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お墓参りにいってきた。

2021.07.31 16:11

日記がずれ込んだので今日まとめ投稿。

昨日から今日に掛けて、ちょっとおでかけしてきた。

ゆっくり過ごさせて戴きました。

昨日のあさごはん。

THE朝食。

カレーバンドのリハの際、ぐぁんさんに戴いたごはんを炊いた。

ぐぁんさんのご友人の農家のお米を、2キロ売って戴いたのである。

にしても、安い。

農家直送というのもあるそうだが。

いつもは玄米と半々で炊くのだが、最初だし白米のうまみを感じようと、押し麦を少しだけ混ぜて圧力鍋炊飯。

いやあ、つやつやで美味しかった。

甘みと、なんというか潤いが違う。

あと、市販のお米よりも、洗う前のぬかのずっしり感がすごい。

その分きっと、お米の水分が守られているんだろうなと思ったりもした。

お水で研いだ際、最後の方の水の濁りが少ないのにも驚き。

あんなにずっしりとしていたのに。

やはり大量生産されるものとは違うのだなあ。

次は玄米と一緒に炊いてみるぞ。

またお米が切れたら、ぐぁんさんにお願いしようっと。


午後、また目がかゆかゆになってしまった。

これは一度お医者さんに行かなくちゃと、近所の目医者さんへ。

アレルギー性の結膜炎らしい。

目薬を2種類出して戴きました。

はやく良くなるように、毎日目薬ちゃんと打つぞ。

あとお掃除もするぞ。

J:COMのデッキの設置などで部屋の配置が変わって、行き場の無い荷物が散らばっているので、きちんと整頓しなくては。

夜ごはん。

ビーフシチュー。

とろとろで美味しかったあ。

前日に父から急遽召集が掛かり、姉と3人で晩ごはんを食べに行ってきました。

2人とも元気そうで良かった。

20時で閉店ということで、食べ終えて早々とお店を出た。

父が、かあさんの家に行って晩酌したいと言い出す。

母に連絡したところ、突然過ぎて散らかっているから今日はやめて欲しいと連絡が来た。

父は諦めがつかない様で、母に電話を掛けて、

「じゅんもいるんだけど、駄目?」

と人をダシに使う始末。

私と姉は電話口での父の横暴さに、もうやめてくれこれ以上母の神経を逆撫でないでくれ仕事で疲れてるんだからさと気が気で無かった。

幼少期から変わらない相関図。

一緒に住んでいなくて本当に良かった。

ストレスでしんでしまうわ。

父のしつこい説得の末、なんとか母の了承を得る事に成功し、手土産のお酒を買って3人で母宅へ。

向かう途中で聞いたところ、父はハナから母の家に行き着く腹積もりだったそう。

どこまでも人の都合を考えない男である。

報告連絡相談、これは家族内でもとても重要事項と思う。

物理的且つ法的に離散している我が家族には、そこまで重要でもないのかもしれないけれど。

でも、久々に家族顔を合わせられて、父はとても嬉しそうにしていた。

ビールを呑みつつ、仕事を辞めた後の生活をどうしていこうかとか、そんな話を聞いたりした。

私も、節約好きだからお金のやりくりは出来ているよとか、具体的に仕事復帰どうしていこうかという話をしたり。


家族がどういう状況にあって、どうしていきたいと思っているのか、ある程度理解を深めておくのは非常に大切だとつくづく思う。

母も父も、数年前かなり大きな事故で入院した。

今も身体の中に補助の金属が埋まっている。

事故当日、職場を早退して病院へすっ飛んで行った。

母はもう目覚めないかもしれないくらい酷い状態で、ICUの治療室で姿を見た時、自然と涙が溢れてきた。

父は泥酔して自業自得の事故であったので、正直目の前で大爆笑したが、やはりICUのベッドで身悶える姿は痛々しかった。

満身創痍な親の姿を見た瞬間、私がしっかりしなくちゃと思った。

そのはずなのに、その後何ヶ月にも及ぶ入院や裁判の話を聞きながら、私はどうする事もできなかった。

入院時、服やシーツのレンタルは、長くなるなら月額の方が断然良いですよ等という説明を看護師さんから受け、サインをしたくらい。

振り返ってみて、お見舞いもそんなにたくさん行けていなかった気がする。

もっと何か出来たんじゃないかと今になって思う。

あの時、ひとりで耐えさせてしまったのではと申し訳なく思う。

幸い、2人とも命に別状が無く、今のところは元気に過ごしている。

あの後もしもの事があってしまっていたとしたら、それこそ一生悔いを背負って生きていただろう。

これから歳を重ねて、過去にではあるが大きな手術を施した身体が負担になってくるのは明白で。

もしそういう時が来たとして、あの頃の私のように、どうする事もできないままただ立ち尽くしているわけにはいかない。

母がどう生きていたいのか、父がなにを望んでいるのか、そういう話を聞いておく事で、有事の際の判断材料となるし、心の糧になってくれると思う。

即ち、信頼関係を築くということ。

それは、一回の食事を共にしたり、酒の力を借りてでも腹を割って話すこと以外、方法はないんだと思う。

両親は離婚していて、バラバラに住んで、それでも定期的に集まり話をする。

我が家は変な家族だ。

でもこれで良い。

バラバラだから、うまくいく事だって、世の中にはたくさんある。


母が、最近ハマっているというプレモルの限定ビールを出してくれた。

香りが爽やかでフルーティ。

ビールを呑み始めた頃は、プレモルが1番好きだったな。

ハイソな好みしてたな。

あまり長居しないで帰ろうねと声を掛けていたのだが、ビールの後角ポケット瓶をロックで呑み干した父が潰れてガッツリ居眠りを始める。

おいおい。

帰れるのか、この人。

懐かしくも恐ろしいほどデカいイビキをかきながら爆睡する父。

帰り道倒れられても困るので、1時間程寝かせてから揺り起こすと、

「あれだぁ、じゅんじゅんハイパータイムと同じだ。」

とへらへら宣う父。

ハイパーじゅんじゅんタイムだから、それ。

あとイビキかきませんし、私。

姉と一緒に父をタクシーに乗せて、家に戻る。

母からもう遅いし泊まっていったらいいよと言われ、お言葉に甘える事に。

久しぶりに母の家に泊まった。



翌朝、姉は早くに仕事に出掛けていて、目覚めた時にはいなかった。

母がお仕事おやすみとの事で、朝ごはんにクロワッサンとコーヒーを出してくれた。

机にある写真は、母方の祖母の若い頃。

ふと、ずっと祖母のお墓参りに行きたいと思っていてと母に話したところ、今日これから行ってみようかという話に。

父の実家が宮崎なのもあって、小さい頃から、私のお墓参りの印象は母方のお墓だった。

生きている頃一番印象に残っているのも、母方の祖母。

お墓の光景は目に焼き付いているけれど、小さい頃に行ったので場所が分からず、ひとりでお参りに行けずにいた。


母とタクシーに乗って墓地へ向かい、仏花を買ってお墓へ。

道や周辺のひとつひとつは、昔の記憶と変わらなかった。

しかし、かなり広い墓地なので、母に聞きながら道順をメモしておく。

これで、ひとりで来る時もバッチリなはず。

天気が良過ぎるくらいで、お墓についた頃には汗だくだった。

私が伸びた雑草を刈り取り、母が墓石を拭き、手分けしてお掃除。

綺麗になったお墓にお花を飾って、お線香を焚いて手を合わせる。

冷たいお茶と、小さい缶ビールとおつまみをお供えして、我々も1缶ずつ買ってきたビールを開けた。

母のお墓参りでの恒例行事だそう。

世間的にはどうかわからないけれど、亡くなった両親と杯を交わすというのは、なんだか粋で母らしいなと思った。

偶然母がおやすみだったのもあり、念願のお墓参り。

お盆からはすこしずれてしまっていたけれど、行けて良かった。

また今度訪れたい。

ちょっと寄り道をして、不二家でランチを食べた。

昔好きだった、ペコちゃんの顔のアルミ箔が被せてあるチョコレートが刺さったミニパフェがメニューから消えていた。

確かに、生首が刺さったパフェというのは、絵面的にちょっと厳しいものがあったのかもしれない。

アマトリチャーナを食べた。

ベーコンが燻製でとても美味しい。

宇治金時を食べようと入ったのだが、2人ともごはんでお腹いっぱいになってしまい、断念。

2日続けて外食なんて、贅の沢だ。

美味しかった。

不二家の店内は、キッチン側の壁画だけ、小さい頃から全く変わらない。

昔は2階席もあったりしたけれど、今は縮小されて無くなっている。

ドリンクバーも導入されていて、時の流れをひしと感じた。



少しお買い物をして、母の家に一度戻る。

カンカン照りの中歩いたので疲れてしまい、少し休ませてもらった。

母はいつも通り、家を出る際、紙袋にいっぱいの手土産を渡してくれた。

ありがたい。

親孝行が出来ているのか、寧ろ貰ってばかり、心配掛けてばかりではと思わない事もない。

私が突然、とんでもない富を手にすることは多分なくて。

逆に突然、熱中症やなんかでぶっ倒れる可能性の方が、はるかにあったりして。

そんなあやふやな明日を前に、果たしてなにが出来るのか。

正直、模索しているばかり。

元気で顔を合わせられるうちは、一緒に過ごす時間を大切にしたいと思う。

なんだか、夏休みのような2日間だった。

ゆっくりねむります。

おやすみなさい。