あなたがすることはすべて素晴らしく美しいものでなければなりません。

そして、私たちがあなたがどうしているのかを質問しないのは、あなたに興味がないからではありません。」必死に取り繕うショパン。

 「モーリスは昨日、ノアンへ自分の荷物を送りました。

 あなたは手紙を 書いてください。私はまた明日書きます。 あなたの昔からの仲間、僕とモーリスを忘れないでください。

ソランジュが大好きです。モーリスと僕も元気です。」

ショパンは、「ロゼールのサンドからの手紙を見たよ、ロゼールは僕の味方だから、何か企んでも無駄だよ」と案にサンドに言っているのである。

ショパンがかつて嫌っていたロゼールはヴォジンスキ家アント二イとは既に別れていて、フォンタナの代わりにショパンの校訂を献身的に手伝っている。

サンドが娘ソランジュのことでショパンと口論になったときもロゼールがショパンの味方をしたのだ。

そして、サンドのご機嫌を取るために、ショパンはソランジュが大好きで、ショパンはモーリスに買い与えた物をノアンへ送り、ふたりで仲良くやっていると伝えたのだが、女王サンドの火の気が消えるどころか、逆にサンドの怒りを増長したのだ。

サンドは、モーリスに返事を書いた。

「いいえ、モーリス、かわいそうに。私はもうすぐノアンを発つことにしました。

・・・愛らしい田舎の風景があるから私は大丈夫ですよ。

あなたとショパンが一番心配です。私は1秒も耐えられなかった。

2人が同時に病気になるかもしれないという不安。...」

サンドはショパンがモーリスと上手くやっているうえにロゼールとも仲良くしている、しかも、ソランジュのほうが私と言う老婆より大好きだとは、サンドの頭の中に更に妄想が広がり、居ても立っても居られない気分になのだ。

こんなことをサンドが書いている時に、ショパンはマルリアニの監視が強まっていることを感じ取りサンドを落ち着かせるために更に筆を執った。

「あなたはノアンの見回りを終えたころでしょう。

旅行に備えて力を蓄えてください。

そして、私たちにあなたの素敵なノアンの天気をもたらしてください。

こちらは雨が降っています。それにもかかわらず、私は昨日、3時まで晴れるのを待ってから、ロスチャイルドに会いに行きました。そして

シュトックハウゼンにも会いに行きました。体調はそれほど悪くありません。」

11月も終わりで、パリは朝晩の気温の差が激しく、とくに冬は暗い日が多くなる。

朝晩は5度以下になる日もあるのである。

「今日、日曜日に、私は休んでいます。そして、私は外出しません。

私とモーリスは元気です。病気は遠のきました。

そして未来には私が持っている幸福しかない。

そしてすべてのものがあなたが望むようになりますよ。」

ショパンは元気だと連呼しているが、何かこの言葉は不気味である。サンドもショパンも、このあと薬にたよっていることが判明する。

「あなたの口蓋がしみるそうですが、あの薬を飲まないでください」何の薬かはふたりの間ではわかっているのか、ショパンはサンドに注意を促した。

「私とモーリスはマルリアニ夫人のお宅で、夕食をご馳走になりました。

昨日、それからある者はパーティーに出かけました、他の者は絵を描きに行きました 。

あなたが肘掛け椅子でもたれるように私は自分のベッドで眠りました。」

ショパンは横にならずにベットのクッションにもたれかかって寝たということであろう。

ある者とは誰か、サンドにはわかるのであろう。

「仕事をしたことには違いないが、あまりにも疲れました。僕の薬はあまりにも鎮静に効きすぎるので、モランさんに別の薬にしてもらうように言おうと思います。」ショパンは元気だと言いながらも、本当は疲れていて薬に依存していて夜も横たわらないで眠ったと話した。ショパンは精神状態が不安定のようである。

12月、ブライトコップ・ヘンテルへショパンは新し曲の出版の交渉をした。

「≪二つのノクターン作品55≫≪3つのマズルカ作品56≫1曲に付き600フランでいかがでしょうか。マホ氏を通じてご返答を下さい。…」

ショパンは前年に大曲を書き上げたのとは違い、1834年は、ノアンでのサンドの家庭の問題や、サンドの元愛人のリストがサンドの館に送り込んで来たリストの愛人の娼婦が元で起きた事件、そして、パリでは朝から晩までレッスンとロスチャイルド家との付き合いなどなど、借金問題=サンドに翻弄され、ショパン程の才能の持ち主がこれだけの小品しか書けなかった年であった。