もうひとつの清水寺が長岡京市にあった?「西の清水」柳谷観音
花手水発祥の地としてSNSで全国的に話題の柳谷観音楊谷寺。
実は1200年以上の歴史をもち、江戸時代は“西の清水”と呼ばれるほど天皇家でも有名な“眼病平癒”のパワースポットだったんですよ。
今回「西の清水」をテーマに長岡京市の文化財に詳しい歴史の専門家・百瀬ちどりさんに問い合わせ、あらためて資料調査いただいたところミラクルな新発見がありました!
百瀬さんは長岡京市の文化財を約40年にわたり研究されており、長岡京市の元職員さん。今も研究や講演活動を続けておられます。
紫陽花と新緑の美しい季節に、新資料を携え柳谷観音を案内していただきました♪
清水寺との共通点からこの度の新発見について百瀬さんにご説明いただき、最後に編集部おすすめ清水寺とセットの観光コースご紹介しています。ぜひ最後までお読みください^^
清水寺との共通点3つをご紹介!開祖・ご本尊・清らかな水
―あの清水寺を開いたお坊さんが開創したお寺だと知らない人も意外に多そうですね?
百瀬(以下同)柳谷観音は平安時代の806(大同元)年に、清水寺の開祖・延鎮(えんちん)僧都(そうず)が開創し、「楊谷寺(ようこくじ)」と名付けたんですよ。
例えば弘法大師が開いたといわれるお寺はたくさんありますが、延鎮が開いたお寺はそうないので、とっても貴重な場所ですね。
(写真キャプション)「楊谷寺」という名の通り、谷間にお寺の建物が立ち並ぶ見事なロケーション
(写真キャプション)長岡京市教育委員会提供
―ご本尊も同じく十一面千手観音菩薩なんですね。
はい、平安時代後期に作られた仏像です。平成9年にご本尊の修理が行われ、そのとき胎内から鎌倉時代初めに修理した際の勧進※に関わる古文書(上の写真)が出てきました。
※勧進とは寺社や仏像の建立や修繕などのために寄付を募ること
(写真キャプション)長岡京市教育委員会提供。写真は柳谷観音のご本尊・十一面千手観音菩薩立像。ご本尊や庭園は京都府指定文化財
それを見るとなんと本尊修繕に200名余りの協力者がいたことがわかったんです。そこに「柳谷千手観音」と明記されているということは、古くからの観音信仰の広がりを裏付ける根本資料といってよいでしょうね。
御本尊は毎月17日のご縁日に終日特別ご開帳されていますので、ぜひお参りに訪れてみてください。
―清水寺と言えばその名の由来ともなった音羽の滝、柳谷と言えば、霊水・独鈷水(おこうずい)がそれぞれ有名で、豊かな水が湧き出ているところも共通ポイントですね。
柳谷観音の信仰の核となるのが「水」なんです。ぜひこちらでは豊かな水に癒されていただきたいですね。
―昔の境内図を見ると、崖の下、今の独鈷水が湧き出ていることがわかりますね。
江戸や明治、昭和の境内図を見ると滝が描かれ、清らかで豊富な水が湧き出ている場所が境内にたくさんあったことがわかります。崖の下、今の独鈷水が湧き出ているところが柳谷川の水源かと。
浄土苑(名勝庭園)にはかつて滝組があり、滝壺もあったんですよ。
ぜひ書院に座って池を眺めてください。池からブクブクと独鈷水が湧き出してくるような雰囲気を味わっていただきたいです。
池の水がゆらゆらと光って屋根の庇(ひさし)や漆喰の白壁に反射するのもキレイでとても癒されます。季節や時間帯によって光の表情を楽しんでほしいですね。
―水のキラキラにパワー(霊力)をいただくイメージですね。本当にキレイですね、何度も訪れていますが、楽しみ方が今日から変わりました!ありがとうございます。
柳谷観音の花手水はハイクオリティなのでお花だけでも美しいのですが、お花や手水に滴り落ちる「水」というのがさらに美しさと癒しを与えているんだと思いますね。
―花手水が人々を魅了する理由の一つが「水」だということがわかりました。
さらに昭和の境内図を細かく見ると、山門に通じる階段左手、清水寺の音羽の滝を彷彿とさせる清らかな水が流れていたこともわかります。
境内図と同じ場所に現在も滝の名残を感じることができますよ。
新資料発見!“西清水”名付け親は天皇家?
(写真キャプション)木漏れ日のキラキラとしたやさしい光も百瀬さんのお気に入り
―柳谷観音が所蔵している1760(宝暦10)年の『楊谷寺縁起』に、「清水寺」の勅額があったと記されているそうですね。今回、それを裏付ける新資料を発見されたということはつまりどういうことでしょうか?
はい、今までは江戸時代の霊元天皇(1654-1732 年)の眼病を治癒したことが柳谷観音の最も有名な霊験談で、これをきっかけに庶民にも広く知られるようになり、信仰の地&観光名所として名を馳せたのではと考えられていたんです。
今回、国立歴史民族博物館が所蔵する高松宮家伝来禁裏本データベースから、天皇家に伝わった冊子、1614(慶⾧19)年の『楊谷寺縁起』を見ると、そこにも「西清水」と書かれていました。
つまり今回の発見で、今までよりさらに150年程古い資料からで宮中で「西清水」と認知され、すでに有名であったということが分かったんです!!
―ずっと古くから「西清水」として親しまれていた可能性が出てきたということですね!もしかしたら天皇家が名付けたかもしれませんし、大発見ですね。
(写真キャプション)「独鈷水(おこうずい)」は飲んでご利益をいただきます♡
霊元天皇の眼病治癒をきっかけに、柳谷観音は天皇家から篤い尊崇をうけるようになり、様々な品が下賜されました。でもなぜ霊元天皇が柳谷観音のことを知っていたんだろう?とずっと不思議に思っていました。
(写真キャプション)縁日やイベント時のみ公開される上書院から名勝庭園・浄土苑の眺めもまた格別
―今回、新発見によってその謎が解けたと?
はい。天皇家において「西の清水」と名付けられ、その霊験が広く知られていたことを記す資料でしたので、もっと古くから認知されていた地であったということがわかりました。
かつてケーブルカー建設計画もあったほどの有名観光地
江戸時代には街道が整備されたことから寺社参詣が盛んになり、柳谷観音の観音信仰は庶民にも広く信仰されるようになりました。それを支えたのが近畿一円に結ばれた「柳谷講」の存在でした。
―伊勢講は全国的に有名ですが、近畿では「柳谷講」が有名だったんですね。カラオケ合戦ならぬ、御詠歌合戦が行われるほど講員の皆さん熱心だったそうですね。
毎月17日の縁日に交代で各地から講員が集まり、本堂でお念仏を唱えていたそうです。江戸、明治、大正、昭和まで柳谷講は続き、奉納額が境内のあちこちに掲げられています。その賑わいぶりをうかがい知ることができるものがこちらの奉納額です。
※「講」とは寺社参詣を目的とした組織
―お参りに行くと御詠歌がBGMのように境内に流れているのが心地いいです。あー柳谷さんに来たな~って思います。なぜかとても落ち着くんですよね。
―阿弥陀堂に掲げられている扁額に「柳谷参道電燈線路工事有志連名標」と書かれていますが、一体これってなんですか?
実は大正時代、比叡山や石清水八幡宮のようにケーブルをひく計画があったんです。明治・大正時代が一番「柳谷講」が盛んでした。実現しないままに終わってしまったのですが、大変人気のある観光地だったことがわかりますね。
―門前も賑わっていたんでしょうか?
そうですね。山門から参道の先を眺めて想像してみてください。昔は宿泊するのも楽しみのひとつでしたから。門前には旅館や茶屋が立ち並び大層賑わっていました。参道の入口にかつて旅館だった建物も残っているので、往時の面影をちょっぴりですが偲ぶことができますよ。
―百瀬さんのおかげで柳谷観音が“西の清水”と呼ばれる所以がよくわかりました。ご案内いただき、誠にありがとうございました!!
「青もみじ」「紅葉」の観光シーズンに清水寺とセットがおすすめ
(写真キャプション)柳谷観音・上書院から眺める青もみじ
京都駅から電車で10分のJR長岡京駅からタクシーで約15分の柳谷観音は、“もみじ”の名所としても人気があります。
※毎月17日縁日はJR長岡京駅・阪急西山天王山駅からシャトルバスが運行
(写真キャプション)柳谷観音・上書院からの紅葉。まるで一幅の絵画のよう
夏は青もみじ、そして秋には紅葉狩りと…京都東山の「清水寺」とセットで巡るのがおすすめ♡
清水寺の拝観時間は朝6時からなので夏場は涼しい午前中に朝さんぽ、満喫してくださいね。
★編集部おすすめ夏の観光コース★
6:00清水寺→9:00柳谷観音→10:45純喫茶フルール(モーニングは11時までにオーダー)
★柳谷観音(楊谷寺)やなぎだにかんのん(ようこくじ)
075-956-0017
9:00~17:00(16:50受付終了、奥の院は16:00まで)
JR長岡京駅または阪急長岡天神駅からタクシーで約15分
※毎月17日縁日はJR長岡京駅・阪急西山天王山駅からシャトルバスが運行
★百瀬ちどりさんのブログ楓宸百景★