科学と技術が加速度的に進化する時代の穏やかに過ごすために必要なこと
科学と技術、科学と宗教、科学と迷信。
小学校のときであれば、科学と学習でなじみが深い。
科学は実に多くのものと関連付けられる。
科学の迷信という本もある。
科学的と言われると、本当かどうかわからない話でも簡単に信用してしまうのが人間ということである。この本にはもっともらしい迷信がまとめられている。
今どきの世の中のほとんどの人が、科学が正しいと思うだろう。流石に、迷信を信じる人は今の日本には少ない。
一方で、アフリカの奥地の部族であれば、科学より迷信の方を信じるだろう。科学は知らなければ、なんのことかさっぱり分からない。一方、迷信は祖先からの言い伝えであるから信用度は高い。
私は最近、科学についてとても関心がある。
だが科学とは何かを説明しなさいと言われても、なかなか素人の私には出来ない。
科学者は、世の中の未知のことを探求する人と思う自分がいるが、これでは余計分かりにくいので、世の中で分からないことを解明する人。と私は説明する。
今、ビジネスで深い関係にある名誉教授ドットコム(株)の代表取締役の川添良幸さんに尋ねてみたことがある。
川添さんは、
役に立つかどうか分からないのが科学であるとおっしゃる。
(川添氏のインタビュー記事)
また、以前お聞きした中で、科学者は好奇心だけで研究をしているとも言えるとお話しされたのが印象的だ。
私は、大学の先生のイメージは何か分からないことを研究する人と思っている。研究者と呼ぶのが一般的だと思うが、必ずしも研究者=科学者ではない。
こんなことに関心があり、数か月前、面白い本を見つけた。
“科学とは何か”というタイトルだ。
この本を見つけた時に、私の長年の疑問を全部解決してくれそうな予感がした。
読了して、色々な疑問が整理できたのと、新しいことを幾つも学んだ。今回は、受け売りだが、私が日頃考えていることと重ねて、書こうと思う。
科学を担う人をサイエンティストと言う。
これは比較的新しい造語で、18世紀にアーティストからイメージしたということである。
この本を読んでいると、特に興味深いのが、やはり、人間が科学を信じるかどうか?の部分である。日本でアンケートをとると、ほとんどの人が、科学は信じると答える。
私も考えてみれば、科学は信じているし、科学的という言葉もよく使う。
科学的と言う説明には、数字が必須という話は、川添氏がよくおっしゃるが、確かに数字があれば、さらに人は信用しやすい。
この本には、科学技術という表現も頻繁に登場する。本来は、科学と技術は別物。
だが、長い歴史を得て、科学技術という使い方はあまりにも一般的で、科学の進化が技術の進化に関連していることは実に多い。
この本で一番共感したのが、包丁の話である。
科学も使い方が重要である。
まだ、記憶に新しいところでは、科学が引き起こした悲劇的な戦争として、原爆や毒ガスの事例がある。
人間が科学を善に使うかどうか。
使い方を間違えたら、包丁は凶器になる。
科学も同じことである。
私は、ITについては専門なので、ITについては、20年ほど前から同じような表現を使ってきた。今やITも凶器として使われると相当な脅威である。
ちなみに、コンピューターサイエンスという科学もある。
いずれにしても、科学とは応用範囲が広い。専門家も多岐に渡っていて、日々、専門化、細分化が進んでいく世界である。そうすると、ますます、一般人からは変わりにくくなる。
人もそれぞれであるが、私のような疑い深い人間にとっては、科学は尽きることなく興味がある。科学的だからと言って、単純には信用する気にはないのである。
以上