「いざ吉原へ」10 妓楼(4)つくり③2階 部屋
妓楼の二階には多数の部屋があるが、「遣手(やりて)部屋」、「引付(ひきつけ)座敷」、宴会用の座敷などをのぞけば、あとのほとんどは遊女の部屋だった。
「遣手」とは、遊女を監視・管理する監督係で、各妓楼に一人ずついた。年季が明けても行先のない遊女がそのまま妓楼に留まり、遣手を務めることが多かった。禿のしつけから、遊女に客あしらいをしどうしたり、閨房の技を伝授したりと、その役割は大きかった。働きの悪い遊女や、行儀のよくない禿を情け容赦なく叱りつけ、時には残忍な折檻も行った。それだけに、遊女や禿からは嫌われ、怖れられる存在だった。このような遣手の部屋は、階段をのぼりきってすぐのところにあった。階段をのぼって来る客の品定めや、遊女の動きを監視するためである。遣手はここで寝起きも食事もした。
遣手部屋の隣にあったのが「引付座敷」。すでに馴染みの客の場合はそのまま遊女の部屋(個室)に案内されることもあるが、初会の客はまず引付座敷に通され、ここで遊女と初対面をする。客がすわると、さっそく禿が茶と煙草盆を持って来る。続いて、酒と硯蓋(すずりぶた。口取り肴などを盛る器で枝豆、かまぼこなどがのっていた)が運ばれてきた。やおら遊女と遣手が登場し、ここで盃を交わす。これは三々九度の盃を模したものであり、男女の婚姻を象徴していた。引手茶屋がついてきている場合は、茶屋の女将や若い者が仲立ちとなって、銚子から酒をつぎ、盃を客と遊女にまわす。直きづけの客の場合は、遣手や妓楼の若い者が仲立ちをした。その間、幇間(ほうかん。宴席で客の座興をとりもつことを業とする男。俗に太鼓持【たいこもち】)や芸者を呼び、別の座敷に移って酒宴となる場合もある。
この宴会を行う座敷が「表座敷」。大手通りに面していたため、派手なドンチャン騒ぎをしていると、通りを歩く人々には手に取るように分かった。
ところで、遊女には厳格な階級があり、その待遇にも歴然とした差があった。吉原の上級遊女「花魁(おいらん)」は、上から「呼出し昼三」、「昼三」、「座敷持」、「部屋持」。「昼三(ちゅうさん)」は、昼夜ともにして揚代が金三分(夜だけだと金一分二朱 )であることに由来し、平常起居する個室と、客を迎える座敷が与えられ、ともに豪華だった。配下に番頭新造、2~3人の振袖新造、禿2人が雑用をこなす。いっぽう、昼三のほうも配下の禿が一人前になるまで面倒をみてやらねばならなかった。昼三は張見世をして客を待つことをせず、花魁道中をして仲の町の引手茶屋に出向き、そこで客と合流するなり顔見世を行った。この昼三のなかの最高位が「呼出し昼三」で、揚代は新造付き(振袖新造が共に従う)で一両三分。多数の供を従えて花魁道中をおこなった。
「座敷持」は、平常起居する個室と、客を迎える座敷を与えられ、揚代は昼夜金二分、夜ばかり金一分。「部屋持」は、個室を与えられ、そこに平常起居、客も迎えた。揚代は昼夜金一分、夜ばかり金二朱だった。
ただし、遊女の格はもちろんのこと、妓楼の格によっても値段は異なるためかなり複雑であり、一概には言えない。
いずれにせよ、上級遊女「花魁」の部屋は妓楼の二階にあった。この他に「廻し部屋」と呼ばれる大部屋があった。新造は個室を持っていないため、客と同衾するのはここで、相部屋だった(割床【わりどこ】)。蒲団を多数敷き詰め、あいだは屏風で仕切っただけである。また個室を持っていた花魁も、「廻し」(遊女に同時間帯に複数の客をつけること。妓楼が売り上げを伸ばすための方策だったが、遊女にとっては過重労働だった)で客が重なった時、大事な馴染み客は個室に入れ、そのほかの客とは廻し部屋で割床となった。岡場所や宿場の女郎屋では割床が一般的だったが、吉原の妓楼でもけっして珍しいことではなかった。
客を迎えた座敷では、これから酒宴が始まろうというところ
国直「新版娼家全図」
大階段を上がって右に遣手部屋。座敷の板戸はふだんは開閉しない。廊下をはさんで板戸の前は、部屋持ちの個室が並ぶ。
国貞「吉原遊郭娼家之図」
山東京伝著 北尾政演(まさのぶ)画『客衆肝照子(きゃくしゅきもかがみ)』
遊女を叱りつけている遣手
『青楼絵抄年中行事』
引手座敷で遊女の登場を待つ初会の客。初会では遊女が上座。廊下から客にささやいているのは引手茶屋の若い者。
『鶸茶曽我』(ひわちゃそが)
割床。屏風で仕切った右側の寝床では遊女が禿になにやらささやいている。左側の寝床では客と遊女が痴話喧嘩の最中。