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近藤昇オフィシャルサイト

なぜ人は紺屋の白袴におちいるのか考えてみた

2021.08.02 01:40

紺屋の白袴

(こうやのしろばかま、または、こうやのしらばかま)は結構、会話で引用される。

類似語に、医者の不養生がある。


Webの故事ことわざ辞典によると、

紺屋の白袴とは、他人のためにばかり働いて、自分のことに手が回らないこと。


とあるが、私も結構セミナーなどで使うことが多い。正直、使うたびに、自社ではできていないよなと、ちょっと後ろめたい感情も沸き起こる時がある。


基本、BtoBのビジネスを行っていて、中小企業から大企業まで民間企業の経営のご支援や現場改善を長年ご提供してきた。

官公庁自治体、大学、病院などの組織に対しても様々な業務支援を行ってきた。最近では、DXブームの流れで、何かとITが絡んでくる。


自社が紺屋の白袴になっていないかと振り返ると、至るところでそういう状態がある。


お客様に対してお手伝いしていることは、自社で実践して、それをベースに提供してきたつもりだ。それを私は、ペースメーキングと表現してきた。まずは、自分たちが実践したことをベースにお客様に提供する。


ところが、長年、会社運営していると、最初は出来ていたことが疎かになったり、経営環境の変化に適応して、改善が進まなかったりすることがある。


私なりに、常なる課題なのが、紺屋の白袴の改善なのだが、なぜ、そうなるのかを改めて考えてみた。


大きく分けて、2つになると思う。

一つは、自分のことよりお客様対応を先にする。

これは、医者の不養生で考えたらよく分かる。

幾ら名医でも、患者のことばかり優先するがあまり、自分の健康管理や病気になった時の対応が疎かになるということだ。


特に、会社の場合は、収益を上げることが一義になりやすい。そうすると、目の前の顧客対応を優先してしまう。これは間違いとは言えない。


7つの習慣にある時間管理のマトリックスの話とも近いが、どうしても、緊急で重要なことを優先する。一方で、重要だけれども緊急でないことは後回し。つまり、健康で言えば、転ばぬ先の未病対策が疎かになる。どうしても、自分のことを後回しにしてしまう理由はこのあたりにある。


もう一つは、そもそも、人間は、自分が出来ていなくても、人に対してサービスしたりアドバイスしたりすることはできるということだ。

深く掘り下げると、良心の呵責の話に行きつきそうだが、人をだます話ではないので、自分が出来ていなくても、相手に対して役立つことが出来れば成り立つ世界もある。


例えば、整理整頓や習慣化の話である。

自分が出来ていなくても、人にさせることはできる。ただ、こういう状態が定常的になると、当然のごとく信用を失う。


特に、自分のこともちゃんとやって、人のこともちゃんとやる人に比べたら、紺屋の白袴状態では、中長期の信用を得ることが出来ない。


会社であれば、上司部下の関係でもよく生じる。上司は、仮に自分が出来ていないことでも、部下にアドバイスしたり注意したりすることはできる。

そういうことを体が覚えていることもあるし、経験から何が正ししいかは分かっている。自分が出来ることかどうかと切り離せたりする。


しかし、これも顧客との関係と同じように、中長期的には信用を失う。

人間はどうしても、紺屋の白袴に陥りやすいが、そこは努力して、紺屋は紺屋らしくしておかないといけない。


以上