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屋我地島 大津波の爪痕

2021.08.02 04:22

津波被災地跡

1960年(昭和35)5月23日午前4時11分ごろ南米チリ中部の近海でマグニチュード8.5の地震が起き大津波が発生した。津波は時速約750km(秒速約200m)の速さで太平洋を横断 翌24日未明には日本沿岸を襲い、死者139人を出した。

沖縄では、同日午前5時30分ごろからおもに久志村・羽地村(現名護市)石川市等で数回にわたって来襲、甚大な被害を被った。

当地には、真喜屋小学校があったが 津波によって全校舎・校地が破壊され校地移転を余儀なくされた。地域では死者3人、学校裏の護岸及び屋我地大橋(146m) 奥武橋が全壊した。

この被災を教訓として 地震・津波の防災のために生かしたい。

上のように彫られた石碑が、真喜屋運動公園の一角に建てられています。

チリ地震の津波ですので、東海岸側での出来事なら分かるのですが、当時の津波がすさまじく、反対側まで回ってきたと思うとゾッとします。

流石に現代の橋とは、構造の強度は異なると思いますが、あんな穏やかな羽地内海を見ていると想像もつきません。

いまは、この近くにコンビニもありますし、何事もなかったよう思ってしまいますが、南海トラフでも被害が出てしまうのでしょうか??

そうならないことを祈ります。


屋我地島は、沖縄北部、本部半島の北東に位置し、羽地内海に浮かぶ島です。

沖縄で唯一、三つの大橋がかかる島で、沖縄本島と屋我地大橋で結ばれ、さらに古宇利大橋で今帰仁村に属する古宇利島と、また今帰仁村運天側の本島との間はワルミ大橋で結ばれています。

島内は、済井出・饒平名・屋我・運天原・我部の5つの集落に別れ、済井出に最大の集落があります。

自然が多く残る、風光明媚な島で、サトウキビ畑や、琉球赤瓦などを用いた古民家などが点在し、昔ながらの沖縄の風景を楽しめます。

また、饒平名(よへな)の干潟には、オヒルギ(マングローブ)などの植物が群生し、数多くの生き物が生息しています。干潟域を中心に多くの渡り鳥が飛来し、屋我地島全域と周辺海域、羽地内海が国指定屋我地鳥獣保護区(集団渡来地)に指定されています。

最近では民泊施設もふえ、宿泊も可能になりましたし、カフェややちむんのお店、綺麗なビーチもあり、観光としても穴場スポットでおすすめです。

隣の古宇利島はすでに有名で、人が溢れていますが、情緒のある屋我地でゆったり過ごすのも良いと思います。

沖縄に来られた際には、是非屋我地島を散策してみてくださいね!